ウィルスで他人のパソコンを乗っ取り犯行予告を重ねた「PC遠隔操作」事件で、警察庁は4人の男性の誤認逮捕を認めた。しかし依然、真犯人は謎のままだ。誤認逮捕の背景には、ハイテク犯罪に対する警察官の捜査能力に疑問を指摘する声も多い。ネット犯罪に巻き込まれた経験のあるフリーライター神田憲行氏が考察する。
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今から15年ほど前になるが、「ネットアイドル」という女性たちを夕刊紙で連載していた。HPを立ち上げている女性にメールで連日取材申し込みをしていたある日、編集者からとんでもない電話が来た。
「神田さんが取材申し込みした女性から、変な人じゃないかって問い合わせが編集部に来てるよ」
なんでも私が取材申し込みのメールを送ったあと、すぐ彼女のところに不審者からメールが届いたというのだ。私は取材申し込みのメールには私の自宅住所と電話番号のほかに、担当編集者の名前と電話番号も記していた。それで彼女は怯えて編集者に連絡したわけだ。
編集者に間に入って彼女に誤解を解いてもらい、不審者からのメールを転送してもらった。このような文面だった。
《昨日、日刊新聞の記者と名乗る人物からメールをうけとったと思います。その人物は僕の友人で、悪巧みのためにあなたにメールしました。ネットアイドルとかの取材と偽り、みだらな行為をしその写真を無理やりとって、お金を要求するつもりです。ですから絶対この取材を受けてはいけません。断ってください。この忠告を信じずに来た場合は、僕はあなたを犯さなければならなくなります》
もちろん根も葉もない中傷である。不思議なのは、なぜ不審者が私が彼女に取材申し込みのメールを送ったことを知っているのか、ということだった。取材申し込みは編集者も知らない、私と彼女だけが知っていることである。
私か彼女のパソコンがハッキングされて、覗かれているのか。私のパソコンは元からウィルス・チェックソフトをインストールしていたし、念のため別のチェック・ソフトでスキャンしてもそれらしきプログラムは発見されなかった。変なサイトにアクセスした覚えもない。さらに今まで取材したネットアイドルの女性たち30人ぐらいに、恥を忍んで経過を説明して「あなたのところに不審なメールが来ていませんか」と問い合わせしたところ、全員から「来ていない」という返事が来た。今まで取材した中には匿名で自分のヌード写真をアップしている女性がいて、私のHDDには彼女の名前も連絡先も残っていた。もし不審者が私のパソコンを覗いているなら、そんな「お宝情報」を見逃すはずがない。
不審メールを受け取った女性に心当たりがないか訊ねてみると、「知らない人からメールが来て添付ファイルをクリックしたがよくわからない」というではないか。しかも彼女はウィルス・チェックをかけていなかった。私からの連絡の後、彼女はその不審なソフトをアンインストールしたので「現物」は入手できなかったが、それがハッキングソフトだと思われた。
警察に行くことにして、ネット問題を扱う弁護士をしている大学の先輩に相談すると、
「偽計業務妨害にあたると主張しろ。あと警察はネットのことなんか知らへんから、プレゼンテーションは丁寧に準備していけ」
10ページくらいのプレゼンテーション資料を準備して、地元の所轄署に赴いた。被害相談で対応してくれた刑事は背中の筋肉が盛り上がり、肩周りががっしりした、いかにも「柔・剣道有段の猛者」という感じの人だった。
「失礼ですが、お巡りさんはネット関係はお詳しいですか」
「自分、切ったはった専門なんで、そっちはサッパリです」
暴行や強盗事件ばかり追いかけている人に「ハッキング」とか説明してもわからない。プレゼンの途中から目がうつろになってきた「猛者」に、助っ人で今度は神経質そうな細身の刑事も加わったが、「ようするになんなの」と、被害者のはずが逆に責められる。それでも一応、「捜査」はしてくれることになった。
「捜査終了」を伝える電話は、10日ほどたった朝にかかってきた。
「サイバーポリスの佐藤と申しますが」
サイバーポリスができたことも知っていたし、広報レベルで取材もしたことがあったが、本人と直接話をするのは初めてだ。職業的に思わず「下のお名前は」と聞くと「それはご勘弁」と言われた。彼の説明によると、不審者は海外のサーバーをいくつか通して、匿名アドレスが簡単に取得できるところからメールを送信しているという。「サーバーを叩いて」などの言葉遣いにプロっぽさを感じた。結局、サーバーを管理しているアメリカまで捜査員を派遣すればこの先まだ情報を得られるかもしれないが、そこまでは……というニュアンスだった。
私のケースでは自分が被害者だったので所轄も話を聞いてくれて、サイバーポリスも動いてくれた。だがこれが被疑者だったらどうだろう。PC遠隔操作による誤認逮捕では、現場の刑事が強引な取り調べをしたことも原因のひとつのようだ。サイバーポリスのような専門家集団は別として、現場は15年前の「猛者」から進化していないのではないだろうか。