漁が再開すると、獲ってきた貝の選別作業やセリをする場所がないことが問題となった。魚市場の施設も津波で流失したからだ。当初は屋外で作業をしていたが、漁師らが中心となって地元名取市などに掛け合い、2012年5月に仮設の魚市場が開設した。
漁師がいて、船があり、市場がある。これで、事実上、閖上支所は閉鎖を免れた。更地で無人になった閖上地区の端で、赤貝漁の活動が形になり始めた。これは県内外を問わず、明るいニュースとなった。しかし喜びも束の間、震災前にはキロ4500円の高値がつくこともあった赤貝も、3000円ほどに値が下がってしまっていた。
そこで閖上ブランドを取り戻すために、赤貝の自動選別機が使用開始された。重さごとに7種類に分けることで、価値体系の均一化、安定化を図ったのだ。また、2013年に入ると、再開決定後に発注した新造船が続々と完成、操業し始めた。
昨年4月に進水した栄漁丸の船長・佐藤栄作氏は「船が来るまでは海底の瓦礫を浚(さら)う仕事や、他人の船の手伝いをしていた。自分の船でヨシやるぞという気分になった」とその時の心境を語る。1月18日には最後の1隻が進水を迎え、ようやく閖上の赤貝漁は態勢が整う。
閖上の名を広めるブランド赤貝の漁を先鋒に、地区は活気を見せ始めている。30年の歴史を持つ「ゆりあげ港朝市」も昨年5月に閖上に戻ってきた。
「俺らが獲る赤貝は日本一だから、というのはここの漁師は誰もが思ってるでしょう。俺たちが獲り始めなければ、閖上には人が戻って来ないとどこかで感じていた」(前出・出雲氏)という静かな気概が、復興という太く重い綱を引っぱっていく。
撮影■藤岡雅樹
※週刊ポスト2014年1月24日号