『仁義なき戦い』は抗争の渦中を生き抜いた美能幸三(美能組初代組長)の手記を元に、作家の飯干晃一が解説を加えたもので、映画で菅原文太が演じた広能昌三は美能のことである。ただ、『仁義なき戦い』で描かれた広島抗争ドキュメントは美能の手記が叩き台のため、すべて美能史観でしかないとフリーライターの鈴木智彦氏は指摘する。7年にわたり合計700枚もの手記を書き上げたヤクザ、美能幸三について鈴木氏がリポートする。
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美能史観をフィクションで再構成した映画『仁義なき戦い』の実際はどうだったのか……その解説は一部のマニアしか求めていまい。ここではシンプルに美能幸三とはどんな人物だったのか説明したい。
個人的見解と断っておくが、私は広島抗争をぐちゃぐちゃにかき回したのは、美能幸三自身、映画でいえば菅原文太演じる広能昌三だったと考えている。端的にいえば元凶というヤツだ。
映画の中での菅原文太は、ストレートな硬骨漢だった。少年漫画的で男らしく、謀略を巡らすヤクザたちを毛嫌いする。親分が絶対とされるヤクザ社会で、最大のタブーである逆縁すら厭わず、ヤクザの正義に殉じる姿は美しい。
「山守さん、弾はまだ残っとるがよう」
第一作のラストで、単身、葬儀に乗り込み、祭壇に向かって拳銃をぶっ放す広能昌三は、誰の目からみてもヒーローだ。だが、こんな単細胞では命がいくつあっても足りない。実際の美能は、裏切りの連続を生き抜いてきたタフガイである。
彼は広島ヤクザの中で、突出した実力を持っていた。美能が引退した後も、美能組が呉に存在し続け(現在は解散)たのは、彼の名がビッグネームだった証明だ。背中に彫られた鯉の刺青同様、「博奕でコイ、喧嘩でコイ」であり、顎も立つし喧嘩も出来る。
ただし、美能は頭がキレすぎた。
「美能さんは別格じゃった。娑婆でも刑務所でも、言動が違った。諺には正反対の意味になる2種類がある、などとよく言っていた」(『仁義なき戦い』に登場する某組長・故人)
かなりの読書家で、好きな本を訊いた時は即座に『月と六ペンス』と返答している。ヤクザからサマセット・モームの名前を聞いたのは20年以上のヤクザ取材でこの一度きりだ。
※SAPIO2015年3月号