桑田真澄一覧

【桑田真澄】に関するニュースを集めたページです。

PL学園の黄金時代をスカウトとして支えた井元氏
甲子園通算99勝 KKコンビ獲得の伝説のスカウトが引退「もう潮時だ」
 部員から新型コロナ感染者が出たことにより、広島商がセンバツ甲子園の2回戦を辞退。大阪桐蔭が不戦勝で準々決勝へと駒を進めた。まさかの不戦勝で大阪桐蔭の西谷浩一監督は甲子園通算58勝となり、同じ大阪のPL学園をかつて率いた中村順司監督と並ぶ歴代2位の数字となった。PL学園の硬式野球部は2016年に休部しており、“大阪の覇者”は完全に入れ替わった格好だ。そうしたなか、中村監督が率いた黄金時代のPL学園の屋台骨を支えた「伝説のスカウト」が、昨夏にひっそりと現場を退いていた──『永遠のPL学園』(小学館文庫)の著者であるノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。【前後編の前編、後編を読む】 * * * 1962年に監督としてPL学園を初めての甲子園出場に導き、その後は野球部の顧問として全国の有望中学生に眼を光らせ、学園のある大阪府富田林に集めて常勝軍団を築き挙げた男がいる。高校野球の歴史上、随一の人気を誇ったPL学園硬式野球部(2016年に活動停止)を語る時、“伝説のスカウト”として必ず名の挙がる井元俊秀(いのもと・としひで、85)だ。 2002年にPLを追われた男は、青森山田で12年間、秋田のノースアジア大明桜でも8年間にわたってPL同様の役割を担い、近畿圏の中学生球児を東北へと送り出してきた。 60年以上に渡る高校野球との関わりの中で、これまで携わった3校で春夏の甲子園に出場した回数は計45回、通算の勝利数は99勝だ。この記録は甲子園通算68勝という歴代最多勝利記録を持つ智弁和歌山の前監督・高嶋仁の偉業と、個人的には同等に語り継がれてしかるべき業績と思っている。そして、プロに送り出した球児も総勢83人にのぼる。「本当はもう少しプロになった選手はおるんだけど、ボクがプロと認めていないのがおるから、その選手はカウントしていません」 深く刻まれた目元の皺をさらにギュッと寄せ、井元はニカッと笑った。およそ1年ぶりに会う井元は、千葉ロッテのキャップをかぶっていた。井元とやり取りするようになって6年以上経つが、特定の球団のキャップをかぶって姿を現したことはこれまで一度もなかった。 昨春に石垣島で行われていた千葉ロッテの春季キャンプに足を運んだ際、井元が明桜にスカウトし、同校からプロに進んだ山口航輝(2018年ドラフト4位)からプレゼントされたサイン入りのキャップだという。山口は現時点で、井元が最後に送り出した、“83人目”のプロ野球選手となる。 だが、今年7月に86歳になる井元が昨年8月、静かに高校野球界を去ったことを知る者は少ない。「コロナ禍でそうそう出歩けなくなってしまったし、出歩くことがしんどくなってしまった。幸いにして、車の運転はできるんだけど、足腰が弱ってしまってね。もうあちらこちらに飛び回ることもできないんです。持病もあるし、潮時かなと。未練なんてありません」KKコンビの才能をどう見極めたのか 昨年7月に話を聞いた時には現役続行の意向を明かしていた。その直後の急な心変わりは、昨夏に風間球打(2021年福岡ソフトバンク1位)を擁した明桜が甲子園に出場したことが関係しているかもしれない。風間は井元が勧誘した選手ではないものの、大エースを看板に明桜が甲子園出場を果たせたことで、「お役御免」を自覚したのかもしれない。 スカウトの仕事から離れたといっても、今も週末になると中学野球の現場に足を運ぶ井元がいる。「それは完全に趣味ですね。甲子園を見るよりも、中学野球のほうが面白いんですよ。ボクがよく足を運ぶチームに素晴らしいキャッチャーがおる。彼の成長を見守るのが楽しみでね。大阪桐蔭の西谷(浩一)君が声をかけとるらしいです(笑)。その子の進路にタッチしようとは思っていません。もちろん、相談されたら、アドバイスはするだろうけど、彼はボクが何者かなんて知らんでしょう」 PL時代において、スカウティングで苦労した思い出はいくらでもある。とりわけ、「逆転のPL」が代名詞となった1978年夏の選手権大会の優勝投手である西田真二(元広島)を口説き落とすために、和歌山にある西田の実家にはギネス級に日参した。「同級生の捕手・木戸克彦(元阪神)にも苦労しましたが、西田に関しては36回目の訪問でようやく決断してくれた。そうそうそう、3年時に甲子園には出場できませんでしたが、同じ和歌山出身の尾花高夫の時も大変でした。PLから社会人の新日本製鐵堺に進み、その後にヤクルトに入団した彼は(和歌山の)九度山出身だった。高野山に向かう途中の山の中に実家があり、1月の末頃に初めて訪ねた。すると私は道に迷ってしまって、草木を掴みながら山を上ってようやくたどり着いた。こんな山を毎日上り下りして学校に通っているんだから、相当、足腰は強いだろうと思った事を覚えております。後に、尾花をヤクルトにスカウトした片岡宏雄さん(2021年12月に逝去)もまったく同じことを話していましたね」 1983年夏から5季連続で甲子園に出場し、プロの世界で大投手、大打者となったKK(桑田真澄、清原和博)や、1987年に春夏連覇を達成した立浪和義や橋本清、片岡篤史、宮本慎也らも井元のお眼鏡に適った球児だった。KKに関してはもちろん、井元の中でも特別な選手だ。「(桑田は)キャッチボールからボールが違った。フォームが美しく、ボールに伸びがあった。回転も素晴らしかった。ピッチャーというポジションは、フォームに癖があってガクガクした動きをしていたり、手投げになったりしてしまう投手はなかなか2年半という高校生活の間では修正ができない。ですから、ボクが選手を見極めるときに大事にしていたのは、まずキャッチボールがしっかりできることだった。 清原に関しては、初めて見た時は引っ張り専門で、とにかく飛距離が印象に残った。私は学習院大学で野球をしていた頃、長嶋茂雄さんのバッティングを近くから見たことがある。ミートしてから20メートルぐらいの打球の初速と角度に希有なホームラン打者の才能が詰まっていた。清原のバッティングを見て大学時代の長嶋さんを思い出しました。全国制覇をするようなチームは、その3年前の段階で優勝できると確信できるものです。木戸と西田の時や立浪の時がそうでしたし、KKの時は野球をまったく知らない人間が監督でも優勝できると思っていました」大阪桐蔭の西谷監督から教えを乞われて 当時のPLは、全国の中学生が憧れる超名門であり、あらゆる手を使って息子をPLに入学させようという強引な保護者もいた。「ある時、OBを通じて宮崎の油津という場所に素晴らしい選手がいると情報が入ってきた。それでボクは、周囲に黙って視察に行ったんです。ところが練習を見ても、正直、PLで野球がやれるような実力ではなかった。どうも選手の母親が『PLから誘いが来ている』と周囲に吹聴していただけなんです」 1970年代後半から1980年代にかけてのPLの黄金期、井元が声をかけた球児は必ずPLの門を叩いた。高校野球に一時代を築いたPLの井元から声をかけられることは中学生にとって最大の誉れであり、甲子園への、そしてプロへの最短の道だった。それは1990年代に入ってからも続いた。大阪桐蔭の現監督である西谷浩一は、当時をこう振り返ったことがある。「どうやったらPLを倒せるか。そればかり考えていました。最初は、良い選手さえ獲れれば差は縮まると思っていました。ところが、誘ってもなかなか入学してもらえない。PLに『A(クラス)』の選手が行くとしたら、うちにはやや劣る『B』の選手しか来ない。そんな状況でPLと同じことをやっていたら、一向に差は埋まりません……」 若き日の西谷から、井元は教えを乞われたことがあるという。「『土下座でも何でもしますから、先生、どうしたら強くなれますか教えてください』『どうやったら欲しい選手を獲れますか』と言ってきましたね。ボクは一言だけ、『良いと思った選手がいたら、熱心にとにかく通うこと。これしかないよ』と伝えました」 しかし、ある時から潮目が変わった。そう井元は振り返る。「1999年だったかな。奈良の郡山シニアに行くと、175センチのショートと、168センチぐらいのセカンドがいた。どちらもPLへの進学を希望していて、どちらも右投げ左打ちの良い選手だったけれども、ボクはショートの子だけを獲った。その後、セカンドの子は大阪桐蔭に進みました。そして、PLのグラウンドで行われた春季大会で1年生から試合に出ていた彼に再会した。ちょうどお母さんもいらしていて、『先生、うちの息子は今でもPLに憧れています』と言われたことを覚えています。この選手が誰だか分かりますか?」 話の途中から察していた。その選手とは──千葉ロッテや阪神で活躍した西岡剛だ。(文中敬称略)【後編】につづく
