オウム真理教一覧

【オウム真理教】に関するニュースを集めたページです。

「世紀末」と「終末」 字面は似ているが意味は全然違う
「世紀末」と「終末」 字面は似ているが意味は全然違う
 大きな社会的現象によって広まった言葉により、その意味が曖昧になったり、誤用が重ねられることがある。評論家の呉智英氏が、『ノストラダムスの大予言』著者である五島勉氏の訃報をきっかけに頻出した「終末」と「世紀末」の誤用について解説する。 * * * 八月三十日付朝日新聞は、この六月当年九十一歳の高齢で亡くなった五島勉の著作『ノストラダムスの大予言』の社会的影響をふり返っている。一九七三年刊行のこの本は、一九九九年七月に空から恐怖の大王が降ってくると「予言」し大ベストセラーとなった。「なぜ受け入れられ、何を残したのか。終末を迎えぬまま20年経ったいま、改めて考えてみた」。オイルショック、公害の深刻化などの社会不安の風潮があり、やがてオウム真理教にも影響を与えることになった、とする。 おおむね納得できる内容だ。しかし、私はここに言葉の誤用を付け加えるべきだと思う。言葉の誤用がノストラダムスやハルマゲドン(最終戦争)の連想を生んだ。そして今なおこの誤用に気づかない人が多い。 産経新聞に「World Watch」という不定期連載記事がある。筆者は宮家邦彦。外交官を経て現在はシンクタンクの主幹を務めている。しばしば重要な知見が載り、私も愛読しているのだが、五月二十八日付には、おやおやと思った。「今も世界では『思慮深いが根拠のない』楽観論と『世紀末的』悲観論が飛び交っており…」 世紀末的悲観論って何だろう。『週刊新潮』には日赤医療センター化学療法科部長の里見清一が「医の中の蛙」を毎週連載している。これも私は愛読しているのだが、九月十日号にはこんな一節を見つけた。「五島勉『ノストラダムスの大予言』も、世紀末と相まって多くの絶望的若者を生み出し、オウム真理教が浸透する素地になった」 ノストラダムスが世紀末とどう「相まつ」のだろう。 宮家邦彦も里見清一も世紀末には災厄が起きると思っているようだ。それは「世紀末」ではなく「終末」である。聖書の黙示録に描かれた天使の軍隊と悪魔の軍隊が闘う世界最終戦争のことだ。字面(じづら)は似ているが意味は全然違う。 週末に何か災厄が起きるだろうか。月末はどうか。年末はどうか。これらはだいたい楽しい行事が控えている。世紀末は、特に楽しくはないけれど、別に災厄が起きたりはしない。 歴史上に二十回起きた世紀末のいくつかを検証してみよう。なぜ二十回かと言うと、紀元前には当然西暦などないからだ。 さて、五世紀末にはフランク王国建設。八世紀末には平安朝成立。十二世紀末には鎌倉幕府開設。十五世紀末にはコロンブスの新大陸到達。十六世紀末には関ヶ原の合戦。十八世紀末にはフランス革命。いずれも歴史発展の契機(モーメント)となった。もっとも、負けた方、侵略された方からすれば災難だが、それでも世界最終戦争ほどではない。「世紀末」とは文化史用語で「十九世紀末的風潮」という意味である。十九世紀の末期、ボードレールやワイルドなど頽廃的で背徳的な文学や美術が流行した。これを世紀末文化と呼ぶ。十九世紀末特有の現象である。英語では世紀末をdecadent(頽廃的)と言う。●呉智英(くれ・ともふさ)/1946年生まれ。日本マンガ学会理事。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。※週刊ポスト2020年10月2日号
2020.09.23 07:00
週刊ポスト
上祐氏はオウム真理教の疑惑について語った(写真/FCCS)
猪木、トランプ、三島由紀夫… 世間を震撼させたFCCJの会見
 終戦間もない1945年11月に、日本に駐留していた従軍記者らによって設立された「日本外国特派員協会」(FCCJ)は、政治家から社会的弱者まで様々な人の自由な発言の場として存続してきた。その一方で、世界中からの興味関心が集まる場だけに、会見での応酬も相応に厳しいものになる。「難しい質問が3回目ですね……」 北朝鮮の選手を日本に招待して一緒に滑るかと聞かれると、羽生結弦は言葉を詰まらせ、天を仰いだ──。忌憚のない質問が飛ぶことで有名なFCCJの会見には池田勇人や佐藤栄作などの歴代首相、インドのガンジー首相、宇宙飛行士のユーリ・ガガーリンなど国内外の大物が招かれてきた。 1990年代に入ると、スポーツ選手や芸能人も続々と登壇。1992年には日本相撲協会の出羽海理事長が「わざと負けることはあるのか」と八百長問題を追及されたり、2006年には著書で赤裸々な男性関係を綴った石原真理子が「芸能界とヤクザの関係」について尋ねられて「それについては話せないのですが……」などと答えたりした。 異例のケースは、1998年の阪神・吉田義男監督。エイプリルフールに“優勝祝賀会見”が開かれ、巨人・長嶋茂雄監督からも祝電が届き、「身に余るお祝辞、ありがとうございます。男として幸せです」と感謝を述べた。 以下に、事件や騒動の当事者たちが行った注目会見の数々を振り返ってみよう。■アントニオ猪木、モハメド・アリ「異種格闘技戦について」(1976年6月18日) アリが最初にマイクを持ち、「俺はこの男をぶっ倒してやる」などと挑発すると、猪木は「ギャーギャー吠えるヤツは昔から弱いと決まっている」と一蹴し、細長い包みを渡した。アリが中身を確認すると、松葉杖と判明。世界最強ボクサーは「おまえを殺すぞ!」と激昂した。■オウム真理教外報部長・上祐史浩「オウム真理教の疑惑について」(1995年4月3日) 地下鉄サリン事件などについて、流暢な英語で無実をアピール。ひとつの質問に10分以上も答えた。イタリア人記者・パニョッタ氏が山梨県上九一色村の教団施設の「第7サティアン」は化学工場ではないかと質問。上祐氏は否定したが、記者は潜入して撮影した写真を見せ、「おまえはウソつきだ」と言い放った。■元ライブドア社長・堀江貴文「ライブドア事件と検察について」(2009年4月2日) 2006年1月に証券取引法違反で逮捕されて以降、初の記者会見。