地下鉄サリン事件の特別捜査本部が立ち上がり、数百名にも及ぶ捜査員が熱気渦巻く講堂に参集していた。
築地署刑事課長が、緊張した面持ちで決意を新たに語った最後にこう付け加えた。
「××会社さんからのご厚意で、カップラーメンを膨大に頂いた。しかし、いずれも、豚の餌にも適さない消費期限切れのものだ! いいか、オマエらはブタ以下だ! 這いずり回って捜査に打ち込め」
警視庁捜査第一課生え抜きの課長の言葉に、捜査員たちはまさに獣(ケダモノ)の目をしていた。
刑事課長の傍らの雛壇で腕組みをする捜査第一課のK幹部こそ、獣そのものだった。彼は捜査第一課長の右腕として、サリン捜査の中核的存在となった。しかし、特捜本部を指揮しながら激しい胃の痛みに堪え続けた。病院に行く時間さえ惜しんで捜査に没頭した。そして麻原逮捕の数ヶ月後、末期癌であることが発覚。間もなくしてオウム捜査にかけた生涯を閉じた。
20年の月日を経て蘇る──語ることを禁じられてきた光景は、永田町、霞が関そして丸の内や大手町のビル群の屋上の映像だ。
警察は、それら日本の政経中枢の真っ直中に存在する全省庁と主要大手企業の担当者を必死に説得した。そして、電波ジャミング用のアンテナがビルの屋上に設置されていった。警察は恐れていた。オウム保有のサリン噴霧装置付きラジコンヘリが政経中枢を襲うことを。飛来に備えて操作電波を遮断するためのアンテナの存在は極秘とされた。
封印されていた20年の記憶は数多い。地下鉄サリン事件直後、逃亡したオウム幹部たちが向かった北陸の地。ちょうど同じ頃、北朝鮮工作船が北陸エリアへ向かったことを、政府機関は電波傍受していた──。
多くのことは私も語り尽くすことはできない。全容は〈オウムXファイル〉と密かに名付けられ、現在も、警察庁警備局の特殊組織犯罪対策室のスチール棚に眠っている。
■文・麻生幾(作家)
※週刊ポスト2015年4月3日号