2022.03.27 07:01
NEWSポストセブン
候補に挙がる巨人の元四番(時事通信フォト)
阿部慎之助でも桑田真澄でもない? 原監督の後継に浮上した意外な名前
 今オフに新たに3年契約を結ぶことが決まった巨人・原辰徳監督。在任15年間で9度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いた実績は申し分ないが、昨季はシーズン終盤の大失速で選手に覇気がなくなっているようにも感じられ、ファンからの批判も相次いだ。球団史上最長16年目の采配を振るう以上、リーグ優勝奪回が至上命題となる。そして、原監督に課せられたテーマがもう一つある。自身の監督の座を引き継ぐ後継者の育成だ。スポーツ紙記者は後継者育成の重要性についてこう指摘する。「2次政権の2015年オフに勇退した際は次期監督が決まっておらず、現役続行へ意欲十分だった高橋由伸(前監督)さんに打診して引退させるというバタバタぶりでした。あの監督人事を繰り返してはいけない。長嶋茂雄さん(巨人終身名誉監督)が原監督をヘッドコーチに置いて勉強させたように、原監督も次の監督を育てなければいけない。最有力候補は阿部慎之助一軍作戦兼ディフェンスチーフコーチになるでしょう」 阿部コーチは現役時代、球界を代表する捕手として、通算2132安打、406本塁打をマーク。「打てる捕手」の代表格だった。2019年で現役引退。翌年から2軍監督を務め、昨年はシーズン終盤に一軍作戦コーチに就任した。ただ、スポーツ紙デスクは「指導者としての評価は正直芳しくない」と指摘する。「2軍監督時代に選手を育てた実績が皆無に近い。選手に対して厳しくするのは良いと思うのですが、ぶっきらぼうな言い方に若い選手が戸惑うことも多いと聞いています。本来なら原監督がV逸したこのオフに阿部監督の誕生が考えられましたが、フロントはまだ早いと判断したのでしょう」 阿部コーチの他に、監督候補となるのが元木大介一軍ヘッド兼オフェンスチーフコーチ、桑田真澄投手チーフコーチだ。「元木さんは選手と監督の間をつなぐ中間管理職で活きる。戦略眼はありますが、監督としてトップに立つタイプではないと思います。桑田さんは理論派で選手個々の性格に合わせてアプローチをするので、投手陣からの信頼が非常に厚い。ただ、今年から投手コーチのトップになり結果が出なければ責任を問われる立場になる。先発陣に中4、5日で回る方針を打ち出していますが、昨年はその先発ローテーションに切り替えたシーズン終盤に大失速した。今年も結果が出ないようだと、監督候補からも遠のくでしょう」(同前) 他に人材はいないのか。そこで、テレビ局のスポーツ担当者が「指導者として非常に評判が良い」と語るのが二岡智宏2軍監督だ。現役時代は右方向に伸びるスケールの大きな打撃と強肩を生かした大型遊撃手として活躍。故障で坂本勇人に定位置を奪われ、日本ハムにトレード移籍したが、2014年に引退後は独立リーグ・富山GRNサンダーバーズの監督のほか、巨人で2軍打撃コーチ、1軍打撃コーチ、3軍監督を歴任。そして来季から2軍監督を務める。「2年連続2冠王に輝き、不動の4番として活躍する岡本和真は、大ブレークした2018年に打撃コーチとして指導した二岡さんの手腕が大きい。体の動かし方を言語化することに長け、教え方も丁寧で個々の選手の長所を引き出すのが巧い。クールなイメージがありますが熱血漢で、選手に対しても厳しさの中に愛情が感じられます。他球団の首脳陣の間でも『二岡はいい指導者になるよ』という声が非常に多い。原さんが勇退する数年後、二岡さんが監督になる可能性はあると思います」(前出のスポーツ担当者) 二岡2軍監督は巨人ファンから根強い人気を誇る。原政権の時に日本ハムにトレード移籍したが、両者の間にわだかまりはない。2軍監督として研鑽を積み、「二岡監督」が誕生する日は来るか。
2022.01.13 07:00
NEWSポストセブン
巨人・原辰徳監督の後継者は阿部慎之助コーチでもなく…(時事通信フォト)
巨人・原辰徳「全権監督」だから実現できた「コーチ人事」の功績
 終盤の大失速でセ・リーグ3連覇を逃し、クライマックスシリーズ(以下CS)のファーストステージでは2位の阪神に連勝したものの、ファイナルステージでヤクルトに1勝もできずに敗れ去った巨人。3度目の就任となった2019年から2連覇を果たし、通算1000勝を超えて“名将”の呼び声も高かった原辰徳監督が逆風に晒されている。 8月に日本ハムでチームメイトに暴力行為を働いて無期限謹慎処分になっていた中田翔を獲得し、すぐに一軍で起用した辺りから風向きが変わり始めた。ヤクルトとのCS第2戦では、8番の西浦直亨への敬遠を指示して代打の切り札・川端慎吾と勝負させ、傷口を広げた采配にも批判が集まった。プロ野球担当記者が話す。「終盤からCSにかけて、巨人には原監督にモノを言えるコーチがいないのかなという空気を感じました。中4、5日のローテーションがうまく機能しなくても続け、中田が打てなくても使い続けた。CSでの采配もベンチで疑問に思ったコーチもいたはずです。それでも、全て作戦が実行され、成功しなかった」(以下同) 来季の首脳陣が発表されたが、阿部慎之助作戦兼ディフェンスチーフコーチ、亀井善行外野守備兼走塁コーチなど40代以下が目立っており、ほとんどのコーチが原監督の元で選手時代を過ごしている。一軍コーチ陣で原監督の現役時代を知るのは元木大介ヘッド兼オフェンスチーフコーチ、桑田真澄投手チーフコーチ、村田善則ブルペンコーチの3人だけとなった。「一軍で原監督と最も近い年齢の首脳陣は10歳下の桑田真澄コーチ。年上は1人もいません。どの球団も監督が暴走しかけた時に、コーチがどう止められるかは重要です。桑田コーチにその役割を期待したいところですが……。 コーチの若返りは、ポスト原政権を考えた布陣だとも言えます。ただ、巨人は今年そうだったように優勝しないと叩かれるのが宿命。1年1年が勝負。コーチにも経験は必要ですが、1人、2人ベテランの指導者がいても良かったように思います」 最近は、選手補強やコーチ人事など“全権”を掌握している原監督へ厳しい目が注がれている。一方で、“全権”だからこそ開けられた風穴もあるという。「以前の巨人は現役時代に自らチームを出て行ったものに厳しく、引退後のコーチ就任など考えられませんでした。そのため、巨人を飛び出してメジャーに移籍した桑田真澄氏、移籍こそしなかったもののFA宣言した槙原寛己氏、生え抜きとして唯一国内球団にFA移籍した駒田徳広氏などの復帰はなかった。 しかし、昨オフは巨人退団時の経緯から自身との確執が噂されていた桑田氏を呼び戻し、今オフは駒田氏を三軍監督に据えた。原監督は従来の巨人にあった排他的な不文律を一掃しました。この功績は大きいと思います。そのため、FAでメジャーに行った上原浩治が近い将来、コーチに就任する可能性もあります」 結果が全てのプロ野球界。来季の今頃、原監督は再び“名将”と呼ばれているかどうか。
