「例えば道端に〈更地〉を見かけて、あれ、ここって何が建っていたんだっけ? と思うのと同じ。私たちは自分の今を何が支えてくれているかをつい忘れてしまうけれど、この歳になると自分が好きだった相手より、好きでいてくれた人を思い出すんですよ。
同窓会でも片思いしてフラれた人より、ボロボロの自分をそれでも好きでいてくれて、どんな自分も愛せる強さを教えてくれた人に、私は会いたい。あ、1人か2人ですよ。でもその誰にでもいる1人か2人の、大事な人の思い出を手のひらに握りしめて、生きていけたらなあって」
特に同じ団地に住む森嶋家の三兄弟、〈正浩〉〈信也〉〈悠人〉がいい。長男正浩は水樹の兄〈徹〉と、信也は水樹と同級で、幼い悠人は今でいう発達障害はあるが、みんなの可愛い弟だ。肝臓を患う元競輪選手の父に代わって母親が働く森嶋家に対し、水樹の父は職を転々としては競輪に興じるダメ親父。母はリカちゃんの服の内職やパートに忙しく、賢くて優しい正浩以下、5人はいつも一緒だった。
「昔は子供だからと言って大事にされないというか、子供は子供同士守り合うしかなかった。悠人みたいな子がいてもみんなで何とかしたり、子供なりに“自立”していたんですね。
私の地元がまさにこんな感じで、昔はあんなに活気のあった向日町競輪場も、今は廃止が検討されている。彼らはそんな競輪場と一緒に大きくなった子供たちで、この45年で建物は老朽化し、国内で作った服は売れなくなった。でも京都には伝統工芸を世界に発信して新しい売り方を模索する若い世代もいて、あと一踏ん張り、もう一アイデア、やれないはずはないと思うんです」
〈日本はだめだ〉〈日本はだめだと思ってるということが、だめだ〉と、憲吾から京都での服作りを提案され、水樹の心は揺れた。一方、父親の死後も不幸が続いた森嶋家の消息は今も知れず、いつも自分を支えてくれた信也の不在が、彼女をある行動へと突き動かす……。