40歳差の男女がどのような間柄だったのかは知る由もない。だが、太敏氏の死後、その身代わりのように朴氏に取り入ったのが娘の崔氏と、その夫の鄭允会(チョンユンフェ)氏(61)だったのである。
セウォル号事件の際に朴氏との密会が囁かれた鄭氏だが、彼と朴氏を近づけたのは崔氏だったとされる。
「日本食レストランのオーナーだった鄭允会は、朴槿恵が国会議員になる前年の1997年に彼女の秘書となった。韓国内では朴槿恵に鄭允会を秘書とするよう勧めたのは、崔順実だったと指摘されている。夫を送り込み、独身の朴槿恵の信頼を得ることで自らの地位を確保しようという魂胆です」(韓国紙記者)
その後、鄭氏は秘書室長になるが、2007年に朴氏がハンナラ党の大統領候補になると、「崔太敏一族と交流があるのは問題だ」と指摘され、鄭氏は秘書室長を辞した。だが、その後も朴氏は、「彼は優秀だ」と主張して身近に置いた。いつしか鄭氏は「青瓦台のラスプーチン」、「夜の大統領秘書室長」と呼ばれるようになった。
セウォル号事件後の2014年5月、鄭氏は崔氏と離婚する。朴氏がその事件当日、鄭氏と密会したという噂があるとする産経新聞の記事(執筆した加藤達也前ソウル支局長がソウル中央地検に名誉棄損で起訴された)が出たのは、この直後である。この記事では鄭氏の名前は出ていない。
離婚の理由は不明だが、離婚に際し2人は、「夫婦時代に知り得た一切の個人情報を口外しない」との誓約を交わしたことが当時報じられている。
2014年11月の大統領府文書流出事件で拘束されたパク・グァンチョン警視正は、検察に「我が国の権力序列は、1位が崔順実で2位が鄭允会。朴槿恵大統領は3位に過ぎない」と発言したとされている(韓国紙「ハンギョレ新聞」より)。
「青瓦台の三角関係」は崔順実を頂点とするいびつなピラミッドだった。
※週刊ポスト2016年11月18日号