2021.11.17 19:00
NEWSポストセブン
斎藤佑樹が大学に進学せず高卒でプロ入りの道を選んだらどうなっていたのか?(時事通信フォト)
11年で15勝の斎藤佑樹 高卒でプロ入りしていたらどうなっていたのか
 早稲田大学から2010年のドラフト1位で日本ハムに入団した「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹が、今季限りで引退する。故障に泣いたこともあり、プロ生活11年で15勝しかできなかった(10月16日現在・以下同)。 2006年夏の甲子園決勝で、早稲田実業の斎藤佑樹は駒大苫小牧の田中将大(現・楽天)と投げ合い、決勝再試合の末に優勝投手となった。野球ファンの間で話題になるのは、「もし斎藤が高校卒業直後にプロ入りしていたらどうなっていたのだろうか」という点だ。プロ野球担当記者が話す。「当時から言われていたことですが、大学に進学するのは主にドラフトで指名されない、もしくは下位指名になりそうな選手がほとんど。上位指名が確実視される中、将来的にプロを目指す選手がわざわざ進学するケースはあまりない。高校時代に斎藤佑樹がプロ入りを表明していれば、複数球団が1位指名を検討したのではないでしょうか。 線の細い彼は大学4年間でプロに通用する体づくりをする目的もあって進学したが、結局それを果たせたとは言い難い。大学2年の時に股関節を故障したことも、プロ入り後に活躍できなかった一因でしょう。斎藤以前から甲子園を沸かせた投手の中には、大学でケガに泣いて野球人生の歯車が狂った選手が何人もいました。だから、高校生の時に上位指名される実力があるなら、プロ入りするに越したことはないと思います」(以下同) 1991年、春の仙台育英戦でノーヒット・ノーランを達成し、夏には優勝投手に輝いた大阪桐蔭の和田友貴彦は「神宮で野球をやるのが夢」と先輩も多い東洋大学に進学。2年のリーグ戦で春秋合わせて11勝を挙げる大車輪の活躍を見せた。しかし、その後は故障続きで、プロ入りは叶わなかった。 1994年夏の準優勝投手である樟南(鹿児島商工)の福岡真一郎は九州産業大学1年の4月の福岡教育大戦で、11打者連続奪三振という福岡六大学野球の記録を樹立。この試合は延長12回188球完投勝利と幸先の良いスタートを切ったが、秋に右肩を痛め、思うようなボールが投げられなくなった。2人とも、プロ入りには至らなかった。1年目は活躍できなくても2年目で飛躍する選手は多い「斎藤と同じように、甲子園で大活躍した線の細い投手といえば、桑田真澄(PL学園→巨人→パイレーツ。現・巨人投手チーフコーチ補佐)が思い出されます。当初、早大進学を表明していたが、巨人に1位指名されてプロ入りした。密約説なども疑われましたが、桑田真澄の野球人生を考えた場合、高卒でプロ入りして正解だったでしょう。1年目こそ2勝に終わりましたが、2年目に15勝を挙げて沢村賞と最優秀防御率を獲得。4年目までに44勝をマークしています。少なくとも大学に行っていたら、この分の勝ち星はなかった」 斎藤や桑田と同じ甲子園の優勝投手である松坂大輔は、横浜高校から西武に入団。1年目から3年連続最多勝に輝き、4年で51勝を記録した。高校3年の時に春夏連覇を果たした大阪桐蔭高校の藤浪晋太郎は阪神入団1年目から3年連続2桁勝利、4年で42勝している。甲子園で斎藤と投げ合った田中将大は楽天に入って、4年で46勝を挙げた。「平成で高卒1年目から2桁勝ったのはこの3人だけですから、斎藤が高卒1年目から活躍したかどうかは未知数です。しかし、桑田の例もありますし、ヤクルトの奥川恭伸は1年目こそ1試合のみの登板でしたが、2年目の今年は9勝を挙げている。 他にも涌井秀章(西武)は1勝→12勝、前田健太(広島)は1軍登板なし→9勝、松井裕樹(楽天)は4勝→3勝33セーブ、山本由伸(オリックス)は1勝→4勝32ホールドと、高卒2年目に飛躍した投手はたくさんいます。もし斎藤が高卒からプロ入りしたら、2年目、3年目辺りから活躍したかもしれない……と夢想してしまいますね。 プロと大学では体へのサポート体制も全然違いますし、大学時代の故障も避けられたかもしれない。そんな意味のない妄想をしてしまうほど、斎藤佑樹という投手には魅力がありました」 2006年夏に日本中を沸かせてから15年。10月17日のオリックス戦(札幌ドーム)の引退試合を最後に、1人のスターがマウンドを降りる。
2021.10.17 07:00
NEWSポストセブン
桑田真澄、清原和博
甲子園20勝の桑田真澄 球数は「週500球以内」の現行ルール内だった
 1年夏から甲子園制覇を果たし、5季連続出場、3年夏も深紅の大優勝旗を手にする──100回を超える歴史のある夏の高校野球において、1983~1985年のPL学園における桑田真澄と清原和博ほど鮮烈な印象を残したコンビはいない。 PL学園の1期生で、1962年に監督として同校を初めて甲子園出場に導いたあとは選手を勧誘する担当となった“伝説のスカウトマン”井元俊英、PL学園の名将・中村順司、リトルシニア時代から清原と対戦経験があり、のちにPL学園でチームメイトとなった今久留主成幸らが明かす「KK秘話」とは。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がリポートする。(文中敬称略) * * * 2016年に休部となるまで、PLグラウンドのレフト後方には、屋内練習場が建っていた。 清原の打球はレフトのネットを越え、屋内練習場の屋根に頻繁に当たった。嘘か真か、そうしたド派手なパフォーマンスに機嫌を損ねる先輩がいたから、気兼ねした清原がライト打ちをマスターしたとも囁かれる。「飛んでいくんだから仕方ない。それも竹バットでオーバーフェンスするんですから。僕ら小物は、先輩の目を気にして、良い当たりをしたあとなんかは送りバントの練習に切り換えたりしていましたが、清原君はそんなことありませんでした」(今久留主) KKのふたりは1年夏の甲子園で夏春夏の3連覇がかかったあの池田と対戦し、桑田が投げるだけでなく、相手エース・水野(雄仁)から一発を放ち、勝利する。清原も決勝の横浜商戦でラッキーゾーンに第一号アーチを架けた。「清原には遠くへ飛ばす力と技術があった。その代は体が小さな選手が多かったから、チームのバランスを考えても清原は不可欠な存在でした」 中村はそう振り返る。 KKが2年生の秋、PL学園は秋季大阪大会準決勝で上宮と対戦する。同校の捕手は、大正中学時代の桑田とバッテリーを組んでいた西山秀二(元広島ほか)だ。現在、ラジオ日本で解説者を務める彼は、プロ時代も含めて、桑田ほど正確なコントロールの投手を知らないと語る。「桑田のボールを受けたことで、構えたところに放れるピッチャーが当たり前のように中学生の僕は思っていた。だから当時は、桑田がすごいとは思っていなかった。 でも、別の高校に入学すると、現実は違った。もっと言うと、僕がプロに入ってから、正確なコントロールで驚いた投手は(広島のエースだった)北別府学さんだけでした。つまり、桑田は中学生の時点で、プロのトップレベルと同じぐらいのコントロールを持っていたんです」キヨはバットを振ればいい 清原にとって大きな挫折は最上級生となって迎えた1985年のセンバツ、準決勝で伊野商業に敗れた試合だ。相手のエースはのちに西武で一緒になる渡辺智男。清原は3三振を喫した。その日の夜の屋内練習場では、清原が上半身裸で、体から湯気を出しながら剛速球を打ち込んでいる姿が幾人にも目撃されている。 この頃、井元は清原にアドバイスを送ったことがある。