「同じ利益粉飾事件で、ライブドアの約4倍である180億円の日興コーディアル証券、200億円の石川島播磨重工業は上場廃止されず、経営陣も逮捕されていない」などと検察を批判。これからも保守的な日本に刺激的な発言をし続けると宣言した。■元日産自動車会長・カルロス・ゴーン「自動運転技術導入について」(2014年7月17日)「シニア世代に魅力ある車を提供したい」と2020年の実用化を目指す自動運転技術の開発ロードマップを公表した時の会見。しかしその後、計画が進んでいた2018年11月に金融商品取引法違反で逮捕。翌年6月に会見予定も、家族の強い反対でドタキャン。年末にレバノンへ逃亡し、日本の司法制度に大きな衝撃を与えた。■元巨人代表・清武英利「渡辺恒雄会長について」(2011年11月25日) 11日に記者クラブで会見を開き、コーチ人事に不当な介入を行なったとして渡辺恒雄・巨人球団会長を批判、1週間後に球団代表を解任された。この日の会見では、A4サイズ13枚の声明文を配布。11日の会見前に渡辺会長から電話で、「君は破滅だぞ。読売新聞と全面戦争になる」と恫喝されたと明かした。■野村沙知代(野村克也夫人)「衆院選出馬について」(1996年10月4日) 新進党の目玉候補として東京5区から出馬。尖閣諸島や竹島の領土問題について聞かれると答えに窮した。コロンビア大学への留学歴を公表するも、3年後に学歴詐称を疑われ、浅香光代らに公職選挙法違反で告発される。嫌疑不十分で不起訴になるも、夫の野村克也はのちに「サッチーの履歴は全部ウソ」と告白。■籠池泰典・諄子夫妻(森友学園元理事長・副理事長)「補助金詐欺事件裁判での有罪判決について」(2020年2月26日) 泰典氏は国会で証人喚問のあった2017年3月も含め3回目の会見。補助金詐欺事件で有罪判決を受けたことへの抗議を表明。「保釈金も用意したのに3日間拘置所にいた。ファイティングスピリットを失わせるためで、大きな人権侵害だ」と検察を批判したが、取り上げる媒体は少なかった。■三島由紀夫(1966年4月18日) 川端康成の推薦で文壇デビューした経緯や「太宰の文学は嫌い」と本人に直接話した事実などを明かした。この4年後の1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)で割腹自殺を遂げた。■中曽根康弘首相(1985年10月7日) 日米経済摩擦などについて話し、最後に「ここは、ある政治家がケガをした危険な場所。準備に時間がかかって長い間来られなかった」とジョークを飛ばして笑いを誘った。■ドナルド・トランプ(1993年8月18日) 当時“不動産王”としてその名を轟かせていた現米国大統領。日米安保などについて語り、「日本人に尊敬の念を持っています」と神妙に述べていた。■鳩山邦夫法務大臣(2007年10月29日) 翌月から施行の改正出入国管理・難民認定法に関して、「友人の友人がアルカイダ」と発言し物議を醸した。※週刊ポスト2020年9月4日号
2020.08.25 16:00
週刊ポスト
コロナ騒動で変わった景色 ウイルスの前では「お金の力」も無力
コロナ騒動で変わった景色 ウイルスの前では「お金の力」も無力
 新型コロナ騒動は世界中を不安に巻き込んでいる。普段からさまざまなことを体験しリポートし続けている『女性セブン』の“オバ記者”こと野原広子さん(62)は、このコロナ騒動に何を思うのか。イギリスのチャールズ皇太子やボリス・ジョンソン首相、俳優のトム・ハンクスも陽性が明らかになったが、オバ記者が感じたのは「コロナの前に身分や資産の有無は関係ない」ということだった。 * * *「もう、いいんじゃね?」と言いたくなるほど、テレビをつければ朝から晩まで新型コロナウイルスの話。イタリアは死者数が中国を抜いて世界一になったというし、パリの街はガラガラ。日本では飲食店や中小企業等が悲鳴をあげている。  不安に駆られてネットを開けば、9年前の3月11日に起きた東日本大震災の様子がYouTubeにアップされている。当時から地震や津波の映像が配信されているのは知っていた。でも、とてもじゃないけど見る気になれなかったの。9年たって記憶から生々しさがやっと消えたつもりでいたけど、映像を見たら、「ありえない!!」と何回も叫んでいた。  そういえば3月って、時代が折れ曲がるところを見せられる月でもあるのよね。オウム真理教の地下鉄サリン事件が起きたのは1995年3月20日。あの事件を機に駅のホームからゴミ箱が消えたし、世の中にはとんでもない人たちがいるという不信感と不安を誰もが持ったと思う。  と、そんな話を昭和6年生まれの男友達Oさんに言うと、「3月といえば、3月10日の東京大空襲ですよ」と言う。「わずか数時間で10万人の人が焼き殺されるって、どんなことか想像つく?」と。14才でそれを目撃した彼は、89才になったいまも、夜中に「空襲警報、発令!!」と叫んで飛び起きることがあるのだという。  Oさんの隣家には、28才ほど年上の作家・林芙美子さん(『放浪記』が代表作。戦後日本人の悲しみを書き綴った作品多数)が住んでいて、幼少の頃から彼をかわいがってくれたそう。空襲の数日後、林さんと顔を合わせたOさんは、あまりの惨状に泣き言を漏らした。「食べるものも履く靴もなく、布切れを足に縛って連日、死体の片付けに駆り出されて、つくづくイヤになった。疲れた」と。  すると林さんは、「何言ってるの。あなたは幸せなのよ」と言ったんだって。「えっ?」と顔を上げると、「いいことも悪いことも、全部見て死んでこそ、人。この戦争が終わったら日本はどんどん復興するでしょう。生き残ったあなたはそれも見られるのよ」と言い放ったんだって。  日本中が混乱と失意に満ちていて、明るい話題を出すことも、顔に笑みを浮かべることも憚られたときだっただけに、Oさんは「なんてこと言うんだ」と思ったという。すると、林さんはさらにこう言った。 