その後、次男、三男と3人兄弟に恵まれる菅生さんだが、全員自宅出産にこだわった。下の2人の子供に至っては妊娠発覚から出産まで病院に一度も行かず、母子手帳さえなかったという。
「命がけで出産に挑む母親の姿や、生命の誕生という奇跡を、病院任せにせずしっかりと子供に見せてやりたかったんです。下の子の出産の際、長男はずっと母親の傍にいて『お母さん、頑張れ!』と声をかけ続けていました。うちは家族仲が非常にいいのですが、それも誕生の瞬間から全員で立ち会ったことが大きな要因だと思います」
父親となった菅生さんは、まず「親の役割」について自らに問いかけた。複雑な生い立ちゆえに、理想の父親像が定められなかったからだ。
「私が小学5年生の時、両親は離婚しているんです。原因は父親が愛人をつくったこと。両親の修羅場もこの目で目撃しており、父親という存在にいいイメージがなかった。幸いにも素敵な妻に出会い、自分自身も父親という立場になった時、最初に考えたのは、『ぼくならどういう父親が欲しかったか』ということでした。それは、仕事も家庭も全力投球してくれる人だろう、と。だからこそ、私は子供を理解し、子供を尊重し、子供の将来を豊かなものにするために全力を尽くそうと決めました」
大阪在住ながら、経営コンサルタントとして全国各地を飛び回ることも多い菅生さんは、自身の講演会にも菅田や弟たちを連れていき、場合によっては受付業務も菅田に任せていたという。
「自分の食べているご飯を、父親はどうやって稼いでいるのか。現場でそれを見せるべきだと思ったし、何よりも父親の職場を見せることは、社交性と礼節を学ぶ絶好の機会だと思ったんです。長男は今でも天狗にならないし、誰に対しても本当に礼儀正しい。われながら親バカだと思いますが、こうした経験が糧になっているのだと思います」
◆福山さん、すごく気持ちよさそうだった