夏場の連戦に向け、清原の下半身に疲労が蓄積することを井元は危惧していた。ゆえに、足腰を鍛えておいたほうがいい。そんなつもりで清原に声をかけた。「桑田に頼んで一緒に走ったらどうだ?」 すると明くる日、清原から「断られました」という報告を受けた。井元は、桑田に理由を訊ねた。「どうも『僕のペースには絶対についてこられない。オレは走るから、キヨはその時間、バットを振ればいい』と伝えたらしいんです。以来、清原は全体練習終了後にグラウンドの外野フェンス沿いを素振りしながら何周もするようになった。その後は屋内でティバッティング。それが終わるタイミングに、ゴルフ場を走ってきた汗だくの桑田が帰って来るんです」 桑田は5回の甲子園出場で、学制改革後は最多となる通算20勝を挙げた。25試合に登板し、イニング数は197回と3分の2。防御率は1.55だ。 ただし球数は少なく、1985年のセンバツ準々決勝天理戦ではわずか82球で3安打完封した。今春から導入された「1週間に500球以内」という甲子園の球数制限に照らしても、桑田がそれに抵触するケースはなかった。中村が証言する。「当時の甲子園は、少なくとも準々決勝から3連投でした。桑田には『3連投に耐えられる体を作ろう』と話していた。桑田なりに考え、ノースローの時期を作ったりして、私もそれを容認しました。当時から『肩は消耗品』という認識を持って取り組んでいましたね」 1983年から1985年までは、元朝日放送アナウンサーの植草貞夫の言葉になぞらえるなら、「甲子園はKKのためにあった」だろう。 2001年にPL学園の暴力問題が発覚すると、井元はPLを追われ、その後、青森山田、そして現在は秋田のノースアジア大明桜で同様の役割を担っている。PL以外でもプロ選手を誕生させた。「PLに戻って野球部監督となったのが25歳の時。ちょうど60年。ようやってきたと思います」 甲子園に5季連続で出場した選手は、早稲田実業の荒木大輔(元ヤクルトほか)、最近だと智弁和歌山の黒川史陽(現楽天)など、過去に12人いるが、KKのようにふたり揃って抜群の実績を残したケースはない。「あれほどの才能が同じチームにそろって、4回も甲子園の決勝に進出する。そんなことは二度と起こらないでしょう」 伝説のスカウトマンは引退を考えているのだろうか。KKを回顧する言葉を受け、ふとそんなことが脳裏をよぎった。【プロフィール】柳川悠二(やながわ・ゆうじ)/ノンフィクションライター。1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中からスポーツ取材を開始し、主にスポーツ総合誌、週刊誌に寄稿。著書に『永遠のPL学園』(小学館文庫)。2016年、同作で第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞。※週刊ポスト2021年8月20日号
2021.08.10 07:00
週刊ポスト
KKコンビは今も語り継がれる(写真/AFLO)
KKコンビをPLに導いた伝説のスカウトマン「努力の天才が2人いた」
 1年夏から甲子園制覇を果たし、5季連続出場、3年夏も深紅の大優勝旗を手にする──100回を超える歴史のある夏の高校野球において、1983~1985年のPL学園における桑田真澄と清原和博ほど鮮烈な印象を残したコンビはいない。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が、PL学園の伝説のスカウトマンや最強世代の同級生が驚愕した「KK秘話」をいま明かす。(文中敬称略) * * * 85歳になる井元俊秀に指定されたのは、PL学園の最寄りとなる近鉄喜志駅から10分ほど歩く国道沿いの喫茶店だった。 伝説のスカウトマンとして、高校野球の世界で知る人ぞ知る井元との付き合いは6年になる。日焼けした肌は傘寿を過ぎているとは思えないほど若々しく、何より記憶力と、現場に通い詰める健脚ぶりにはいつも驚かされる。 ところがこの日は様子が違った。井元は杖をついて車から降りてきて、もともとの痩身がさらに痩せ細った印象を受けた。「あんたとも(中学硬式野球である)ボーイズの練習を見に行ったことがあったよね。子どもたちの練習なら、何時間だって眺めていられるんです。ところがコロナで大会が中止になり、練習も自粛となった。出かけることがめっきり少なくなり、足が衰えてしまった。さすがに年なのかなあ」 井元はPL学園の1期生で、1962年に監督として同校を初めて甲子園出場に導いたあとは、選手を勧誘する担当として、名将・中村順司と共に常勝軍団を築いた。もちろん、桑田真澄、清原和博のKKコンビも井元が入学に導いた。井元は言う。「5季連続で甲子園に出場して、桑田は20勝、清原は13本塁打を打った。あの時代、PLには努力の天才がふたりいた」 甲子園通算58勝、驚異の勝率8割5分3厘を残した元監督の中村は、桑田が大正中学2年生で、準硬式野球部に所属していた時に投球を目にする機会があった。その日は大阪大会の決勝で、相手中学のエースだった清水哲(のちにPLに進学)と投げ合った桑田は敗れている。「私は入学してくれた選手たちはフラットな目線で指導するのを信条としていた。特別な印象は覚えていません」(中村) 一方、井元が桑田をはじめて見たのは八尾フレンド(硬式)の練習に参加していた時だ。中学野球部を引退した桑田は、高校入学までの間、小学生時代に所属したチームで練習をしていた。「高校野球で活躍する投手は身長が174~175cmぐらいという持論が当時の私にはあった。PLでも体の大きかった尾花高夫や金石昭人などは、プロ野球の実績から考えると、高校時代は活躍できていません。現在のように大型の選手を成長させるトレーニングや医学的な知識がありませんでしたから」 その頃の桑田の身長は172cmぐらいだった。身長が伸びることを想定すれば、井元が理想とする体格といえた。「キャッチボールから違った。フォームが美しく、ボールに伸びがあった。ボールの回転もいい。すぐにご両親とお会いした。お父さんが社交的な人でね、息子のことをよく自慢しておった」 井元にとって清原との出逢いも忘れられない。泉大津の公園で練習していた岸和田シニア(硬式)を視察した時のことだ。広い公園の外野に、清原はとてつもない当たりを連発していた。当時は引っ張り専門のプルヒッターの印象だった。「学習院大学時代に、静岡県伊東市でキャンプを張っていた立教大の長嶋茂雄さんのバッティングを見たことがある。ミートしてから20mぐらいの打球の初速と角度に希有なホームラン打者の才能が詰まっていた。清原のバッティングを見て大学時代のチョーさんを思い出しました」入学前の“秘密合宿”で… 今久留主成幸は、自身が小中学時代に在籍した摂津リトルシニアと、清原の岸和田リトルシニアが大阪府の覇を争うライバル関係にあったこともあり、小学生の時から清原とは対戦経験があった。「関西では有名な選手で、体がとにかく大きかった。中学時代に神宮球場で対戦したこともあり、その時はセンターのフェンスを直撃する弾丸ライナーの二塁打を打たれたのが記憶にあります。清原君とは高校で一緒になるわけですが、その頃、関西で目立った選手はだいたいPLに入学しました」 1983年にPL学園の野球部に入部した31期生は27人(途中2人が退部して最終的には25人)。彼らが生まれた1967年は、丙午であることを忌避して出産を控える家庭が多かった前年の反動で、出生数が増加した。 寮のあるPLは、大阪府の私学連盟から「地方の子ども達を積極的に入学させてほしい」と依頼があり、野球部も地方出身者が多かった。ところが、この年は私学連盟から「生徒があふれることも考えられるため、大阪の子どもも入学させてほしい」と伝えられていた。そうしたいきさつがあり、大阪出身のKKも同時に入学。