駆け足ではあるが、2022年に物故した政治家3人の横顔を紹介した。改めて3人の政治家を振り返ってみると、ともに政治で大きな挫折を経験した共通点がある。
安倍元首相は、2006年に発足した第1次政権が短命に終わるなど辛酸を舐めた。それを糧にして2012年からの第2次以降で政権の安定運営に努めた。1975年の都知事選で美濃部亮吉都知事に敗北した石原候補は、1999年の都知事選で雪辱を果たした。そして、強い都知事像を確立していく。スキャンダルの影響で1995年の参院選で落選したアントニオ猪木議員は、2013年に再び政界へと戻った。そして、改めて存在感を発揮した。
政治家がスキャンダルで信頼を失墜させることは珍しくない。近年は一度でもスキャンダルを起こすと、政治生命が絶たれるとも言われる。また、過去のスキャンダルをほじくり返されることも珍しくない。
しかし、実際は政治家が挫折感で気力を喪失しているだけに過ぎない。政治家が気力を喪失してしまうのは、さまざまな理由があるだろう。ただ、根本的な理由として政治家としての気概や使命感が不足していることがあるとは感じる。何が何でも政治家になって、社会を変えたい。そんな強い気持ちがなければ、政治家は務まらない。
職業として政治家を目指すと、「儲からないから」「割に合わないから」「批判ばかりされるから」といった理由で政治家を辞めてしまいがちだ。いったん政治家を経験すれば箔がつく。有権者から、転職するためのキャリアアップの一手段と受け止められても仕方ないだろう。
職業として政治家を選択する人が増えたのも、時代の流れかもしれない。好意的に受け止めれば、職業としての政治家だったら業界との癒着や多選による弊害は起きない。そんなメリットも考えられる。
だが、時代遅れと言われようとも、気概と使命感にあふれる政治家もいてほしいと考えることは決して贅沢な願望ではない。気概と使命感にあふれた政治家を待ち望みたい。