初期作品でガッツリ絞られたが「逃げたら負けだ」と踏ん張った
群馬県草津町出身の中村さんは1995年、雑誌「メンズクラブ」の読者モデルオーディションでグランプリを獲得し、モデルデビュー。22歳で俳優デビュー後、多くの作品に主演級で出演。2000年には時代劇ドラマ『熱血!周作がゆく』(テレビ朝日系)、2003年には映画『ROCKERS』で主演と、トントン拍子でスター街道を走ってきたように見えるが、本人は「茨の道だった」という。
「『時をかける少女』の角川春樹監督や、初めての時代劇『新選組血風録』(テレビ朝日系)の工藤栄一監督や松尾昭典監督にとにかく厳しく仕込まれました。今思い返すと、自分がどれだけできていなかったか、よくわかりますが、当時の僕はがむしゃらにがんばっているのに、なぜこんなに怒られるのか、悔しくて葛藤して、落ち込んで……ひどい顔をしていたと思います(笑)。
何で逃げ出さなかったのかというと、期待に応えたい、やるしかない、と思ったというか。自分で選んだ道だから逃げたら負けだ、という思いがあったのかもしれません」
1998年、初の連続ドラマ『ドンウォリー!』(フジテレビ系)で共演した近藤真彦(59)や、『新選組血風録』で共演した渡哲也(享年78)から多くを学んだ。
「子どもの頃、テレビで渡哲也さん主演の『西部警察』をよく見ていて大好きだったんです。その憧れの渡さんは現場に台本を持って入らない方で、現場にいらっしゃるときには、もう完璧に役を自分のものにしているんですね。その姿がかっこよすぎて、自分も見習っています。
マッチさんも主演俳優として現場を盛り上げる姿などを見せていただき、ドラマ撮影の現場の楽しさ、主演の役割などを学ばせていただきました。素晴らしい先輩方とご一緒させていただいて、その姿勢や背中を見て学ばせていただきました。そうやってきたおかげで、ここまでやってこられたのだと思います。おふたりとの共演は、自分の中の宝物ですね」
近年、俳優でもSNSで自分発信する人が増えた。とくにコロナ期間中、YouTubeで発信する芸能人が増えた。中村さんはSNSをやっておらず、公式サイトで近況をときどき発信するぐらいだが、今後はどうなのか。
「俳優が本業なので、まずは俳優の仕事を優先しなくては、という気持ちが強いのですが、何かの役に立ったり、誰かの助けになるようなことがあるのなら、と思ったりはします。最近、保護犬・保護猫に興味があるので、やるんだったらそうした活動をして発信するのはどうかな、という気持ちはあります」
演じる以外の新しい中村さんも見てみたい。
(了。前編から読む)
取材・文/中野裕子 撮影/山口比佐夫