迎えた2019年3月、一家4人は離婚以来およそ5年ぶりに、顔を合わせた。「ごめん……ごめん」と大粒の涙を流してひたすら謝る清原に、息子たちは笑顔で「大丈夫だよ」と声をかけたという。その後、3人は昔と同じようにキャッチボールをした。これを機に4人は定期的に会い、清原が勝児さんの打撃指導をするようになった。
一家の“再生”をさらに加速させたのは、正吾さんだった。2021年4月、慶応大学に入学した正吾さんは野球部の門を叩いた。
「小学校時代は野球をやっていた正吾さんですが、“清原の長男”という宿命のプレッシャーもあって、辞めてしまい、中学はバレーボール部、高校はアメフト部に所属しました。それが、大学で一念発起して再び野球に取り組むことを決めたんです」(スポーツ紙記者)
慶応大学の野球部の選手は、ほとんどが強豪高校の野球部出身。ブランクがある正吾さんにとっては無謀にも思える挑戦だった。
「それでも、大学でもう一度野球を始めたのは、偉大な存在である父親と正面から向き合うことを決意したからだったのでしょう。それまで亜希さんは息子たちを交えて清原さんと会っても、まだどこか受け入れられない気持ちや葛藤があった。しかし、子供たちが屈託なく父親と接する姿を見て、“私だけが前に進めていない”と気づかされたようです」(前出・亜希の知人)
お酒は2杯まで
現在、亜希は清原の事実上のマネジメント会社の代表取締役に就き、元夫をサポートしている。今年3月、清原の父が亡くなる直前には、清原とともに病床の“義父”を見舞ったこともあった。
「清原さんは、現在も薬物依存症やうつ病と闘っていることを公言しています。亜希さんは清原さんに定期的に連絡するなど闘病を支えています」(清原の知人)
ただ、一度薬物に手を染めてしまった清原の苦しみは、簡単には終わらない。常に自分を律し、二度と誘惑に負けない強い覚悟が不可欠だ。子供たちは父の更生を願う半面、“心”が壊れてしまうことを危惧していた。
「清原さんは、6年のブランクを乗り越えて大学野球部に入った正吾さんへの願掛けとして、断酒していました。ただ、それを知った正吾さんから“厳しくしすぎるとストレスになるから、飲みすぎない程度にすればいい”と促されて、最近はお酒は2杯までと“願掛けルール”をゆるくしたそうです。元来お酒が好きなことを知っていた正吾さんの目には、清原さんが“自分を縛りすぎている”と感じた部分もあったのかもしれませんね」(前出・清原の知人)