通常は一学年20人前後のPLにあって、27人が入部したのだ。 実は入学前の1月に、27人は鹿児島県の指宿に集められ、合宿が行なわれた。入学もしていない入部予定者だけでの合宿など当時も現在も許されていない。時代が黙認したのだろう。 今久留主は井元のこんな訓示から合宿がスタートしたことを覚えている。「春夏連覇できるメンバーを揃えたので、まず顔合わせをしたかった」 中学時代に所属したリーグごとに選手が固まる中、少数派である準硬式の桑田は寡黙な印象で、輪の中に積極的に加わろうとはしなかった。しかし、キャッチボールの相手を捕手の今久留主が務め、距離が40mほどに伸びた頃、桑田から「座ってほしい」と依頼された。「なんやこいつ偉そうに、って。そしたら地を這うようなボールがど真ん中に来た。ファーストインパクトにみんな驚いた」 PL学園から明治大、そして1989年のドラフトで大洋に入団した今久留主は西武を経て引退したのち、大洋でスカウトを務めた。その時、選手を見定める際の基準としたのが指宿合宿だったという。「桑田君のランニング時の蹴り足の強さ、清原君や田口(権一。KKと共に1年夏よりベンチ入りした投手)君の姿勢の良さや野球への取り組み方。もちろん、PLでは入学後、いろいろあって背中が丸くなっていくんですが(笑)、大成する選手の姿勢を見定めるうえで、あの時の原体験が判断の基準となっています」 KKはPL学園の入学前から伝説を残していた。 井元は桑田の入学を前に、社会人野球・神戸製鋼を率いて都市対抗を制した経験などがある清水一夫に、桑田への指導を依頼した。「今度、凄いピッチャーがPLに入学する。とにかく良い子で、特別な才能があると思うんです」 仕事が落ち着いていた時期で、二つ返事で了承した清水は、やはり桑田のキャッチボール姿を見ただけで、井元に伝えた。「この子は素晴らしい。将来が楽しみだ」 当初、3週間の指導の予定が、いつしか夏までに延びていた。桑田は清水との出逢いによって、カーブが曲がるようになったと証言している。【プロフィール】柳川悠二(やながわ・ゆうじ)/ノンフィクションライター。1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中からスポーツ取材を開始し、主にスポーツ総合誌、週刊誌に寄稿。著書に『永遠のPL学園』(小学館文庫)。2016年、同作で第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞。※週刊ポスト2021年8月20日号
2021.08.09 07:00
週刊ポスト
山口俊投手は日本で再度活躍できるか(時事通信フォト)
巨人出戻り山口俊の「前途多難」 桑田コーチ、菅野との相性も懸念
 6月10日、巨人は米マイナーリーグでプレーしていた山口俊投手(33)との契約を発表した。2019年に巨人で最多勝、最高勝率、最多奪三振の投手3冠に輝いた元エースの出戻りは、首位・阪神に大差をつけられたチームを救う起爆剤になるかと思いきや、番記者たちの評価は低い。「原(辰徳)監督は『先発の中に入ってくれれば』と期待するが、山口は昨年メジャーで2勝しか挙げられず、今年はマイナーリーグで5試合投げて0勝3敗、防御率6.17と絶不調です。しかも今年はメジャーでの2年7億円の年俸が保証されるため、ハングリー精神に欠ける。以前のような活躍は期待できないとの評価も多く、日本復帰の際に手を挙げたのは巨人だけでした」(巨人番記者) 山口不在の間に巨人のチーム事情が様変わりしたことも不安要素となっている。とりわけ心配されるのが、桑田真澄・投手チーフコーチ補佐との関係だ。「山口の酒癖の悪さは有名で、2017年には酒に酔った状態で訪問した病院で警備員にケガを負わせるトラブルで騒がせたこともあった。規律を重んじる“風紀委員長”の桑田コーチとの衝突を球団関係者は恐れています。 投手の精神面のフォローが主な仕事の桑田コーチは、打たれた投手にベンチで懇々とアドバイスしますが、説教に聞こえるようで嫌がる選手もいる。良好な関係だった菅野智之(31)も右ひじを故障してから桑田コーチと距離を置いている」(同前) 菅野と山口との関係も良好とは言えない。「菅野は『野球に対する姿勢が違う』と、山口とはほとんど口も利かない関係でした。昨オフに菅野がメジャー交渉をした時、移籍先として候補に残ったのが当時山口が所属していたブルージェイズだったが、金額面が折り合わなかっただけでなく山口とチームメイトになりたくなかったのも断念した理由と囁かれたほど。山口、桑田コーチ、菅野の不協和音が広がれば、阪神追撃は絵に描いた餅になる」(同前) それぞれ輝かしい成績を挙げた新旧Gエースの“3本の矢”は、束になると脆さを露呈しそうだ。※週刊ポスト2021年7月2日号
2021.06.18 16:00
週刊ポスト
3試合全てで110球以上、7回以上を投げている高橋優貴投手(時事通信フォト)
桑田真澄コーチの「完投改革」早くも浸透 巨人先発陣の球数の変化
「中6日なら先発は135球で完投すべき」。巨人の桑田真澄投手チーフコーチ補佐は1月の就任時からこう訴え、先発に球数と完投を意識させてきた。はたして、その効果は出ているのだろうか。 ローテーションが3周した18試合消化(4月15日)時点で、巨人の昨年と今年の先発の球数、イニング数を比べてみよう。【2021年】9勝6敗3分110球以上:8人、110球未満~100球以上:5人、100球未満:5人7回以上:12人、7回未満:6人【2020年】10勝7敗1分110球以上:2人、110球未満~100球以上:3人、100球未満:13人7回以上:3人、7回未満:15人 完投数は昨年と今年ともに1で変わらないものの、球数とイニング数は圧倒的に今年のほうが多くなっている。桑田コーチの意識付けが早くも形となって現れている格好だ。 昨年はイニング数関係なく、ほとんどの先発が100球前後で降板していた。110球以上投げたのは7月3日中日戦の菅野智之(122球・完投)、7月9日阪神戦のメルセデス(112球・6回3分の2)のみだった。 しかし、今年は100球を超えても、もう一踏ん張りさせている印象だ。特に、期待の若手が成果を挙げている。今村信貴は3試合中2試合で110球以上を投げ、3度目の4月11日の広島戦で142球完封勝利。高橋優貴は3試合全てで110球以上、7回以上を投げ、未だ自責点1に抑えている。畠世周は初先発の4月7日の阪神戦では3回途中でノックアウトされたものの、14日の中日戦では完封、完投こそ9回に逃したが、121球で8回3分の1を投げた。 菅野、戸郷翔征に次ぐ若手の台頭で、投手陣が確実に底上げされている格好だ。 先発が長いイニングを投げることで、リリーフ陣の負担も減っている。 昨年は18試合時点で、先発含め3投手以下で乗り切ったのは4試合だけだったが、今年は10試合と2.5倍増に。逆に5投手以上使った試合は、昨年の10から5と半減。1試合平均投手起用人数は4.78から3.44と少なくなっている。 主力打者に新型コロナ陽性者が出たこともあって、12試合連続3得点以下という球団ワーストタイ記録を作りながらも、2位に位置している要因は先発投手陣の奮闘にあるのではないか。 現段階で、早くも桑田コーチの意識改革がチームに浸透し、結果が出始めている、と言っていいだろう。
2021.04.16 16:00
NEWSポストセブン
大減俸の野上亮磨、復活のカギは?(時事通信フォト)
巨人・野上亮磨に中継ぎでの復活に期待の声 カギは桑田コーチか
