この人たちの証言は、私の従軍慰安婦問題を考えるときの物差しの一つになった。声高には叫ばなかったものの、そんな私の見方は、親しい同僚らとの打ち解けた席ではおりに触れ、話していたものだった。
ソウルで、おばあさんたちのデモに合わせて歩いていると、会社名の入った茶封筒を抱いた若い女性が眺めていた。気持ちを尋ねてみると、「可哀想だと思う。でも、昔のことだから。そういうことがあった時代だったから」という答えが返ってきた。そうだろうなと思った。沿道でデモを眺める人は少なかった。
強制性を認めたとされる、1993年8月4日の「河野洋平官房長官談話」よりかなり前の話だが、日本の外務省にあたる韓国の省庁に行くと日本担当幹部は、「これはねぇ、日本にとって恥ずかしいことだろうが、韓国にとっても恥ずかしい話なのですよ」と、頭を抱えていた。同胞の女性が従軍慰安婦だったことが、韓国の国家イメージ上昇につながるはずはないとの、当たり前の感覚だった。
従軍慰安婦報道の特徴の一つは、当事者の元従軍慰安婦のおばあさんがいるソウルに駐在している記者が、おばあさんの証言などを細かく伝えるような記事をそれほど書いていないことだろう。ほとんどは【東京発】か【大阪発】であったように思う。それが、従軍慰安婦報道の軌跡を方向づけたと言えるかもしれない。
※前川惠司氏・著/『朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実』より