春になるとスギ花粉がどのくらい飛んでいるのか、天気予報で毎日報告される。今年の春は、スギ花粉に加えて、PM2.5という新しい名前の物質が、どのくらい大気中を飛んでいるのかが、毎日話題になっている。新物質は、遠く離れた海の向こうの大陸から飛んでくるという。国境を越えて広がる汚染について、作家の山藤章一郎氏がリポートする。
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煙突状の尖端からエアーを吸い込むかすかな音が聞こえる。PM〈Particulate Matter=微小粒子状物質〉2.5を測る音である。フェンスで囲まれた一画に、コンクリートの測定小屋が建つ。普段は施錠されている。近隣の者もおそらくなんの小屋か知らない。
中に入り、高さ1メートルほどの金属箱を開ける。只今の測定値を表すモニター画面のついた装置が入っていた。
大阪府堺市―頭上を大阪、和歌山、奈良を結ぶ高速が交叉している。大型トラックがエンジン音と震動を蹴立てながら次々と通過する。そのジャンクションの真下、排ガスが充満していそうなエリア。
画面は、12マイクログラムを表示している。35マイクログラム以内が環境基準の濃度である。大阪の14か所の観測地点は、中国の春節の時期には基準値を超えた。最高で63マイクログラムあった。気象状況にもよるが、北京で高濃度が測定された翌日は大阪府内の数値があがる。
この箱の中の記録はテレメーターを通じて市のパソコンに通信される。微小粒子状物質だけではなく、一酸化炭素や二酸化窒素などのデータも送られる。案内してくれた大阪府堺市環境保全部の職員がいう。
「市民から、急に問い合わせが増えました。気管支炎、喘息の方などが敏感になっておられるのでしょう」
大気汚染、水質汚濁など〈公害ニッポン〉と呼んでいる時代があったが、いまから46年前の公害対策基本法で克服に向かった。だがいま、隣国中国から〈汚染〉が飛んでくる。
逃れられる術はない。プロペラ機で領空を侵犯したり、軍艦で射撃用のレーダーを照射する以外にも、迷惑千万の隣人である。
PM2.5の〈2.5〉は、微粒子の直径をいう。髪の直径の40分の1。これほど微細だから、肺の奥まで侵入する。
ジャンクション下の道路に、60過ぎのおばちゃんがウオーキングしてきた。
「わたい、花粉症やから。それ以上に悪いもん吸い込んだら怖いで。中国まだ石炭焚いとるらしい。それで、こっちに粉末飛ばしてきて。日本の国は、ほんまナメられとんねん。政府の人、大勢おって、なにしとんのや」
〈粉末〉は、呼吸器系と循環器系、さらにはリンパ節を侵す。
日中両国政府はこの2月、克服に協力しあおうと意見を一致させたが、おばちゃんには、中国が殊の外、腹立たしい。
「あっそうや、これいわないけません。ヨメのママ友が目ばちこになったん。それが、あんた、驚くなかれ、3人も。眼科に行ったら、アレルギーやアトピーやと。ちゃうわ。チュウゴクの仕業や。犯人はチュウゴクや。
おとうちゃん、もうじきデイサービスから帰ってくるん。ヨメはパートで。チュウゴクの悪いもん吸わんようにして、わたいが元気でおらんと、誰がおとうちゃんの世話できんのや」
※週刊ポスト2013年3月15日号