「都心を横切って、空襲で焼かれた下町を見に行こう。歴史をちゃんと見るのは、生き残った人間の務めだよ」  若かりしOさんは黙って同行した。そしていま、Oさんは「あの日、林さんと見た光景は忘れられるものじゃないけど、見てよかったと思う」としみじみ語る。  数か月に及ぶコロナ禍に世界中が翻弄され、混乱を極めているいま、Oさんの体験談が妙に生々しく思えた。失意のどん底にあってなお、現実を直視し、向き合おうとする林さんのような姿勢が私たちにも必要だと思う。戦争と感染症を一緒にしてはいけないことはわかってる。でも、出口がなかなか見えない状況下で、押し潰されそうになっても、くじけずめげず、なんとか頑張ろうとするのが大切なのは同じだと思う。  えっ? そんな昔のことを言われたところで、新型コロナウイルスが怖いことには変わりないって? はい、その通りです。だから私は外に出るときはマスク着用で、帰ったら手洗い・うがいは欠かさない。それがこれからずっと日常になるのかもしれない、と思うとほんと、うんざりよ。  でも! 見方を変えたら、それは昨日の続きを明日もしようと思っているからで、「明日からは昨日と違う日が始まる」、そう思うと、また景色が違って見えない?  ちょっと前まで、グローバル化って、世界の富をガッツリ集める超金持ちの人と、それで割を食う多くの極貧民が増えることなんだな、とシラケて見ていた。けど、世の中って面白いなとも思うのは、まったく違う角度から矢が飛んでくることよ。新型コロナウイルスの前では世界はひとつ、人間みな平等。お金の力ではどうにもならないことがあるということが、こんなに具体的になったことって、いままであったっけ。  新型コロナウイルスで落ち込んだり縮こまっていたりしても仕方がないもの。心の新学期、4月を迎えるにあたって、現実をしかと見ながら、前を向いていきましょうよ。※女性セブン2020年4月9日号
2020.03.29 16:00
マネーポストWEB
閣議に挑む閣僚たち(時事通信フォト)
「トンデモ閣議」乱発の背景に首相のメンツや閣僚失態隠し
 安倍長期政権は国会の議決がいらない、いわば“安倍勅令”ともいえる「閣議決定」を乱発して行政府の役人たちを従わせ、政権の不祥事にフタをして思うままに政治を進めようとしている。 例えば、安倍晋三首相主催の「桜を見る会」に反社会的勢力とみられる人物が出席していた問題では、「定義が困難」というという理屈で反社対策に力を入れる政府方針に逆行する前代未聞の閣議決定をした。 また、小泉進次郎・環境相の国際会議での意味不明な「セクシー」発言についても、〈正確な訳出は困難であるが、例えば、ロングマン英和辞典(初版)によれば、「(考え方が)魅力的な」といった意味がある〉(2019年10月15日)といった政府の正式な解釈まで閣議決定された。 いずれも、野党の質問主意書に対する答弁書として閣議決定され、安倍首相名で国会(衆院議長)に提出されたものだが、答弁書の文言を作成するのは官邸や内閣府の事務方で、内容に応じて所管省庁が下書きをするという。 役人が答弁書を下書きする以上、絶対に首相に恥をかかせるわけにはいかない。とくに安倍首相は論戦で負けるのも、謝るのも大嫌いだ。 安倍首相はかつて党首討論で、志位和夫・日本共産党委員長からポツダム宣言の条文について質問され、「まだその部分をつまびらかに読んでおりません」と答弁したことがある。日頃、目の敵にしている共産党に背中を見せたことがよほど悔しかったのだろう。質問主意書で質されると、こんな閣議決定が。〈安倍内閣総理大臣は、ポツダム宣言については、当然、読んでいる〉 恥をかかせてはならないのは大臣も同じだ。島尻安伊子・元沖縄北方相が記者会見で北方領土の一つ、「歯舞(はぼまい)」を「えー、何だっけ」と読めなかったことがある。だが、閣議決定では、〈同大臣が「歯舞」の読み方を知らないという事実はない〉と、いつの間にか読めることにされた。 こうしたやり方で、首相や大臣たちの失言は、訂正されないまま「閣議決定」でどんどん正当化されている。 安倍首相は安保法制が審議された参院予算委員会(2015年)で、自衛隊を「わが軍」と呼んだ。口が滑ったのだろうが、「自衛隊は軍隊ではない」とする従来の政府解釈との矛盾が指摘されると、国会答弁を訂正するのではなく、こんな答弁書を閣議決定している。〈自衛隊は、憲法上自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものであると考えているが、(中略)国際法上、一般的には、軍隊として取り扱われるものと考えられる〉 こうして自衛隊は“晴れて”軍隊となった。 麻生太郎・副総理兼財務相の失言も閣議決定で“救済”された。2018年に財務省で発覚した福田淳一・事務次官(当時)の女性記者へのセクハラ問題について、麻生氏は「セクハラ罪っていう罪はない」と庇って批判を浴びた。政府はこの発言についてどう閣議決定したか。〈セクシュアル・ハラスメントが、刑法第百七十六条(強制わいせつ)等の刑罰法令に該当する場合には、犯罪が成立し得るが、その場合に成立する罪は、(中略)強制わいせつ等の罪であり、お尋ねの「セクハラ罪」ではない〉 麻生氏は“間違ったことは言っていない”ことになる。 閣議決定で日本語の言葉の定義を書き換えたこともある。 国会が紛糾した2017年の「共謀罪」法案(組織的犯罪処罰法案)の審議では、安倍首相が共謀罪の対象について「そもそも犯罪を犯すことを目的としている集団でなければならない。これが(過去の法案と)全然違う」と答弁。野党から「オウム真理教はそもそもは宗教法人だから対象外か」と問われると、首相は「『初めから』という理解しかないと思っているかもしれないが、辞書で念のために調べたら『そもそも』には『基本的に』という意味もある」と主張した。 しかし、どの辞書にもそんな意味は載っていないと質問主意書で指摘されると、政府は閣議決定で次のように定義したのである。〈「大辞林(第三版)」には、「そもそも」について、「(物事の)最初。起こり。どだい。」等と記述され、また、この「どだい」について、「物事の基礎。もとい。基本。」等と記述されていると承知している〉 政府は、そもそも→どだい→基本という三段論法で、安倍首相の言う通り、「そもそも」という言葉には「基本的に」という意味があるという日本語の新解釈を閣議決定した。 いかに安倍首相のメンツや失態隠しのためにいい加減な「閣議決定」が乱発され、役人たちの膨大な労力が使われているかがわかる。※週刊ポスト2020年2月7日号