 3月9日、巨人はソフトバンクとのオープン戦で3対5で敗れ、2019年の交流戦からオープン戦、日本シリーズを含め、12連敗を喫した。その中で、朗報もあった。一昨年秋に左アキレス腱を断裂して以来、1軍登板のない野上亮磨が2回を投げて、4奪三振無失点と上々の投球を見せたのだ。プロ野球担当記者が語る。「野上は先発で11勝を挙げた2017年オフに西武からFA移籍し、3年契約を結びました。しかし、4勝、1勝、0勝と3年間で5勝しか挙げられず、昨年オフには1億2000万円ダウンの年俸3000万円で契約を結んだ。背水の陣ですが、層が厚いとは言えない中継ぎ陣の一角として期待されるのでは」 巨人は、昨季途中から中継ぎに再転向した田口麗斗をヤクルトへトレード。DeNAからFA移籍の井納翔一、ドラフト1位の平内龍太は先発候補で、主だった中継ぎの新戦力はいない。「ドラフト4位の伊藤優輔は大化けする可能性を秘めていると思いますが、現時点では計算できない。昨年は楽天から移籍の高梨雄平、4年目の大江竜聖が活躍しましたが、2人とも終盤戦は打たれた。今年も同じ数字を残せるかわかりません。桑田真澄投手チーフコーチ補佐が『中6日なら先発は135球で完投』を掲げており、昨年に比べれば完投数は多くなるでしょうけど、激増するとは考えにくい。中継ぎは何枚いてもいい。野上はロングリリーフもできるし、貴重な戦力になりますよ」 過去に巨人にFA移籍しながら先発で結果を残せず、中継ぎ転向で活躍した投手もいる。 1994年オフに広島から移ってきた川口和久は、移籍1年目に17試合に先発したが、4勝6敗と低迷。2年目の1996年も先発として起用されたが、結果が出なかった。しかし、8月末にリリーフ専門になると好投を続け、優勝の懸かった10月6日の中日戦では胴上げ投手に。最大11.5ゲーム差から逆転優勝をした“メーク・ドラマ”の立役者の1人となった。 2013年オフに広島から巨人に移った大竹寛は、移籍1年目こそ9勝を挙げて優勝に貢献したが、その後は鳴かず飛ばず。年俸は最高時の1億円から2625万円まで落ちたが、2019年はシュートを武器に貴重な右の中継ぎとしてフル回転した。「川口は、現役時代に“8時半の男”と呼ばれた元祖・抑え投手の宮田征典2軍コーチにリリーフ転向を勧められ、フォーム改造に取り組んでボールにキレを取り戻した。大竹は、高橋由伸監督最終年の2018年は1軍で2試合しか投げておらず、オフに自由契約になる見込みだったが、復帰した原辰徳監督の『寛ちゃんは使えるよ』という鶴の一声で残留が決定。原監督は大竹の起用法を心得ており、中継ぎで再生させた。いずれも、指導者との出会いで復活した。今年、巨人には桑田真澄投手チーフコーチ補佐が加わった。野上と同じように大怪我を経験しているし、潜在能力を引き出してくれるかもしれません」 桑田は現役時代、34歳の2002年、12勝を挙げて最優秀防御率に輝き、チームを日本一に導いた。それまでの2年間は5勝、4勝と低迷しており、見事な復活劇だった。追い込まれた人間は強い。6月で34歳になる野上の野球人生はまだ終わっていない。
2021.03.10 16:00
NEWSポストセブン
巨人時代、ホームランを打った翌日もマスクを被れない日があったという(左が大久保博元。時事通信フォト)
デーブ大久保「桑田に避けられていた」 バッテリー時の試合成績は…
 今季、15年ぶりに桑田真澄が投手チーフコーチ補佐として古巣・巨人に復帰した。電撃的なコーチ就任が発表される直前の1月12日、YouTubeの『デーブ大久保チャンネル』では〈槙原さんが禁断の質問「デーブ、桑田に嫌われてたの?」〉というタイトルで、元巨人の大久保博元とゲストの槙原寛己が現役時代を振り返っていた。 当時、大久保はホームランを打った翌日にもかかわらず、スタメンマスクを被れないことがあった。その試合は桑田の先発日と重なることが続いたため、師匠と仰ぐ中畑清打撃コーチ(当時)に「僕、桑田の時、外れるのアレなんかあるんですか?」と聞くと、「あれ? お前知らないのか。桑田がお前に受けてほしくないって言ったんだよ」と答えられたという。 デーブこと大久保博元は1992年5月、中尾孝義との交換トレードで西武から巨人へ移籍。「ホームランを打つと負けない」という“デーブ神話”も生まれ、最下位に沈んでいたチームを首位に押し上げる原動力となった。 この年、桑田真澄は10勝14敗と2桁勝利を挙げたものの、防御率4.41は規定投球回以上の投手でワースト2位。6月から7月にかけてチームの10連勝、4連勝、7連勝を全て止めてしまい、“連勝ストッパー”の汚名を受けた。巨人は2ゲーム差でヤクルトに優勝を明け渡し、前年16勝の桑田は期待の高さゆえに戦犯扱いされた。 同年オフに長嶋茂雄が監督として巨人に復帰。前年に猛打を爆発させていた大久保は1993年の開幕マスクを勝ち取り、序盤からアーチを連発。一時はホームランダービートップになるほど打ちまくった。4月27日には、1対3とリードされた敗色濃厚の9回表、横浜の佐々木主浩から逆転3ランを放ち、ヒーローとなった。 しかし翌日、スタメンが発表されると、捕手は大久保ではなく、村田真一だった。日刊スポーツは〈桑田、大久保と相性合わず スタメンに村田真一〉と見出しを打った。桑田はコメントを求められている。〈僕はだれだって構いません。いつも言っているじゃないですか。毎日を楽しく過ごせればそれでいいんです〉(1993年4月29日・日刊スポーツ) この日は雨天中止になったが、桑田スライド登板の29日はやはり村田がマスクを被った。 調べてみると、たしかに桑田と大久保の相性は良くなかった。1992年、桑田が先発した試合は5人の捕手がマスクを被り、大久保は最多の12試合だったが、成績は以下になる。大久保博元:12試合3勝7敗吉原孝介:10試合5勝4敗村田真一:5試合2勝3敗中尾孝義:1試合0勝0敗藤田浩雅:1試合0勝0敗 5月13日、桑田と大久保が初めて先発バッテリーを組んだヤクルト戦では3失点の完投負けだったが、その後5試合中4試合で、5回途中以下でKOされている。8試合目の7月15日の大洋戦でようやく初勝利を完投で飾ったが、後半戦の初戦は打ち込まれた。それでも、8月6日のヤクルト戦では完封、12日の広島戦では延長12回を196球の完投勝ちをしている。 1993年、桑田は開幕直後の2試合は大久保とバッテリーを組んだ。しかし、4月13日の中日戦は落合博満、中村武志、立浪和義にホームランを浴びて5回自責点4でノックアウト。21日の中日戦は8回自責点2だったが、2度の暴投がいずれも失点に繋がった。5回には無死一塁から大久保が後逸し、一塁ランナーの立浪が三塁まで進んだ。直後、種田がスリーバントスクイズを決め、この1点が大きく伸し掛かり、巨人は2対3で敗れた。同年、桑田の暴投5つのうち、2つはこの試合で生まれていた。結局、この日を最後に公式戦での2人のコンビは消滅した。 翌年のオープン戦では3月18日の日本ハム戦(水戸)でバッテリーを組み、桑田は5回2安打無失点に抑えている。しかし、開幕直前の3月31日の横浜戦(東京ドーム)で、桑田が5回表に1イニングだけ登板すると、34球で4安打3四球4失点と大崩れした。この年、2人が先発バッテリーを組むことはなかった。 公式戦では1993年4月21日を最後に、大久保が引退する1995年まで2人の先発バッテリーは一度もなかった。1992年から1993年にかけて先発コンビを組んだ14試合の成績は、防御率4.21で3勝9敗に終わっている。 デーブ大久保は2月11日のYouTubeチャンネルでも、桑田とのバッテリーが少なかったことに言及。「(桑田は)コントールが良いから、本当にリードが試されるピッチャーなわけ。だから、村田さんの方が絶対良いわけ。リードは村田さんの方が全然俺より上だから。経験が違う。だからもう諦めた、最後は。最後は(1学年下だが)『桑田さん』と呼んでたもん(笑)。でも、アイツも威張らないんだよ、真澄も」と穏やかに話した。 謙虚な大久保だが、1994年にはJ.ジョーンズの先発時には1試合を除いて全てスタメンマスクを被り、7勝を挙げさせている。