「徳川康久・現宮司は徳川将軍家の末裔で、『向こう(明治政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった』と共同通信のインタビューで述べており、その運動に共感を持っているように見受けられます。しかし、『時が流れたから恩讐を超えて合祀しよう』となれば、いつか『大東亜戦争で戦った相手方も祀ろう』という宮司だって出てくるかもしれない。A級戦犯合祀についていまだ国民的合意が得られていない事実からしても、やはり靖国神社は宗教法人のままではいけないのです。
憲法改正では自衛隊を軍として認めるかどうかの議論が行なわれています。では、万が一自衛隊員が有事で殉職した場合、その自衛隊員は靖国神社に祀られるのか。私は自衛隊員も国家に殉じたと国に認定された以上、祭神として祀られるべきだと考えます。しかし、それは本来、個々人の信教の自由に基づいて祀るとか、祀らないといった次元の話ではないはずです。やはり今このタイミングで、靖国神社の国家護持という課題に向き合うべきなのです」
宮澤氏の本は、これまでベールに包まれてきた靖国神社の実態や内部での意見対立などを赤裸々に述べており、神社界では早くも“暴露本ではないか”との声が挙がっている。宮澤氏はこう否定する。
「私がこの本で訴えたいのは、『靖国の公共性』をどう維持していくかです。そもそも宗教法人の私事性と靖国の公共性は相容れないわけですから、当然、その矛盾が神社の内部にも何らかの形で現われてくることになります。これまでは外部の反靖国勢力によって『靖国の公共性』は攻撃にさらされてきましたが、むしろ今は、靖国神社の内部からそれが崩壊していく危険性が高まっているように感じるのです。
国民の間から戦争の記憶が薄れ、戦没者遺族もどんどん少なくなっているなか、政府も国民も、靖国問題から意識が離れていっているように見えるのも不安です。今こそ、もう一度靖国神社について国家全体で考えるべき時ではないでしょうか」
※週刊ポスト2017年8月11日号