2012年、リビアのアメリカ領事館がイスラム過激派の襲撃に遭い、駐リビア大使ら4人が殺害された。ところがこのとき、オバマは国務長官だったヒラリー・クリントンにすべてを任せ、自身はなんらメッセージを発しようともしなかった。ヒラリーは「すべて私の責任だ」と述べたが、本来はオバマがレーガンのように、国家としての強い意志を表明すべき場面だった。
一方、1986年のイギリスをいまの日本になぞらえれば、安倍の覚悟のなさも一目瞭然である。
サッチャーはこのとき、国際的に孤立することを辞さず、同盟国アメリカに協力した。それはお互いを「マギー」「ロン」と呼び合うサッチャー・レーガンの信頼関係によるものだけではなく、サッチャーがこの行動はイギリスの国益にかなうという信念を持って決断したことだ。
安倍晋三が考える、ただアメリカに追随してさえいればいいという集団的自衛権の発想とは、根底からしてまるで違う。
当時のアメリカとイギリスには、お互いを同盟国として信頼しながら、それぞれが独自に国益と信念のために行動するという強さがあった。
サッチャーは1982年のフォークランド紛争で、南大西洋に浮かぶ英国領フォークランドを守るために、アルゼンチンの侵略に対して即座にイギリス軍を派遣した。
このとき、友人であるレーガンは武力衝突に反対したが、サッチャーはレーガンに「(米国領の)アラスカが同じ目にあったら、同じことが言えますか」と毅然と言い放ち、反論を封じた。結果は、イギリスが2か月あまりの激闘の末、勝利を収めた。
フォークランド紛争の際、サッチャーのもとには朝になると必ずアシスタントがやってきて、前日にイギリス人兵士が何人戦死したかを伝えた。
「聞くたびに鳥肌が立ちました。人生のなかで最もつらい、まさに地獄の日々でした」
私がインタビューした際、サッチャーは当時をこう振り返った。優れた指導者とは常に、このような強さと人間臭さを併せ持つものだ。断言するが、安倍晋三に、このときのサッチャーのような覚悟は絶対にない。
最近、カネのせこい使い道を追及されて泣きじゃくる地方議員の姿が話題になった。あれが世界に発信されると思うと情けなくなるが、日本人は彼を嗤っている場合ではない。
尖閣が攻められたときに、アメリカに泣いてすがろうとする安倍の姿は、あれに似たようなものになるかもしれない。あの泣きわめく男の姿は、いまの政治家の未熟ぶりを象徴しているのだ。
※SAPIO2014年9月号