2020.01.31 07:00
週刊ポスト
諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師
平成の“場当たり的体質”はもういらない、忖度バカは去れ
 平成が終わり、令和という新しい時代が始まった。平成とはどんな時代だったのか。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、平成の場当たり的体質について振り返り、未来について考えた。 * * * 平成という時代の終わりに、2人の政治家が辞任に追い込まれた。一人は塚田一郎参院議員。下関北九州道路の整備について「首相や副総理が言えないから、私が忖度しました」と手柄話のように語り、国土交通副大臣を辞任した。 本人は「大きな会合で雰囲気にのまれ、事実と異なる発言をしてしまった」と釈明しているが、本音が漏れてしまったのだろうという見方もある。 そもそも忖度に流儀があるとすれば、黙って相手の意を汲む、暗黙のルールのようなものがあると思うのだが、この人は、忖度を自慢してしまった。ぼくは一昨年、『忖度バカ』(小学館新書)という本で、忖度が生まれる心理と構造について書いたのだが、忖度を吹聴するのは新手の忖度バカである。 もう一人は桜田義孝前五輪大臣。官僚のペーパーを読むだけの大臣というのはいるが、桜田さんに関してはペーパーもまともに読めなかった。数々の失言を連発し、挙げ句の果てに東北の復興を軽んじる発言をして、自らとどめを刺した。 当初、安倍首相は桜田さんの起用を「適任」と言ってきたが、自分が三選されたことに対する、自民党幹事長への忖度によって配置された大臣だったことはよく知られていた。 こんな内輪受けの忖度政治は、もう平成で終わりにしてもらいたい。塚田さん、桜田さんには拙著『忖度バカ』を読んでもらいたいものだ。◆次世代の若者たちは、日本という国を信頼できるか 平成7年には阪神・淡路大震災が発生。同じ年にオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こり、足元の安全が壊れていく。そんな不穏な空気も、景気を冷え込ませる一因になったのではないか。 日本は1985年以降、世界最大の債権国となっている。それにもかかわらず国債発行額は毎年150兆円にも上っている。2019年度末には国の借金は1122兆円にもなる。何の新しい改革もなく、その場しのぎを続けてきたツケである。 世界三大投資家のジム・ロジャーズは近著のなかでこんなことを語っている。「もし私が10歳の日本人だったとしたら、日本を離れて他国に移住することを考えるだろう。30年後、自分が40歳になった頃には、日本の借金はいま以上に膨れ上がって目も当てられない状況になっている。いったい誰が返すのか──国民以外、尻拭いをする者はない」 ジム・ロジャーズの予測が的中するとして、尻拭いをさせられる次世代の若者たちは、日本という国を信頼できるのだろうか。 10月には消費税が10%に上がる。平成元年に初めて導入された消費税は社会保障と少子化対策に充てるはずだった。だが、キャッシュレスで決済した消費者へのポイント還元や商品券発行などのおためごかしはあるものの、消費税増税後、この国をどんな国にしたいのか、まるで見えてこない。 ともあれ、いやがおうでも令和の時代が始まった。この先も、ツケを先送りしていくだけならば、空はたそがれを過ぎて、真っ暗闇になるだろう。 権力に忖度している暇があったら、日本が抱えている本当の問題に真剣に立ち向かうべきだろう。●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。著書に、『人間の値打ち』『忖度バカ』など多数。※週刊ポスト2019年5月31日号
2019.05.25 16:00
週刊ポスト
謝罪会見を開いた『はれのひ』元社長・篠崎洋一郎氏(時事通信フォト)
平成30年振り返り オウム真理教13人死刑、富田林逃走など
 いよいよ5月から令和の時代がスタートする。平成とはいったいどんな時代だったのか? 平成30年(2018年)を振り返ってみよう。 1月8日、新成人の門出を祝うこの日、神奈川・横浜市の振袖販売・レンタル会社『はれのひ』が突如、閉鎖。晴れ着を予約していた新成人客に振袖が届かないという被害が起こった。神奈川県警は、決算を粉飾するなどし、銀行から融資金をだまし取ったとして、6月23日、米国から帰国した篠崎洋一郎元社長を逮捕。12月、懲役2年6か月の判決が言い渡された。 痛ましい事件も。3月、両親によって虐待を受けていた5才の女児が死亡。体重は同年代の平均の約20kgを下回る12.2kg。事件後、室内からは「もっとあしたはできるようにするからもうおねがいゆるして」と女児が書いたノートが見つかった。女児は毎朝4時ごろに起床し、平仮名の練習をさせられていたという。 2月に開幕した平昌五輪で日本選手団は冬季で史上最多となる金4、銀5、銅4つの計13個のメダルを獲得。カーリング女子は男女通じて初のメダル獲得に日本中が沸いた。 芸能界では自ら起こした事件や事故を発端に、身を引く人も多い年だった。元TOKIOの山口達也は未成年女性への強制わいせつ容疑で書類送検。不起訴となったものの、本人より事務所に退職願が提出された。 また、看護師との不倫疑惑を報じられた小室哲哉が、1月19日に会見を開き、「ぼくなりのこの騒動のけじめとして、引退を決意しました」と、この日をもって音楽活動から引退することを明かした。 