人気長寿番組『世界ふしぎ発見!』(TBS系列)の人気の理由には、世界の謎をクイズ形式で紹介する面白さだけでなく、クイズの正解者に与えられる「ヒトシ君人形」のモデルでもある司会者、草野仁氏によるところも大きい。同番組が1986年4月に始まった頃を尋ねると、決して順調な船出ではなかったと草野氏は振り返る。人気長寿番組について、そしてアナウンサーを始めたNHK時代について、草野氏に聞いた。
──キャスターを務める『世界ふしぎ発見!』(TBS系)は28年目を迎えた。長寿番組になった理由は何か。
草野:5年続けば成功と言われるテレビ業界ですので、正直これほど続くとは思っていませんでした。実際、第1回の放送では視聴率が6%を切った。2回目にやや持ち直しましたが、3回目がゴールデン・ウィークにあたって3%台。
それでも「歴史と楽しく遊ぶ」という当初のコンセプトでやるしかないと必死で番組を続けた。その結果、放送開始から3か月を過ぎた頃に視聴率が2桁に乗り、そこからは常時2桁を維持できるようになりました。番組スタッフの頑張りがあるから、今まで続いているのだと思います。
──東京大学を卒業後の1967年にNHK入局。スポーツキャスターとしてモントリオール五輪の実況中継やロサンゼルス五輪のスタジオ総合司会などで活躍。41歳でフリーのキャスターとなった。最新刊では『話す力』(小学館新書)がベストセラーに。学生時代から、話す仕事をしたいと考えていたのか。
草野:「話す」仕事に就いて46年になりますが、実は、もともとアナウンサーになりたかったわけではありません。
NHKに就職した時はジャーナリスティックな仕事がしたいと記者を志望していたのですが、アナウンサーで採用されてしまった。長崎育ちで標準語も完璧ではなく、人前で話すことも得意ではありませんでした。しかし人事担当者は「嫌なら辞めてもらってもいい」と大変強気で……(笑)。泣く泣く、アナウンサーとしてNHKに入局しました。
──話し下手だったとはとても見えない。
草野:最初、アナウンサーとは何だろうと考えました。作家には作家独自の文体があります。だったら、話し手にもその人独自のスタイルがあっていいのではないかそう考えました。しかし一朝一夕で自分のスタイルが身につくはずはありません。とにかく話し方が稚拙だったので、まずは先輩から学ぶことだと思い、NHK、民放を問わず、いろいろな方のアナウンスを聞きました。
当時、NHKには全国に約600人のアナウンサーがいたのですが、何か月も先輩方のアナウンスを聞き続けているうちに、第一声を聞いた瞬間、「これは秋田放送局の○○さん」「この声は山口放送局の△△さん」と識別できるようになりました。
国民栄誉賞を受賞した元ヤンキースの松井秀喜さんは、毎日、素振りを欠かさなかったといいます。私にとって、先輩のアナウンスを「聞く」という行為は、野球選手の素振りと同じだったのです。「量」をこなしたことで自信もつきましたし、技術も徐々にですが身についていきました。
41歳の時に、もっと積極的に情報を視聴者に伝えたいと思い、NHKを飛び出してフリーになりました。意識的に「話す力」を磨こうと努力してきたことが、その後の私のキャスター人生に大いに役立ちました。
※SAPIO2013年12月号