念のためだが、蘇峰は日露戦争後のポーツマス条約の締結にあたっては、日本中のマスコミが反対を唱えるなか『國民新聞』で敢然と締結に賛成し、そのために日比谷焼打事件で暴徒に襲われたことは、あらためて思い出していただきたい。要するに「言うべきことは言う」信念のあるジャーナリストでもあるのだ。
しかし、このときは梨のつぶてだったらしい。焦った蘆花は、死刑を阻止せんと朝日新聞社主筆の一面識も無い池辺三山に天皇宛ての助命嘆願書を郵送した。それは次のような書き出しで始まる。
〈天皇陛下に願ひ奉る
乍畏奉申上候。
今度幸徳伝次郎等二十四名の者共不届千万なる事仕出し、御思召の程も奉恐入候。然るを天恩如海十二名の者共に死減一等の恩命を垂れさせられ、誠に無勿体儀に奉存候。御恩に狃れ甘へ申す様に候得共、此上の御願には何卒元兇と目せらるゝ幸徳等十二名の者共をも御垂憐あらせられ、他の十二名同様に御恩典の御沙汰被為下度伏して奉希上候。
彼等も亦陛下の赤子、元来火を放ち人を殺すただの賊徒には無之、平素世の為人の為にと心がけ居候者共にて、此度の不心得も一は有司共が忠義立のあまり彼等を窘め過ぎ候より彼等もヤケに相成候意味も有之、大御親の御仁慈の程も思ひ知らせず、親殺しの企したる鬼子として打殺し候は如何にも残念に奉存候。何卒彼等に今一度静に反省改悟の機会を御与へ遊ばされ度切に奉祈候。(以下略)〉
(『謀叛論』徳冨健次郎原著 中野好夫編 岩波書店刊 旧カナ、旧漢字一部改め)
【大意】
〈天皇陛下にお願い申し上げます。
畏れながら申し上げます。
このたび幸徳伝次郎ら二十四名がとんでもない罪を犯し、さぞかしご不快に思われていると思います。それにもかかわらず海の如く寛大な御心にて、そのうち十二名に死刑を免ぜられたことは大変すばらしいことだと考えております。この寛大な御心にさらに甘えることになるかと存じますが、この上にさらに何卒主犯と目せられる幸徳ら十二名の者どもにも減刑をお願いできないものでしょうか。
彼らもまた陛下の赤子であることには変わりありませんし、火を放ち人を殺すようなただの凶悪犯とは違います。むしろ平素世のため人のためを心がけていることには間違いなく、今回のことも一部の役人が陛下への忠義立てをしようとするあまり、彼らをいじめ過ぎその結果彼らも自暴自棄になった部分があるかと存じます。このまま天皇の深い御心を知らしめることなく、「親殺しの企てをした単なる凶悪犯」として死刑にしてしまうのは、いかにも残念と存じます。何卒彼らに深いお慈悲をもって、おのが罪を静かに反省し悔い改める機会をお与えいただくことを切に念ずるものであります。〉
言うまでも無く、幸徳は「元兇」(主犯)でも共犯でも無く、大逆罪については完全な無罪である。しかし、情報統制の結果により蘆花は(すべての国民も)真実を知らされていない。逆に言えば、蘆花はこれを冤罪事件だから批判しているのでは無い。「幸徳は極悪人」と認めた上で、それでも死刑に処すべきでは無いと言っているのである。これが大変な勇気を必要とする行為であることは、おわかりいただけるだろう。
だが、この嘆願書は結局間に合わなかった。当局が死刑判決わずか六日後の一月二十四日(管野スガは翌二十五日)に、十二人全員を処刑してしまったからである。この嘆願書は朝日の紙面を飾ることは無く、空しく送り返されてきた。いまと違ってSNSなどは無い。ツイッターでつぶやいて多くの人に知らしめるなどということはできないのである。