さらに、元『モーニング娘。』の吉澤ひとみは、都内で酒気帯び運転をしてひき逃げし、2人に軽傷を負わせたとして、自動車運転処罰法違反(過失傷害)と道交法違反の疑いで逮捕され、保釈後に芸能界を引退した。 ヒット商品では、「ドライブレコーダー」。この年の流行語には「そだねー」「スーパーボランティア」「悪質タックル」など。◆平成30年の主な出来事1月8日 神奈川・横浜市の振袖販売・レンタル会社「はれのひ」の店舗が成人の日に当日に突然、閉鎖。26日に同社元社長の篠崎洋一郎が謝罪会見2月9日 平昌五輪開幕。日本勢は過去最多のメダル13個獲得6月12日 米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(国務委員長)がシンガポールで史上初の米朝首脳会談6月28日 西日本豪雨発生。岡山、広島、愛媛の3県を中心に15府県で死者・行方不明者200人を超える平成で最悪の豪雨災害に7月6日 オウム真理教の元代表と教団幹部7人の死刑執行。20日後、残る教団幹部6人も死刑が執行された9月8日 テニスの全米オープン女子シングルスで大坂なおみ選手が優勝9月29日 大阪府警富田林署で勾留中に逃走した樋田淳也容疑者を48日後に逮捕10月11日 東京・豊洲市場が開場10月21日 卓球の福原愛選手が引退を表明10月30日 『モーニング娘。』元メンバーの吉澤ひとみ被告に酒気帯び運転とひき逃げ罪で懲役2年執行猶予5年の判決※女性セブン2019年5月2日号
2019.04.23 16:00
女性セブン
平成の事件簿 BSE問題で吉野家とすき家の明暗が分かれた日
平成の事件簿 BSE問題で吉野家とすき家の明暗が分かれた日
 まもなく終わる「平成」の事件史を語る上で欠かすことができないのは、1995(平成7)年の「地下鉄サリン事件」だろう。死者13名、負傷者約6300名を出したオウム真理教による無差別テロ事件は、国内のみならず、海外にも大きな衝撃を与えた。 そして少年法改正の呼び水となった1997(平成9)年の「神戸連続児童殺傷事件」や、いまだ解決をみない「世田谷一家殺害事件」(2000年、平成12年)などの凄惨な事件が耳目を集めた一方、「雪印牛肉偽装事件」(2001年、平成13年)や過酷な労働を強いるブラック問題など、企業による犯罪も話題となった。 一方、2000年代初頭より発生したBSE(牛海綿状脳症)問題は、クロイツフェルト・ヤコブ病との関連性があるため、全世界で大きな社会問題となった。2003年に米国でBSE疑いの牛が発見されたことを受け、日本は米国産牛肉の輸入停止を決定。小売店や外食産業に大きな影響を与えた。フードジャーナリスト・はんつ遠藤氏が語る。「BSE問題で米国産牛肉の輸入禁止が決まると、吉野家は米国産牛肉にこだわり牛丼販売を中止。牛丼販売の最終日、私はニュース番組でお店から生中継をしていましたが、数時間待ちのすごい行列でした。最後の牛丼を前に感極まって涙し、食べられない男性もいたほど。 販売中止後には、唯一国産牛で提供を続ける築地1号店に客が殺到しました。吉野家とすき家の明暗が分かれたのは、まさにこの時。豚丼に切り替えた吉野家は売り上げが落ち、オーストラリア産牛肉に変え、牛丼提供を続けたすき家に客が流れていきました」◆「事件&騒動」で振り返る平成1990年1月:オウム真理教信者が集団で衆院選に立候補1994年6月:「松本サリン事件」発生。住宅街で劇薬が撒かれ7名が死亡1997年7月:指名手配されていた福田和子が時効直前に逮捕される1995年12月:高速増殖炉もんじゅでナトリウム漏洩事故1997年6月:神戸連続児童殺傷事件犯人逮捕1998年7月:カレーにヒ素を混入した「和歌山毒物カレー事件」発生2004年2月:狂牛病(BSE)発覚で野家の牛丼が販売休止に2005年4月:JR福知山線脱線事故。速度超過による脱線で107名が死亡2008年6月:秋葉原無差別殺傷事件。混雑する歩行者天国にトラックが突入2013年12月:「餃子の王将」社長の大東隆行氏が何者かに射殺される。未解決※週刊ポスト2019年3月1日号
2019.02.22 07:00
週刊ポスト
刑事と公安 仲が悪い理由を公安経験元刑事が語る
刑事と公安 仲が悪い理由を公安経験元刑事が語る
 警察の内部事情に詳しい人物、通称・ブラックテリア氏が、関係者の証言から得た警官の日常や刑事の捜査活動などにおける驚くべき真実を明かすシリーズ。今回は、刑事と公安の確執について掘り下げる。 * * * 警察の隠語に“ハム”という言葉がある。ハムとは公安警察のことだ。公の字がカタカナのハとムから成るためそう呼ばれているのだが、その言葉にいいイメージはない。現役や元刑事に公安の話を聞こうとすると、皆「ハムね…」と表情を曇らせ、口を濁すからだ。刑事と公安は仲が悪いというのが通説だ。「ハムは嫌いです」 公安にいたという元刑事も露骨に嫌な顔をした。「ハムのことは語りたくない」という彼だったが、嫌いと言い切る理由について聞くと、公安での経験を話してくれた。 それまで強行犯係の刑事だった彼は、「あんたみたいな人が必要なんだ」と請われ、嫌々ながら公安へ異動した。配属されたのは公安部外事課。折しも訪日外国人や不法入国する外国人が増加していた時期だった。 だが行けと言われたのは、都内某所にある立派なビルだ。「入り口がわかんないんだよね。何にも表示が出てないからさ。仕方ないからビルに入って、呼び鈴を鳴らしたよ」 警視庁の警察官が全員、所轄の署や派出所、交番にいると思ったら大間違いだ。実は都内のあちこちに分室と呼ばれる場所がある。交通課などの分室は公になっているが、捜査拠点となっている分室は違う。ビル1棟やビルの数フロアを借り上げている。出入りしている警察官は私服のため、はた目にそれが警察の分室だとはわからない。筆者が知っている限りだが、ビルの案内板や郵便受けにそれらしき表示が出されていたことはない。 