4月27日の来日初勝利の時には、ホームランで華を添え、長嶋監督も〈大久保のリードがよかった〉(1994年4月28日・読売新聞)と褒めている。8月16日の中日戦では7回裏に先制の8号ソロを放ち、ジョーンズ、橋本清、石毛博史の完封リレーを演出。最後はマスクを村田に譲ったが、1対0の勝利の立役者となった。また、西武との日本シリーズでも第3戦にジョーンズとバッテリーを組み、チームを勝利に導いた。 誰しも相性はある。大久保が移籍してきた1992年、1993年の桑田は全体的に不調だった。そんな巡り合わせもあっただろう。もしトレードが1年早ければ、違う結果が生まれた可能性もゼロではない。(文中敬称略)■文/岡野誠:ライター、松木安太郎研究家。NEWSポストセブン掲載の〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉(2019年2月)が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。本人や関係者への取材、膨大な一次資料、視聴率などを用いて丹念な考察をした著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)が話題に。
2021.02.18 16:00
NEWSポストセブン
桑田真澄氏、菅野智之氏
巨人キャンプ、すでに火種も 桑田コーチとエース菅野の微妙な関係
 2021年のプロ野球キャンプは史上初の無観客開催となった。昨季のセ・リーグ覇者・巨人のキャンプにおける話題の中心は、15年ぶりの「出戻り」となった桑田真澄投手チーフコーチ補佐(52)だが、絶対的エース・菅野智之(31)との関係は微妙なようだ。野球評論家の江本孟紀氏も懸念を口にする。「菅野は自分の理論を持っているので、桑田の役割が中途半端にならないか心配ですね。これもいい効果を生めばいいが、逆効果となる危険がある」 すでに火種はある。キャンプ直前のスポーツ報知(1月27日付)のインタビューで桑田コーチは「(先発投手には)135球は投げてもらいたい。5、6回で降りるようでは先発の責任は果たせていないと思う」と発言。菅野でも平均が108.85球だったことを聞くと「嘘でしょ」と絶句した。 さらに、桑田コーチは「今の時代の投手は球種が多すぎる」と、変化球の“量”より“質”を求める方針を掲げたが、菅野は「(桑田コーチに)カーブを教わって投球の幅を広げたい」と、かみ合わない。「これまで菅野にアドバイスできたコーチは斎藤雅樹さんぐらい。それでも原(辰徳)監督が桑田さんを起用したのは、メジャー再挑戦を目指す菅野のモチベーションにつながると考えたから。しかし、菅野はすでにメジャーで成功したダルビッシュ有や前田健太に話を聞いている。桑田はメジャーでは未勝利ですからね……」(在京スポーツ紙デスク)※週刊ポスト2021年2月19日号
2021.02.09 19:00
週刊ポスト
2年で年俸が約4倍になった中川皓太(時事通信フォト)
かつては巨人も出し渋り 年俸から見る「中継ぎ投手陣」の地位の変化
 先発は中6日100球──。いつの間にか、日本球界にはそんな“常識”が定着するようになった。しかし、今季から巨人の投手チーフコーチ補佐に就任した桑田真澄氏はこの風潮に異議を唱え、「中6日なら135球完投を目指すべき」だと主張している。 かつてのプロ野球は“先発至上主義”で、中継ぎ・リリーフへの配置転換は“降格”と感じる投手もいた。両者の差は年俸にも現れており、中継ぎは毎試合のように登板しても年俸アップ額は少なかった。プロ野球担当記者が振り返る。「1990年代くらいまで、中継ぎは契約更改の時にも理解されづらい役割でした。年俸のアップ率も、先発に比べると低かった。12球団の平均年俸で常にトップ争いをする巨人でさえも、契約更改時のリリーフ投手の保留は目立っていました」(以下同) 1994年、巨人は同率で最終戦を迎えた中日との10.8決戦に勝って優勝。日本シリーズでも西武を撃破し、5年ぶりの日本一に輝いた。バラ色のオフになるかと思いきや、契約更改では保留が相次いだ。「年内に斎藤雅樹、川相昌弘、大久保博元など主力12選手が保留。年明けに初交渉した槙原寛己も保留。デーブ大久保は自費キャンプに突入しました。『勝利の方程式』と呼ばれた橋本清、石毛博史も低評価に怒りを爆発させていました」 抑えの石毛はシーズンを通して働いて45試合5勝4敗19セーブ、防御率3.14をマークしたものの、1回目の交渉で200万円アップのみの5700万円を提示された。石毛は「3年連続故障なしで務めたストッパーは自分だけ」と主張し、交渉は決裂した。「日本一じゃなかったらダウンだった」と告げられたという。年明けの2回目の交渉で、6200万円でサインしたものの、気持ちは晴れなかっただろう。 中継ぎとしてチーム最多の52試合に登板し、防御率2.41と安定感のある投球でチームを支えた橋本は1回目の交渉で2560万円から1440万円アップの4000万円の提示を拒否し、会見では目に涙を溜めた。結局、キャンプイン直前の1月30日、3回目の交渉で5100万円を勝ち取り、サインした。「先発、リリーフを兼ねていた便利屋の木田優夫は現状維持の3900万円でしたし、中継ぎとして前半の独走に貢献した岡田展和も900万円増を保留。2回目の交渉でプラス300万円アップの2700万円で更改しました。3本柱の斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己が数千万円アップになる中で、リリーフ陣は渋い提示をされていました。シーズンで貢献した選手に金額を刻む一方で、このオフには30億円補強をしましたから、選手は納得いかなくて当然だったでしょう」 1995年、石毛は不調に陥り、2年後には近鉄にトレードされた。橋本は故障で戦線離脱し、以降輝きを見せることはなかった。この年に限らず、1990年代の中継ぎ陣の評価は低かった。「当時の査定では、投球回数など目に見える部分ばかりをクローズアップしていたし、曖昧な点が多かったのでしょう。ブルペンで肩を作った回数などが査定に反映され始めたのは、1998年からです」 先発完投する投手が極端に減った今では、中継ぎ陣の年俸もアップしやすくなったように見える。巨人の中川皓太は69試合投げた2019年に1900万円から5500万円、37試合で防御率1.00の2020年に5500万円から7500万円と2年で約4倍に。今年、過去2年と同じような活躍をすれば、1億円到達も見えてくる。日本ハムから移籍2年目の鍵谷陽平は46試合3勝1敗13ホールド、防御率2.89で4000万円から6500万円にアップした。「近年は保留者も出ないしですし、年俸の面からも中継ぎの地位は向上している。それでも、先発投手やクリーンアップを打つ選手たちと比べれば、まだ低めですが……」 1990年代の中継ぎ陣が待遇改善を訴えてきた成果が徐々に現れ始めたとも言える。2018年オフに田原誠次がブルペンの環境改善を訴えたことも忘れてはならないだろう。現在のプロ野球選手の高年俸は、球団に嫌がられるのを承知の上で物申した先人たちの努力の賜物でもある。(年俸はいずれも推定)
2021.02.03 19:00
NEWSポストセブン
桑田真澄氏の巨人入閣が選手にどう影響する?(写真提供/読売巨人軍/時事通信フォト)
理論派・桑田真澄氏が巨人コーチ就任で阿部慎之助二軍監督と衝突も
