記録がないまま消失する「貴賓室」も
栃木県那須塩原市に所在する黒磯駅は、昨年に開業135周年を迎えた。その記念として貴賓室が一般公開された。黒磯駅の貴賓室は1926年に設置されたが、これは那須御用邸の玄関駅という理由があった。
1982年に東北新幹線の那須塩原駅が開業すると、玄関駅の役割は那須塩原駅に譲ることになり、黒磯駅の貴賓室は使用される機会が激減した。公式的な記録では、2005年に清子内親王が結婚前の旅行の際に立ち寄ったのが最後の使用とされる。
神奈川県大磯町には御用邸などは所在していないが、その玄関となる大磯駅には貴賓室が設けられていた。大磯駅も前出の貴賓室リストには記載がない。
大磯は夏季に多くの海水浴客が訪れる海浜リゾートとして有名だが、明治・大正期は伊藤博文・山県有朋・大隈重信・西園寺公望といった大物政治家が別荘を構えた。また、戦後には吉田茂が邸宅を構え、吉田邸には皇太子(現・上皇)夫妻や海外の首脳が訪問している。
「大磯駅は1887年に開設されました。正確な年月は不明ですが、1910~1913年頃に2代目駅舎へと改築されています。その際、貴賓室が設けられています。2代目駅舎は関東大震災で倒壊し、3代目駅舎が再建されますが、その3代目駅舎にも貴賓室がありました。3代目駅舎は改修されながらも、現在まで使用されています。しかし、現在の駅舎に貴賓室はありません」と説明するのは、大磯町郷土資料館の担当者だ。
大磯駅の貴賓室で使用されていたテーブルやイスなどの調度品の一部は、大磯町郷土資料館に保管されている。それらは1998年に寄贈されたという記録が残っているが、いつまで大磯駅の貴賓室が存在していたのかは記録に残っていない。また、調度品類が郷土資料館へ寄贈された経緯も不明だという。
鉄道会社が貴賓室を活用することの是非は各社の判断になるだろうが、鉄道駅の貴賓室を記録している自治体や鉄道会社は少ない。歳月の経過とともに使用されていた当時を知る人間も少なくなった。
全国各地の鉄道駅に設置された貴賓室は、改修時に姿を消すことも珍しくない。今後、何らかの事情で取り壊される可能性もある。新幹線の開業や自動車の普及など移動手段の変化によって、鉄道の使われ方が変わり、駅に設置された貴賓室の存在意義にも大きな影響を与えたからだろう。
貴賓室は美術・工芸・建築などの装飾・調度品に最高のモノ・技術を用いた。例えるなら、貴賓室は駅ナカ美術館とも思えるような存在だった。また、政治利用された面や地域性・生活様式などを伝える歴史遺産という性格も有していた。こうした面からも、貴賓室は近現代史を研究するうえで重要な存在といえる。それだけに、貴賓室どう記録し、どう後世に伝えていくのか? は今後の取り組むべき課題になるだろう。