異動翌日、元刑事は主任に「面取りに行くぞ」と呼ばれた。「作業に入るから面取りに行くぞって。公安では捜査のことを作業って言うんだよ。で、面取りに行くっていうわけ。『面取り?』と聞くと、顔を取りに行くんだって。でも行ってみて茫然、ほんとに顔を見ただけなんだよ。やつらはそうやって見ているだけなんだ。だからハムは大嫌いです」 そう言うと、苦々しそうに顔をゆがめ、元刑事は声のトーンを落とした。「例えば火炎車だとか、ゴミ箱に時限装置をつけて爆発させるとかあるだろう。公安のやつらは対象者の近辺にカメラを全部つけて、すべて監視する。見ていて、時限装置をつける、火をつけるのを確認している。なのにそこですぐには押さえない。刑事だったらそこで押さえるが、やつらは見てて、そのままやらせる。やらせて追っかける。 途中でまかれても、その場所を中心に探れば、何らかの痕跡が出てくる。わずかでも先に進めればいい。時間がかかるが、それを繰り返せばどこかの組織にたどり着く。事件が起きて、犯行声明が出れば組織が絞れる。そこで組織を一網打尽にできる」 これが公安捜査のやり方だ。「刑事ならそこで押さえるのが基本、現行犯逮捕だ。実行犯をとっ捕まえる。押さえて叩いて、次々と芋づる式に挙げて組織をあぶり出す。公安はなぜ、そこで犯罪をやらせるのか。未遂で終わらせればいいじゃないか。誰かが巻き込まれて死んだら、誰が責任を取るのか。やつらは組織を潰すためには多少の犠牲は云々と言う。ふざけるな!だ。嘘でも誇張でもない」 警察ドラマではよく刑事と公安の確執が描かれるが、あれは現実なのだ。確執を生む原因は、守るものの違いにある。国民・市民の安心、安全を守るのが刑事であるが、公安は天下国家が第一、国家の安全を守るという大前提がある。「懸命にやっても、何かあったら捜査員は切り捨てられる。歯車の1つだからね。国家のためにトカゲの尻尾切りさ。上から責任を取れってね。それが今の公安組織だ」 場合によっては政策や国の機関が絡んだり、国と国との関係がひっくり返る可能性すらある。天下国家を論じるばかりで、捜査員を守ってやらないのが公安なんだと彼は語気を強めた。「刑事と公安は水と油さ。組織を一気に挙げるのが公安、1人を対象にして最終的に組織全部を挙げるのが刑事。捜査手法が違うんだから、絶対に合うわけがない。 公安は言われたことは忠実にやる。ここに30台車が並んでいるから調べろと言われれば、几帳面にくまなく調べて報告するが、なぜそこにそれがあるかは考えない。その差がある。俺たちだったら、そんなことやってられるかって言うし、なぜそこにそれがあるかを考えるが、やつらは考えなしだ。公安は情報を調べるやつ、その情報を吸い上げるやつ、吸い上げた情報をまとめて分析するやつと別れているからね。まるで軍隊みたいだろう」 元刑事は声を潜めた。「作業と呼んでいる捜査の中には“工作”も含まれている。工作はある目的達成のための手段、方法、戦術などを表していてね。例えば、協力者にするためにあらゆる手を使うんだ。嫌いだね」 違いは他にもある。「公安は捕まえた犯人が無罪になったとしても、組織に打撃を与えたという大義名分があるが、刑事は犯人を挙げて有罪にしなければ負け」 捜査手法も意識も大きく違う。公安にいた時は、この違いからいつもケンカになっていたという。だが、この手法が公安には必要だったのだ。「公安は事件捜査に弱く、実践はダメだ。鑑識を呼ばず自分たちで現場の検証作業をやると言うが、手際は悪くやり方は古い。取り調べや裁判のための書類を作成できる人もいない。だから俺が呼ばれたんだ。 だがね、長居する所じゃない。やつらは自分をエリートだと思っているし、互いに秘密が多すぎる。同期で公安のやつらに、何をやっているのかと聞いても『うん』と答えただけだった。俺みたいに数年いただけなら言えるけど、純粋培養でどっぷり浸かっていれば何も言えない。辞めた今でも守秘義務厳守だ。暗いよな。人間が合わないよ」 刑事と公安は、やはり絶対に合わないのか…? 普段は仲が悪くても、オウム真理教の捜査の時だけはひとつにまとまったのだと話す人たちもいる。だが、元刑事は言う。「あの時も全然ダメでした。こっちには上っ面の話だけあげておいて、中で公安部の連中だけでひそひそ話してるんだから。まとまりなんてしませんよ」 公安と刑事の確執は、どうやら外からでは計り知れないほど根深いものがあるらしい。
2019.02.16 07:00
NEWSポストセブン
ノンフィクションライターの与那原恵氏が西浦博氏・川端裕人氏の著作を解説
オウム真理教と似た閉鎖的共同体が19世紀アメリカにあった
 平成という時代の前半で猛威を振るったもののひとつに、オウム真理教による地下鉄サリン事件などの教祖を中心とした集団の暴走がある。ノンフィクションライターの与那原恵氏が選んだ、忘れてはならない「平成」の記憶を振り返るにふさわしい一冊は、オウム真理教の成立と崩壊と重なる、19世紀アメリカで発生し崩壊したコミュニティについて記した書だ。●『ユートピアと性』/倉塚平著/中公文庫/1000円+税 私が勤め人を辞め、ライターになって一週間後、世は平成になった。それ以前に編集者の養成講座に通っていて、その講師の一人が『別冊宝島』(宝島社)の石井慎二編集長だった。彼にノンフィクションを書くように勧められ、それ以来、同誌にルポを寄稿するようになった。 オウム真理教への取材は、平成七年三月の地下鉄サリン事件の三ヶ月後から、数回に及んだ。オウム広報は宝島社の取材に協力的で、総本部や道場内部にも入れたし、広報が紹介する信者という制約はあったものの、多数の信者に自由に話を聞くことができた。 私が取材したのは主に女性信者だ。当時の出家信者(一二七四人)の三分の一が女性で、そのうち八割が二、三十代だった。その入信動機で目立つのが、家族との不和、職場での人間関係の葛藤、そして自らの性や身体の悩みである。彼女たちはオウムがその解答をくれ、苦しみから解放されたと語ったが、教団のサリン事件関与を一切認めなかったのは、幹部と一般信者が分断された組織構造において、教団全体を見渡すことさえできなかったからだろう。 