 桑田真澄氏(52)が巨人軍の「投手チーフコーチ補佐」に就任した。桑田氏の加入はコーチ間にも緊張感をもたらすことが予想される。 セ・リーグでは公式戦でベンチ入りできるコーチは8人までと決められている。投手担当では宮本和知チーフコーチ(56)と杉内俊哉コーチ(40)がベンチ入りすると見られ、現状では桑田氏は“ベンチ外”が濃厚だ。「とはいえ選手時代の実績、野球理論ともに桑田さんはコーチ陣の中で圧倒的。チームが低迷すればいつ入れ替えがあってもおかしくない。元木(大介)ヘッドコーチ(49)や、吉村禎章作戦コーチ(57)も安泰ではない。コーチ陣に危機感が生まれているはずです」(巨人番記者)「左投手」「右投手」の違いに着目するのは、藤田元司監督時代、一軍投手コーチとして桑田を指導した中村稔氏だ。「投手コーチは宮本・桑田・杉内の3人体制になったが、桑田以外の2人はサウスポー。サウスポーにはサウスポーにしかわからない感覚がある。右腕の桑田が左投手の指導に理論を振りかざしたらどうなるか。宮本もさすがにいい顔はしないでしょう」 また、今季で契約満了となる原監督の後継者と目されている二軍監督・阿部慎之助(41)との関係にも注目だという。野球評論家の江本孟紀氏がいう。「原監督の桑田コーチ抜擢は、阿部への牽制という意味があると見ています。これまで阿部は次期監督“当確”と見られていたが“桑田もあり得る”となれば油断できない。世間にも桑田が監督なら納得という空気がある」 阿部は今オフにファームの全選手に筋トレ指令を出した。昨年3月、巨人の二軍が早大野球部に負けた際など、たびたび選手に罰走を課している。「ダルビッシュにもツイッターで『古い野球だ』と指摘されていましたが、理論派の桑田さんとも合わないでしょうね。桑田さんは“一軍から三軍まで見てほしいと言われている”と巡回コーチの立場であることを認めており、指導方針で阿部とぶつかる可能性は十分あります」(前出・巨人担当記者) 桑田コーチが一軍の主力と合流するのは2月16日の沖縄キャンプから。それまでに菅野ら投手陣にはどんな「宿題」が課せられるのだろうか。※週刊ポスト2021年2月5日号
2021.01.28 11:00
週刊ポスト
桑田真澄氏の巨人入閣が選手にどう影響する?(写真提供/読売巨人軍/時事通信フォト)
桑田真澄氏が巨人コーチ就任 エース菅野との関係はどうなるか
 桑田真澄氏(52)が読売巨人軍の「投手チーフコーチ補佐」に就任する。桑田氏の指導とはどのようなものになるのか──。 就任発表から2日後の14日、桑田氏はジャイアンツ球場で行なわれた「新人合同自主トレ」を原辰徳監督(62)と見守った。この時、「たくさん走って、たくさん投げるという時代ではない。スポーツ科学の発展を重視すべき」と旧来の“投げ込み”“走り込み”を否定するかのような発言をしている。 しかし、一方で故・金田正一氏との対談(『週刊ポスト』2013年9月20・27日号)では、「走り込みは重要」「いいフォームを身につけるには投げ込まなければダメだ」「(自分が指導者なら)中6日ならもっと投げさせる。100球では少ない」とも語っていた。 一見、矛盾しているように思えるこれらの言葉をどう解釈すべきか。 2013~2014年に桑田氏が東京大学野球部の特別コーチに就任した際、共に臨時コーチとして指導した中日ドラゴンズOBの谷沢健一氏は、数少ない「指導者・桑田」を知る球界関係者だ。「彼が言いたいのは“常に常識を疑い、自分で考えろ”ということでしょう。投げ込み、走り込みにしろ、科学的なウェイトトレーニングをやるにしろ、コーチの言いなりでノルマをこなすだけでは成長はない。きっと彼は選手に“自分が何をすべきか”を考えることを求めているでしょうね。 東大でも桑田は実演して技術を伝えるだけでなく、学生と一緒にビデオを見て打者の弱点がどこかディスカッションしたり、神宮の大観衆の前で最高のパフォーマンスを出すメンタルトレーニングを話し合っていた。キャンプインのとき、目的意識を持っていない選手は苦労するでしょうね」 そのリクエストは、大エース・菅野智之(31)に対しても例外ではない。桑田氏は会見で菅野について「まだまだ伸びしろがある。もう少し彼の潜在能力を引き出せれば」と語っていた。野球評論家の江本孟紀氏がいう。「これまで菅野は自分より実績がはるかに劣る宮本チーフコーチらの下で自由にやってきた。今年から一軍投手コーチに昇格した杉内(俊哉)にはチームメイトのような感覚で接することができる。しかし、桑田が相手ではそこまで伸び伸びとはやれないでしょうね」 また桑田コーチの就任を「チャンス」と捉えている選手もいる。「高い潜在能力がありながら現体制で結果を出せないでいる畠世周(26)や桜井俊貴(27)、昨年ブレイクしたが豪快なフォームでケガが心配される戸郷翔征(20)といった若手右腕は相談しようとするかもしれない」(巨人番記者)※週刊ポスト2021年2月5日号
2021.01.27 16:00
週刊ポスト
桑田真澄氏の巨人入閣が選手にどう影響する?(写真提供/読売巨人軍/時事通信フォト)
巨人コーチ就任の桑田真澄氏 冷酷&頑固な求道者に若手は苦労か
 プロ野球・読売巨人軍の原辰徳監督(62)が、桑田真澄氏(52)に与えた役職は「投手チーフコーチ補佐」。 宮本和知投手チーフコーチ(56)を支える立場だが、球団OBは「事実上、技術的な指導は桑田コーチが一手に担うことになる」と見ている。「宮本さんは現役時代から一貫して“ムードメーカー”。細かいことは気にせず、チームの雰囲気を第一に考える。一方で桑田さんは球界屈指の理論派で、練習内容や普段の生活にも“哲学”を求めるタイプ。現役時代の成績も桑田さんのほうが段違いに上。宮本さんは選手の育成について桑田さんに任せるしかないでしょう。原監督も“桑田のやり方で選手を育ててチームを強くしてほしい”と話している」 桑田氏にとっても今回のオファーは嬉しさ一杯だったようだ。「原監督は“去年の12月に話をした”と言っていたが、実際はもっと急な話だったようです。元日に原監督から電話をもらい、5日に面会。その1週間後の12日には入団発表ですから。巨人は“出戻り”を許さないと言われており、桑田さんももう巨人のユニフォームを着ることはないと諦めていた。そんな中でのコーチ要請に、桑田さんは心から喜んでいた」(同前) 桑田氏にプロでのコーチ経験はない。しかしその求道者ぶりは現役時代からよく知られている。 川崎のジャイアンツ球場の外野には「桑田ロード」と呼ばれる道がある。トミー・ジョン手術からの再起を図る間に黙々と走り込みを行なったことで、そのランニングコースだけ芝生が剥げ落ちてしまったのだ。 2007年にメジャー挑戦した際は、パイレーツの投手が次々と“クワタ信者”になった。当時39歳で球威の衰えは隠せなかったが、多彩な変化球、投球術を目の当たりにして教えを請う若手投手が続出。桑田氏の周りには常に人だかりができていた。 ベテランの巨人番記者がいう。「いつも柔和な表情で、教えを請う若手には技術を惜しみなく伝えるが、一方で野球に対して誰より厳しい。練習に手を抜いたり、自分を律することができない人間には冷酷さを見せることもある」 桑田氏の“厳しさ”をよく表わすエピソードがある。現役時代、桑田氏は球団に「禁煙」を直訴。桑田氏の意見に押され、1995年の第二次長嶋政権では、キャンプや移動のバス、ロッカールームが禁煙となった。 藤田元司監督時代、一軍投手コーチとして桑田を指導した中村稔氏がいう。「プロ野球選手は体が資本。桑田の主張はもちろん正論です。しかし、当時は喫煙選手が大半で面白くないと思った先輩もたくさんいたでしょう。それでも自分が正しいと思ったことは必ず通す頑固さが桑田にはある。 入団4年目に就任した藤田監督が、股関節の開くフォームを直そうとしたが、桑田は頑として受け入れず、瞬間湯沸かし器といわれた監督が激怒したときは間に入って苦労しました。あの頑固さに慣れていない若手はきっと苦労するでしょう」※週刊ポスト2021年2月5日号
2021.01.25 16:00
週刊ポスト

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