「いまもなお、土俵の上には免れて恥なき八百長力士たちがいる」。昨年春、八百長に関与したとして角界を去った元幕内力士・山本山がついに重い口を開いた。語られたのは、国技にはびこる八百長互助会の深奥。
「大相撲の力士になって、初めて八百長に手を染めたのは、新十両の場所でした。今さらかもしれませんが、八百長は嫌でした。やりたくなかった。自分は序ノ口、序二段、三段目、幕下とトントン拍子で上がって関取になった。勢いがあったから、どこまでやれるのか、自分の力をとことん試してみたかった。
でも、もちかけてきたのは出身大学の大先輩でした。もし断わったらどうなるだろう。長い土俵人生、何をされるかわからない。何日か迷いました。でも最後は『やります』といってしまった。もしあそこで断わっていれば、こんなことにはならなかったかもしれない――」(元山本山・以下「」内同)
日本人史上最高の体重277キロを誇った元幕内力士・山本山龍太。本名は山本龍一(28)。いまなお240キロある巨漢が、大きな背中を丸め、無念の表情を浮かべながら語り始めた。
昨年2月、野球賭博事件に伴う警視庁の家宅捜索で押収された力士の携帯電話から「八百長メール」が発見され、八百長問題が火を噴いた。4月、日本相撲協会の理事会で19人の力士に引退勧告が出された。山本山もメールに名前があったとして、相撲界を去った。
だが、相撲協会がこれで幕引きだと思っているなら片腹痛い。山本山は過去30年にわたって「角界浄化キャンペーン」に取り組んできた本誌だけに「真実をすべて打ち明ける」という決意をもってインタビューに応じた。
あの騒動で引退した力士が八百長についてメディアに語るのは、これが初めてである。
「現役のときはもし発覚しても、角界の古い因習だから、協会や親方が守ってくれると思っていた。でも、発覚後の協会の措置は、とかげの尻尾切り。自分と八百長をやった力士や親方はまだ角界に残っている。真の角界浄化のために、すべてを話すことを決めました。
協会が設置した特別調査委員会による事情聴取はひどかった。国技館の目の前にある『ちゃんこ霧島』の一室で、掘り炬燵に足を突っ込みながら2人の弁護士に聴取されました。
話は一方的で、証拠があるといいながらそれを見せてもらえない。『ここで認めたら退職金が出るが、認めなければ除名処分になる』と繰り返すだけ。『認めないと相撲協会に名前すら残らなくなって、山本山の名前も、成績も、角界から消えることになる』と、ほとんど脅迫です。
その後、昨年4月1日に国技館の地下大広間で行なわれた最終弁明では、放駒理事長(当時)に『何かいいたいことがあればいえ』といわれたので、『委員会のずさんな調査に不満がある。納得がいかない』といいました。でもとりつく島もなく、理事長に『引退勧告。出て行け!』とだけいわれて部屋を出た。
すぐに母親と高校の相撲部の監督に電話しました。母親は『しょうがないね』といいながらも、涙ぐんでいるようでした。監督は『お前ひとりが悪いんじゃない』といってくれました。
腹が立ったのは『過去に八百長はなかった』という放駒理事長の言葉です。あれには辞めた力士たちはみんな怒っていたと思う。自分たちは八百長という因習を受け継いだだけで、僕らが作ったシステムではない。それなのに、まるで僕たちだけが悪いといわんばかりの言葉だった。あれは絶対に許せない」
※週刊ポスト2012年8月17・24日号