オウムと似たような閉鎖的共同体が、十九世紀のアメリカに多数あったことを知ったのは『ユートピアと性』(原著は平成二年刊行)である。資本主義の矛盾を敏感に感じ取り、そこから逃避する形で「ユートピア」がつくられた。 とりわけ異彩を放つ「オナイダ・コミュニティ」は、強烈な指導者による独自の教義をもち、親子の愛や、特定男女間の恋愛を厳しく糾弾した。信者たちは信仰と寝食と労働をともにする一方、教義に沿って互いを非難し合い、教祖に追随する幹部が暴走していった。そして、この本の白眉は、教祖の変質と共同体が崩壊する過程である。これもオウムと重なる。 私が出会ったオウム女性信者も今は五、六十代を迎えているだろう。彼女たちがその後をどう生きたのか、尋ねてみたい。※週刊ポスト2019年1月1・4日号
2018.12.28 16:00
週刊ポスト
オウム死刑囚・井上嘉浩 獄中記と「死後に届いた手紙」
オウム死刑囚・井上嘉浩 獄中記と「死後に届いた手紙」
 2018年最大のニュースのひとつは、麻原彰晃(本名・松本智津夫)らオウム真理教の幹部13人が死刑執行されたことだ。地下鉄サリン事件などの凶行は“負の平成史”として決して忘れることができない。彼らは20年超に及ぶ獄中生活で何を考えたのか。そのひとり、井上嘉浩(享年48)について、長年交流を続けてきた門田隆将氏(作家・ジャーナリスト)が綴る。(文中敬称略) * * *◆執行当日の朝 二〇一八年七月六日金曜日午前七時半。前夜から記録的な豪雨が西日本全体を覆う中、大阪市都島区にある大阪拘置所に起床のチャイムが鳴り響いた。 大阪拘置所は、西側にある正門から見て東に向かって四棟、その奥に二棟、さらに中央棟から北と東に向かって放射状に延びる三棟、計九つの収容棟から成る。ここに未決囚や、初犯で犯罪傾向が進んでいない受刑者、あるいは確定死刑囚など、多くの収容者がいる。 屋内にいても、叩きつける雨音が耳を突く。西日本全体で実に二百人を超える死者を出し、のちに「平成三十年七月豪雨」と名づけられる線状降水帯がもたらした雨は、大阪でも異常なものとなっていた。 この朝、死刑囚が収容されている舎(注=大阪拘置所では「棟」ではなく「舎」を使う)の六階には緊張感が走った。同階にいる死刑囚は全部で七人。起床チャイムを待っていたかのように、何人もの職員が突然、このフロアに姿を現わしたのだ。彼らは、靴音を立てて廊下を歩いていく。職員の中には帽子に金線が入った幹部までいた。 間違いない。今日は死刑の執行がある。だが、これほど早くから執行が始まるのは異例中の異例だ。こんなに早いなら、執行される死刑囚には、洗顔も歯磨きも、そして朝食をとるのも許されないことになる。(今日は複数の執行があるのか……) 死刑囚たちは息を詰めた。やがて職員たちの足は、オウム死刑囚・井上嘉浩の部屋の前で止まった。(助かったぁ……) 死刑囚たちは、ほっと胸を撫で下ろした。そして、前後左右を職員に囲まれて廊下を歩いていく嘉浩の姿を目撃する。白い半袖Tシャツに、紺色のハーフパンツ。井上嘉浩は動揺するようすもなく、泰然自若として、ゆっくり歩を進めた。堂々とした姿が死刑囚たちの脳裡に残った。 嘉浩への絞首刑は、同拘置所北西の端にある八舎の地下で午前八時四分に執行された。享年四十八。 一九九五年五月十五日に二十五歳で逮捕されて以来二十三年二か月。井上嘉浩の人生は、こうしてピリオドが打たれたのである。◆蘇った“魂の叫び” 私は、このほど『オウム死刑囚 魂の遍歴』(PHP研究所)を上梓した。副題は、「井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり」である。嘉浩が獄中で書いたおよそ五千枚の手記をもとにしたノンフィクションだ。嘉浩本人がこの二十年余り、父親を通してずっと私に送り続けたものである。 手記には、子供の頃の思い出、中高時代の体験、オウムとの出会い、過酷な修行、死刑囚となる犯罪……すべてがその折々の心情を振り返りながら記されている。嘉浩は、「手記を書くのは、本当に辛い。愚かにも誤った道に突き進んでいった自分を思い出していくからです。後悔と悲しみが募ります」と書いている。つまり、獄中記は嘉浩の“魂の叫び”そのものなのだ。 オウム死刑囚十三人の内、嘉浩は唯一、一審が「無期懲役」、二審以降が「死刑」と、天と地ほども違う二つの判決を受けた元幹部だ。嘉浩が関わった假谷さん拉致事件(*1)が一審では「逮捕監禁」、二審以降は「逮捕監禁致死」、地下鉄サリン事件では、一審が「後方支援、連絡調整役」、二審以降は「総合調整役」とされたからだ。嘉浩には直接、手を下した殺人はなく、肝心な時に、その犯罪から「逃げていたこと」が一審の審理で明らかになった。【*1/1995年、オウム真理教が目黒公証役場事務長だった假谷清志さん(当時68歳)をワゴン車に押し込んで拉致し、山梨県の教団施設で監禁して死なせた事件】 ひとつひとつの犯罪をすべて浮き彫りにしていった四年三か月に亘った審理は、傍聴席からも見応えのあるものだった。だが、一審の無期をひっくり返した二審は、新たな証拠もないまま、ただ、オウムの幹部は「死刑でなければならない」という世論に迎合した感は否めなかった。 私は、二〇〇九年から一〇年にかけて、嘉浩と計四度面会をしている。すでに嘉浩の獄中記の前半部分は読んでおり、裁判で長くその姿を見ていたこともあり、初対面なのに“旧知”のような思いで面会したことを覚えている。面会室で向き合った嘉浩は三十九歳となっていたのに爽やかな“青年”だった。嘉浩本人も父親から私のことはいつも聞いていたようで、お互いがそんな感覚で話し合った。 四度の面会で印象深かったのは、嘉浩が「すべての罪はわが身にあります」と、くり返し語っていたことだ。高校時代からの神秘体験、覚醒に至るまでに自分の身体に生じた不思議な現象……さまざまな過程を経て、麻原彰晃の強固な弟子となった嘉浩は、修行の天才、神通並びなき者、と称され、およそ千人に及ぶ信者を獲得したとされる。 