そこでCIAがキーパーソンとして注目していたのが、元朝日新聞主筆の緒方竹虎だった。政治部記者だった緒方は明治の終わり、「大正」をスクープした。これで名を馳せた緒方は、朝日の主筆まで上り詰めた後に政界へ転身した。
〈1952年6月18日 機密指定レベル・シークレット。米国政府公務員専用〉と記された文書には、〈皇太子の近い友人である緒方竹虎は、吉田茂の後を継いで、1953年の下旬から1954年の上旬に総理になる候補だ〉〈その時に日本の天皇は退位することが考えられ、その場合は皇太子が後を継ぐ。吉田は天皇の退位と同時に、辞任するだろう〉とある。
そして〈緒方は皇太子から非常に好まれていると言われている。2人の交友は緒方が後の皇太子の教師役をしていた頃に遡る。彼はもともと東京朝日に在籍していて、終戦後の日本において最も影響力のある人間の一人であると目されている〉とまとめられている。
“皇太子の近い友人”とCIAが認めた緒方は、政界に転じた後は内閣官房長官にまで登りつめた。緒方の名が文書に登場する理由を、江藤氏はこう読み解く。
「戦後、緒方は公職を追放されていましたが、講和条約締結とともに政界復帰が確実視されていました。CIA側は、講和条約発効後に昭和天皇が退位して吉田茂が辞職し、明仁新天皇と緒方新総理という体制で日本を再出発させられると考察していたようです」
ところが、緒方は吉田の後を受けて自由党総裁に就いたものの、総理大臣にはなれなかった。そして講和条約から4年後の1956年1月、病に倒れ帰らぬ人となる。
果たして、緒方が総理になっていたら──。歴史にifは禁物だが、機密文書は「もうひとつの昭和史」の可能性を示していた。
※週刊ポスト2017年2月10日号