ライフ

五木寛之氏 「老いは豊かな完熟期」アンチエイジングに疑問

 最近「アンチエイジング」がブームだが、作家・五木寛之氏(78)はその流行に否定的だ。氏は「アンチエイジング」ならぬ「グッドエイジング」を提唱する。

 * * *
 社会も人間も老年期を迎えるものです。人は60歳を過ぎた頃になると、歯が抜け、髪の毛も抜け、視力も落ちて体の節々が痛むようになる。まるで人間という存在は、生まれながらにして罰を与えられているんじゃないか、と思いたくなる程に。しかしそうした晩年は、果たして悲しく、寂しいだけのものなのでしょうか。
 
 老いというものを、社会の余り物として無残に生きていく姿としてとらえれば、確かにそうでしょう。ただ、その考え方はあまりに情けない。世界に溢れているのは日の昇る美しさだけではありません。夕陽の美しさにもまた、豊かな完熟期としての素晴らしさがあるのですから。国の歴史も同じです。日本はいま、老年期に達しようとしている。だからこそ、今後は高齢の豊かさを意識する時期に入っていかなければならない。それをしっかりと自覚できていないところに問題を感じますね。

 歴史は登山に似て、必ず登りの時期と下りの時期があります。日本は戦後50年ほど登りが続き、頂上に10年程度留まりましたが、現在は下山の最中です。ではこのような時代に生きる私たちは、未来に対してどんな希望を持てるのか。一言でいえば「下山」の思想を構築すること、これに尽きます。下山は決して歴史の衰退期ではありません。むしろ下山には喜びと価値があり、それを積極的に知ろうとすることから私たちの希望は始まるのではないか。

 かつての高度経済成長の時代、日本人は必死に山を登っていた。急坂を息急き切って、重い荷物を背負いながら、ただひたすら頂上を目指して歩き続けました。そんなときは頂上を極めること以外に、何かを突き詰めて考える余裕がありません。辺りを眺めるゆとりもなければ、友人と会話をしたり、自分たちの行く末を考えたりする気持ちも生まれてこない。対して下山では歩き方の姿勢や心構えの全てが登りとは異なります。足元をしっかりと見据え、滑らないように、転ばないようにと気を配る。その足元にふと可憐な花を見つけることもあれば、目を上げて周囲を見渡し、遠くに美しい景色を見ることもできる。
 
 それにしても―と優雅に下山をする人なら思うのではないでしょうか。これまでに、自分はいったいいくつの山を越えてきたのか。この先、いくつの山を登るのだろうか、と。その静かな思索の中から、なぜ人は山に登るのか、人間とは何かといった哲学も生まれるかもしれません。

 そうして次の登山に思いを馳せるとき、私たちはこのことを考えるために山を登ったのだ、という気持ちにさえなるものです。その意味で、下山とは非常に実りの多い成熟した行為だと言えます。下り坂を行く自らに落胆すること自体が間違っているのです。永久登山を目指し、経済的な成功ばかりを追い求めていては、息も絶え絶えになって精神的な豊かさが見えなくなるだけです。

 例えば頂上に向かうことを唯一の価値とする視点から見れば、人口が減少し、高齢化が進む日本の現状は厳しく、貧しい社会に見えるでしょう。「アンチエイジング」といった言葉によく表れていますが、人々は頂上を見つめるあまり、本来なら否定できるはずのない老いさえも否定しようとしています。しかし老いを肯定し、そこに積極的な意味を見出す「グッドエイジング」の価値観を持たなければ、この社会に希望が現れるはずがないのです。
 
 そのためにも下山の素晴らしさについて考える必要があります。すると高齢化は一転して、社会の成熟の原動力にもなっていくかもしれない。私たちに求められているのは、下山という成熟した季節を生きる自分たちの姿に、もっと自覚的になることなんですね。

※週刊ポスト2011年1月7日号

関連キーワード

関連記事

トピックス

グリーンの縞柄のワンピースをお召しになった紀子さま(7月3日撮影、時事通信フォト)
《佳子さまと同じブランドでは?》紀子さま、万博で着用された“縞柄ワンピ”に専門家は「ウエストの部分が…」別物だと指摘【軍地彩弓のファッションNEWS】
NEWSポストセブン
一般家庭の洗濯物を勝手に撮影しSNSにアップする事例が散見されている(画像はイメージです)
干してある下着を勝手に撮影するSNSアカウントに批判殺到…弁護士は「プライバシー権侵害となる可能性」と指摘
NEWSポストセブン
亡くなった米ポルノ女優カイリー・ペイジさん(インスタグラムより)
《米ネトフリ出演女優に薬物死報道》部屋にはフェンタニル、麻薬の器具、複数男性との行為写真…相次ぐ悲報に批判高まる〈地球上で最悪の物質〉〈毎日200人超の米国人が命を落とす〉
NEWSポストセブン
和久井学被告が抱えていた恐ろしいほどの“復讐心”
「プラトニックな関係ならいいよ」和久井被告(52)が告白したキャバクラ経営被害女性からの“返答” 月収20〜30万円、実家暮らしの被告人が「結婚を疑わなかった理由」【新宿タワマン殺人・公判】
NEWSポストセブン
民放ドラマ初主演の俳優・磯村勇斗
《ムッチ先輩から1年》磯村勇斗が32歳の今「民放ドラマ初主演」の理由 “特撮ヒーロー出身のイケメン俳優”から脱却も
NEWSポストセブン
松竹芸能所属時のよゐこ宣材写真(事務所HPより)
《「よゐこ」の現在》濱口優は独立後『ノンストップ!』レギュラー終了でYouTubeにシフト…事務所残留の有野晋哉は地上波で新番組スタート
NEWSポストセブン
山下市郎容疑者(41)はなぜ凶行に走ったのか。その背景には男の”暴力性”や”執着心”があった
「あいつは俺の推し。あんな女、ほかにはいない」山下市郎容疑者の被害者への“ガチ恋”が強烈な殺意に変わった背景〈キレ癖、暴力性、執着心〉【浜松市ガールズバー刺殺】
NEWSポストセブン
英国の大学に通う中国人の留学生が性的暴行の罪で有罪に
「意識が朦朧とした女性が『STOP(やめて)』と抵抗して…」陪審員が涙した“英国史上最悪のレイプ犯の証拠動画”の存在《中国人留学生被告に終身刑言い渡し》
NEWSポストセブン
早朝のJR埼京線で事件は起きた(イメージ、時事通信フォト)
《「歌舞伎町弁護士」に切実訴え》早朝のJR埼京線で「痴漢なんてやっていません」一貫して否認する依頼者…警察官が冷たく言い放った一言
NEWSポストセブン
橋本環奈と中川大志が結婚へ
《橋本環奈と中川大志が結婚へ》破局説流れるなかでのプロポーズに「涙のYES」 “3億円マンション”で育んだ居心地の良い暮らし
NEWSポストセブン
10年に及ぶ山口組分裂抗争は終結したが…(司忍組長。時事通信フォト)
【全国のヤクザが司忍組長に暑中見舞い】六代目山口組が進める「平和共存外交」の全貌 抗争終結宣言も駅には多数の警官が厳重警戒
NEWSポストセブン
遠野なぎこ(本人のインスタグラムより)
《前所属事務所代表も困惑》遠野なぎこの安否がわからない…「親族にも電話が繋がらない」「警察から連絡はない」遺体が発見された部屋は「近いうちに特殊清掃が入る予定」
NEWSポストセブン