──最近、狩猟や肉食が注目される背景には何かあるのでしょうか。
服部:原発事故が典型ですけど、ブラックボックスばかりの現代文明のあり方はどこかおかしいという思いがみんなにあるんだと思います。食についてもカラクリがわからず、不安を感じている。そのとき、リアルな手触りのある狩猟や肉食に関心が向かっているのではないでしょうか。もうひとつ、農作物が食い荒らされる被害を防ぐために鹿を殺すことが増え、殺しの垣根が下がったという事情もあると思います。
僕は、極力装備や食料を持ち込まない「サバイバル登山」というものを行なっていて、そこでは食料を山で、自力で調達するので、必然的に狩猟に行き着きました。4年ほど前、そのことがテレビ番組で取り上げられたときには、動物愛護団体からかなり抗議電話が来ました。でも、ここ1、2年、その種の風当たりはほんとに減りましたから。
──現代人の多くは切り身でしか肉や魚を知らないことが多い。
服部:自分で狩り、殺し、食べると、それが肉ではなく命なのだと実感します。自分が生きるために他の命を殺すというのはある意味で矛盾ですが、しかしそれは拒否できない。生き物は生き物を食うことでしか生きていけないんです。
生き物に由来しないもので摂取しているものって、水と塩だけでしょう。「義っしゃん」はそうした自然のサイクルの中に入って生きているし、「義っしゃん」の向こうにはデルス・ウザーラ(極東ロシアの森に暮らした伝説的な先住民の猟師)の姿が見えます。
※SAPIO2014年10月号