加えて私は野球部の命運を握るのは、病床にある3代教主・御木貴日止に代わって教団内で大きな発言力を持つ美智代夫人であるとも報じてきた。野球部のOB会が野球経験のある監督の早期就任と部員募集の再開を求める嘆願書を提出していたが、それが彼女の手元に届いたかは怪しい。
今年4月、野球部員が練習しているPLグラウンドに突然、車いすに乗った教主と美智代夫人がやってきた話も耳にした。お付きに介助され、ベンチに座った教主は「頑張ってください」とだけナインに告げ、美智代夫人はチョコレートを配っていたという。激励の真意は誰にもわからない。
その直後のこと。野球部のOB会幹部が奥正直克部長と川上祐一監督と面談し、OBの中で根強く噂されていた「来年春からの生徒募集再開」が不可能であることを告げられた。OB会と学園および教団との交渉が決裂した瞬間だった。
2013年に起こった暴力事件の時の監督であり、それによって引責辞任した河野有道元監督は、「責任を感じています」と話す。
「1998年に(甲子園通算58勝の)中村順司監督から私に監督が代わった時から、野球部は縮小傾向にありました。野球部の監督は、優秀な指導力があっても、教団のことを理解している人間じゃない限り、務まらないんです。今後も、再開は難しいです。(事実上の廃部?)そうなるんと違いますか」
ボランティアで15年間、部員の身体のケアを行ってきた、あわしま鍼灸整骨院の粟島王仁三郎院長も口を揃える。
「私はね、教主と同級生なんですよ。その私でも、継続に向けて力になることはできなかった。トップが代わらない限り、存続はない。結局、人(人材)とお金が尽きたということですよ」
学園の発表する「休部」は、事実上の廃部だと野球部に近しい人々も証言するのだ。
※週刊ポスト2016年8月5日号