2012年、ピラミッドブームが日本にやってくる。2月にはピラミッドにまつわる常識の数々を最新科学で覆す映画『ピラミッド5000年の嘘』が公開。3月にはおよそ半世紀ぶりにツタンカーメン展が日本に上陸する。そこでピラミッドにまつわる様々な伝説や謎に迫ってみた。
ファラオの墓を暴けば呪いがふりかかる。こういった伝説はそれこそ数千年前からまことしやかにささやかれてきたが、呪いの存在を証明するような事件が100年近く前に起きた。
1922年11月、イギリスの考古学者ハワード・カーターとカーナヴォン卿による発掘調査で、新王国時代第18王朝のツタンカーメンの墓がほぼ無傷で発見され、黄金のマスクや宝石など豪華な副葬品の数々も発掘された。未発掘の墓はもう存在しないといわれるなかでの大発見で、世界中がこのニュースに沸いた。
ところが、その後に異変が起きる。調査隊のスポンサーで発掘にも参加したカーナヴォン卿が、翌1923年4月に病で倒れ、高熱でうなされながら、カイロのホテルで息を引き取った。彼の死の瞬間、自宅の城で飼っていた愛犬も狂ったように吠えた後、急死したというのだ。
悲劇はそれだけに終わらなかった。以後10年間で、発掘調査に関わった22人が急病や事故で次々と亡くなり、生き残ったのは1人だけだったというのである。
ところが、実はこの呪いの話、後半部分は作り話である。発掘調査に関して、カーナヴォン卿はロンドンタイムズ紙と独占契約を結び、他紙に情報を漏らさなかったため、恨まれてこんな作り話がばらまかれたという。
しかし、カーナヴォン卿が翌年に亡くなったのはまぎれもない事実。古代文明の研究者のなかには、「呪いがふりかかるのは最初の一人だけ」と主張する者もいる。彼一人だけが犠牲になったのだろうか。
呪い伝説の源はエジプトの人々がファラオの墓の盗掘を避けるためにほどこした“仕掛け”に由来する。
「偉大なるファラオの墓に触れた者に、死に神はその翼をもって飛びかかるであろう」
エジプト・ルクソールのナイル川西岸にある「王家の谷」には、古代エジプト新王国時代のファラオや貴族の墓が数多くあり、墓の入り口や棺に納められた粘土板には、こういった“警告”が刻まれている。
※週刊ポスト2012年1月27日号