高木道郎氏は1953年生まれ。フリーライターとして釣り雑誌や単行本などの出版に携わり、北海道から沖縄、海外まで釣行している。その高木氏が、魚にまつわるロシアの諺について解説する。
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ロシアは昔から釣りが盛んな国である。S.T.アクサーコフが書いた『釣魚雑筆』は、アイザック・ウォルトンの『釣魚大全』と並び称され、釣り本の古典として今も世界中のアングラーたちに読み継がれている。出版はロシア革命以前の1847年、モスクワ周辺の河川や湖沼とボルガ川中流域を舞台に、具体的に道具選びのコツやテクニック、釣魚を紹介しながら、豊かな自然を美しい文章で描写した実用的随筆である。
そんな国だけにロシアには釣りをテーマにした諺が多い。開高健もたびたび紹介した「釣りの話をするときは両手を縛っておけ」という諺など、釣り師の習性を言い当てた釣り諺の傑作と言えるだろう。
両手を縛るのは、機嫌が悪くなって殴りかかる心配があるからでも、いきなり踊り出す危険性があるからでもない。両手を広げて示す魚のサイズがどんどん大きくなってしまうからだ。釣り上げたときは50センチだった魚が、話のなかで80センチ、ウォッカを飲むうちに1メートルにも成長する。
釣り師のホラ話に際限がないのは世界共通だが、釣り師はどういうわけかサイズにこだわる。
釣りの世界では獲物のサイズを「型」という単位で表現する。本来は姿形を意味し、「型を見る」はサイズに関係なく本命が釣れたことを意味する。ただ、型を見た程度で釣り師は満足しない。小型はいくら釣っても不満がつのり、納得サイズの良型を釣り上げてもまだ喜びは訪れない。誰もが認める大型を釣ってやっと顔がほころぶ。
もちろん、具体的に何センチ以上が大型という基準はない。釣り師同士の会話のなかでは46センチは50センチ弱という大きさになり、50センチを1ミリでも越えたら50センチオーバーや50センチ級という尾ひれ付きのサイズになる。両手を縛ったくらいでは、ホラ話の激流を泳ぐ魚の成長を止められそうにない。
※週刊ポスト2013年4月5日号