たったひとりの愛娘・神田沙也加さん(享年35)との突然の別れである。2021年12月18日、沙也加さんは短い生涯を閉じた。母親の松田聖子(61才)、そして父の神田は、すぐさま札幌へと飛んだ。2人が会見に応じたのは神田の誕生日の12月21日。札幌市内の斎場で、位牌を持つ聖子、骨壺を抱える神田は並んで深々と頭を下げた。
その4日後、神田はいつも通りに『朝だ!生です旅サラダ』に生出演した。番組冒頭で「ぼくは元気ですよ」と視聴者にメッセージを送り、恒例のスタジオでの試食では「久々にちゃんとしたご飯食べたんだけど、歯ごたえがあるね」と、心の内をのぞかせていた。テレビ局関係者が当時を振り返る。
「実際にはかなり堪えていたようです。気持ちが落ち込むのも当たり前です。神田さんは聖子さんとの離婚後も、沙也加さんとは頻繁に連絡を取り合い、沙也加さんの舞台を見に行ったり、沙也加さんの恋人も交えて食事をしたりと、父と娘の交流は密に続けていたからです。三回忌を目前に控えたいまでも、どうして助けてあげられなかったのかという後悔にずっと苛まれているのでしょう」
「せりふを覚えられないから」
それでも気丈に仕事を続け、生放送には決して穴をあけることがなかった神田。しかし彼の姿を『旅サラダ』以外で見かけることはほとんどなくなっていた。
本誌は昨年6月、神田が個人事務所を閉じたタイミングで、俳優引退説について直撃している。そこでの答えは「(神田が長年所属してきた)石原プロモーションも(昨年)6月に閉めたので、それと一緒に閉めました。ぼくは石原プロオンリーですから」というもの。新たな仕事については「石原プロが引き受けた仕事を始末してから考えます。石原プロが引き受けたいままでのものがありますから」と話していた。
実際、自らの名前を冠して25年近く続けたスキー大会に今年の2月に終止符を打ち、俳優業にいたっても今年3月に放送された『山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ』(フジテレビ系)を最後に、本人がオファーを断り続けているのだという。
「実は数年前から神田さんは俳優業から遠ざかろうとしていました。台本を覚えることに苦労していて、『せりふを覚えられないから、もう俳優はやらない』とも口にしていました。その口ぶりからは、俳優の仕事を減らすというよりは、そう遠くはないうちに引退を考えているように感じられました」(前出・テレビ局関係者)
彼が唯一出演し続ける『旅サラダ』では、神田の異変を少なくないスタッフが察知し、そのうちの何人かは神田に検査をすすめていたという。しかし、彼はそうした声に首を縦に振らなかった。
「神田さんはもともと、大の病院嫌いで有名です。1990年には撮影中に右肩を岩に強打し、鎖骨と肩甲骨の間の骨にヒビが入ったことがありました。それでも神田さんは病院へ行こうとせず、湿布だけで耐えていたのです。検査を受けたのは負傷から2週間ほど経ってから。全治2か月の重傷でした」(別のテレビ局関係者)
そこまで神田が病院を嫌うのは「自分の体のことは自分でわかる」と考えているからだというが、その考えが仇になった可能性がある。
「検査入院後も番組を休み続けているということは、何か異変が見つかったのかもしれない。もっと早く病院に行ってくれていたら……そう悔やんでいる関係者は少なくありませんよ」(前出・別のテレビ局関係者)