一度しかない親の死に著名人たちはどう向き合ってきたか──。NHK連続テレビ小説『マッサン』で、主人公夫妻を人情深く支えるニシン漁師の網元・森野熊虎役を演じる風間杜夫さんが、亡き母、そして父の思い出を語った。
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「トモちゃんは学芸会ではつらつとしている」
“トモちゃん”とは住田知仁(すみだともひと)というぼくの本名で、舞台の上では普段のもじもじした姿が一変する、と幼稚園で知り合いの父母に言われたらしく、おふくろは小学2年生のときにぼくを児童劇団に入れた。
小学3年生で東映児童演劇研修所に入ると、次々と仕事が舞い込んだ。子役として連続8本の映画に出演したこともある。小学5年生の時は10か月ぐらい撮影所のある京都で暮らした。おふくろがそばにいてくれて心強かったが、ときには親父がおふくろに代わって、撮影所で仕事をするぼくに付き添ってくれた。
親父は新東宝という映画会社で配給の仕事をしていた。娯楽の少ない時代に映画会社の配給の営業は羽振りがよかったらしく、ぼくが生まれ育ち今も暮らす、世田谷区上馬の自宅の土地も、終戦直後に親父が手に入れたものだ。
明治生まれの気難しい親父で躾にも厳しく、食事中に肘をついたり、箸を舐めたりするとゲンコツが飛んできた。気に入らないことがあると食事中でも座卓をひっくり返したり、おふくろを叩いたりしたのも見たことがある。
その一方で茶目っ気のある親父は、映画会社の対抗野球大会でお手製のトラ柄のパンツをはいて、大きな団扇を手に持ち足に鈴をつけ、応援を買って出ていた。
親父はガマの油売りの口上も得意で、「サァーサァーお立ち合い、御用とお急ぎでないかたはゆっくりと聞いておいで、見ておいで~」と、家族の前で得意げに披露していた。
酒が好きな親父で、玄関で寝込んでしまい、おふくろとぼくと姉貴で、親父を家の中に引っ張り上げたことも何度かあった。
※女性セブン2015年2月5日号