菅義偉官房長官──小太り体型に広い額、パッチリ二重の丸い目の風体は「優しそうなオッサン」にこそ見えるものの、失礼ながら「能吏」の印象も、「凄腕」の迫力もあまり感じさせない。安倍内閣のスポークスマンとして朝夕に2度の会見を行なっているが、いまだに少なからぬ国民が「すがよしひで」という名を読めないままでいる。
しかしこの男が、高支持率を維持して快調な政権運営を続ける安倍内閣において、今や「内閣の屋台骨」とまでいわれている。安倍が菅に全幅の信頼を置いていることを示すエピソードがある。
政権発足から100日が過ぎた4月7日、朝日新聞は政治面で〈菅義偉・官房長官 政権締める危機管理人〉と題した長文コラムを掲載した。菅は総理退陣後の安倍に再登板を進言し続け、安倍も「菅とは一蓮托生だ」と語る──そう絶賛する内容である。これに安倍が示した反応が興味深い。
「総理が馴染みの朝日記者に電話して、『あの記事はよかったよ』と褒めちぎったそうです。それほど菅さんへの評価を自分のことのように喜んだのでしょう」(朝日ベテラン政治部記者)
安倍より6歳年長である菅の存在は、現在の安倍内閣では異質である。大政治家の家に生まれ、東京の豪邸で生まれ育ち、やがて父の引退とともに後援会ごと“政治遺産”を引き継ぎ、年に数度しか帰らない“地元”での選挙は常に圧倒的な勝利を収める──安倍政権の主要閣僚・党幹部には、安倍、麻生、石破、甘利ら、そうした「お坊ちゃん世襲議員」が多い。
一方、横浜を選挙区とする菅の出身は、秋田杉の名産地で知られる秋田・雄勝町(現・湯沢市)。父・和三郎(故人)は雄勝町議を務めてはいたが、本業は農家で、生粋の政治家一家ではない。菅は高校卒業後に「集団就職」で上京し、段ボール工場に住み込みで働きながら法政大学の夜学に通う。
そして、卒業後に自民党政治家の秘書として修業した後に地縁のない横浜で市議となり、その後国政に転じた。いわゆる「地盤、看板、カバン」を持たない「叩き上げ政治家」である。
だからこそ菅の存在は、この安倍政権では必要不可欠なのかもしれない。安倍には苦い過去がある。第1次政権時代、安倍内閣は「学級崩壊」といわれる迷走を始め、閣僚間の不協和音がこだました。当時の閣僚はこう振り返る。
「若手の世襲議員が多かったせいか、自らの政策に自信を持ち、節を曲げることを嫌う大臣が揃ってしまった。中でも調整役をしなければならない官房長官の塩崎(恭久)さんは、政策通を自任していただけに、“その政策は自分がやる”と乗り出してしまう。すると、大臣たちも“所管は自分だ”と引き下がらない。“お友達内閣”と批判されましたが、実際は“俺が俺が内閣”でした。現在の菅さんは我の強い大臣たちの交通整理を巧みにやっている」
(文中敬称略)
※週刊ポスト2013年5月31日号