作家・有吉佐和子が53歳で急逝したのは、昭和59年8月30日のことだった。没後30年となる節目の今年、新装版や復刊が相次ぐが、時代小説にせよ、ルポにせよ、有吉が描いたテーマや言葉は、あたかも現代日本を予見していたかのようだ。社会と人間の本質を見つめ続けた有吉文学を、今こそ読み直したい。文芸評論家の富岡幸一郎氏が語る。
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昭和四十七年に発表した『恍惚の人』は、精神を病んだ老人をテーマにした小説で空前のベストセラーとなった。老人福祉政策に未だ人々の目が十分にいかずに、戦後の経済的繁栄に浮かれ(翌年にオイル・ショックがあり、街中のトイレットペーパーが買い占められるという珍事もあった)ていた日本人に、人が生き老いることの切実な現実を突きつけた。
“恍惚”の八十四歳の老人の奇行、幻覚、徘徊の日々に翻弄される家族。一流商社に勤める夫と法律事務所でタイピストの仕事をする妻にとって、父親の突然の変貌はまさに青天の霹靂であった。
妻の昭子は、夜中に突如起きあがっては、ひィひィひィと悲鳴をあげたり、一人で家を出て行き街道を猛スピードで歩き続けたりする舅の行動に、自らも神経を病み焦燥と苛立ちにかられるが、仕事を理由に自分の父親の現実から目をそらして逃げようとする夫を見て、最後まで「お爺ちゃん」の世話をしようと決意を固める。しかし、彼女は舅の徘徊がたんなるボケではなく「老人性の精神病」であることを専門医から知らされ、愕然とする。そうした老人を収容する施設は一般の精神病院しかないといわれたからである。
《……老人福祉指導主事は、すぐ来てくれたけれど何一つ希望的な、あるいは建設的な指示は与えてくれなかった。はっきり分かったのは、今の日本が老人福祉では非常に遅れていて、人口の老齢化に見合う対策は、まだ何もとられていないということだけだった》