まったく同時期に書かれた文章でも、文語体と違って話し言葉はじつにわかりやすい。現代語訳する必要も無いだろう。そして蘆花は、「今日の世界はある意味において五六十年前の徳川の日本」であり、対立を超えて「人類が一にならんとする傾向」があると将来の理想を説く。しかし、そのためには「新式の吉田松陰」、つまり理想の為に犠牲となるかもしれない新たな志士が出て来るに違い無いと考えていたと前置きを述べ、いよいよ本題に入る。
〈思いがけなく今明治四十四年の劈頭において、我々は早くもここに十二名の謀反人を殺すこととなった。ただ一週間前の事である。諸君、僕は幸徳君らと多少立場を異にする者である。僕は臆病で、血を流すのが嫌いである。幸徳君らに尽く真剣に大逆を行る意志があったか、なかったか、僕は知らぬ。〉
(引用前掲書)
そう述べながらも蘆花はこの後、幸徳をおおいに弁護するのである。
(第1343回につづく)
※週刊ポスト2022年6月3日号