その自分が、ただ師に「つき従ったこと」を悔やみ、最後となった四度目の面会では、こう語った。「本当に自分が“解脱”を求めていたなら、そして、おかしい、と思ったら麻原のもとを離れなければなりませんでした。そうあるべき自分が“そうではない、これについていかないといけない”と思い、若さで妥協してしまいました。 しかし、“若い”からこそ、私は離れなければなりませんでした。お釈迦さまは、自分の師から離れ、自立していきます。師から学び、そこから自立してこそ、本当の弟子のはずです。それなのに、私はオウムの中でただ“盲信”してしまい、おかしいと思っても、黙っていました。そこに私の弱さがあったんです。その意味で、すべての罪はわが身にあり、と思っています」 すべての罪はわが身にあり、と嘉浩は何度もくり返した。「坂本弁護士事件も、私は、薄々気づいていました。これはおかしい、と心の中で思っていました。でも、その疑問を口に出さず、黙っていたんです。完全にわかったのは、もちろん逮捕されてからですが、なぜ、それでも(オウムから)離れられなかったのか、それが私の罪なんです」 坂本事件(*2)にも触れながら、嘉浩はこうつづけた。【*2/1989年、オウム真理教幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた坂本堤弁護士(当時33歳)の一家3人を殺害した事件】「私が十六歳でオウムに出会ったこと、これも自己弁解にすぎません。私には、(師を)止められるはずだったと思います」 私の脳裡には、その時の嘉浩の声が今も残っている。◆罪の「償い」とは 麻原、そして教団との対決の道を選んだ嘉浩には、常に激しいバッシングがつきまとった。それはオウムやその弁護士、さらにはマスコミにも及んだ。しかし、周囲の多くの支えによって目醒めたこの若者は、「真実を語り、二度とこのような犯罪を起こさせないことが自分にできる被害者への最大の償い」という信念で、法廷でさまざまな証言をおこなっていった。 嘉浩は自らの「死」の直前まで、真実究明の闘いを展開した。最後まで争ったのは、目黒公証人役場事務長の假谷清志の死の真相である。一九九五年三月一日、前日にオウムに拉致された假谷は、中川智正の供述によれば、嘉浩に電話をかけにいった午前十一時前後の十五分ほどの間に舌根沈下を起こして死亡したことになっている。だが、嘉浩は、二〇一四年の平田信の第九回公判でこう証言した。「中川さんが“どうせポアさせることになると思っていたので、この際、ポア、殺害できる薬物の効果を確かめてみようと思った。めったにできることではないので、薬物を点滴したところ、假谷さんが急に光り出して亡くなってしまった”と言いました。処置しようと思ったけれど、もう光り出したのでそのままにしたということでした」 つまり、假谷は「中川に殺された」と告発したのである。中川はこれを真っ向から否定する。だが、嘉浩の一審では、假谷の死について、〈中川による不適切な行為〉が判決で指摘されており、また中川に假谷を引き継いだ医師の林郁夫も法廷証言のほかにも、著書『オウムと私』(文藝春秋)でこう記述していた。〈假谷さんは状態が安定しており、血圧、脈、呼吸など、これまで通りの観察項目のどれにも異常はありませんでした。私は假谷さんの状態が落ち着いているため、私でなくても管理ができると思い、第六サティアンに戻ろうと思いました〉 假谷を中川に引き継いだ林は、その日の午後三時か四時頃、たまたま第二サティアン入口へ通じる坂で中川と会ったという。〈私は假谷さんのことを中川に聞きました。「あの人、どうなりましたか」という私の質問に、中川は、「尊師と会って、尊師から假谷さんをポアするよう指示を受けた。ポアの実行を新しく事件に参加したサマナ(出家信者)にやらせることになった。ポアの手段は塩カリ(塩化カリウム)の注射だ。それで、そのサマナを假谷さんのところへ連れていったが、假谷さんはポアさせるまでもなく、亡くなっていた」と答えました。(略)このとき、私が中川に引き継いだ状態から考えて、假谷さんがなにもしないのに亡くなったということは、不可解だと思ったことを記憶しています〉 林は、安定した状態のまま引き継いだ假谷がその後、死亡したことを不可解に思っており、わざわざ、「ポアの手段は塩カリの注射だ」と、中川が語ったことを記述している。つまり、假谷の死は、“偶然の死”ではなかったかもしれないのである。◆法務省が葬った真相究明の道 嘉浩は、二〇一八年三月十四日、新証拠をもとに再審請求をおこなった。弁護人である伊達俊二弁護士の強い要請によるものだ。伊達弁護士はこう語る。「假谷さんの首を絞めさせようと麻原に名指しされたサマナを、中川君に指示されて井上君は東京から連れてきました。その電話連絡の時間を中川君は午前十一時前後と証言し、その目を離した十五分ほどの間に假谷さんが亡くなったという。それが事実と認定されています。しかし、井上君はそんな時間に電話を受けていたら、とてもあの雪の中、サマナを連れてこられなかったと言いました。私は“雪?”と思ったんです」 嘉浩に接見後、伊達は当日の夕刊を調べてみた。すると未明に降り始めた雪の影響で首都圏の鉄道、道路等の交通網が大混乱に陥ったことが報じられていた。「中川から指示があったのは、午前八時台か九時頃。だから午後早くに帰ってくることができた。午前十一時前後に指示があっても、とても上九(上九一色村)に帰ってくることなど、できませんでした」 嘉浩のその話が、裏づけられていたのである。假谷事件の認定事実は間違っている──中川証言に疑念が生じてきたことで、伊達を中心とする井上弁護団は、地下鉄サリン事件も含めて再審請求をおこなった。(井上嘉浩の判決は一審の無期懲役こそ正しい) 伊達弁護士は、そのことに確信を持ったのである。 これを受けた東京高裁刑事八部の動きは早かった。二〇一八年五月八日、再審請求書の提出から、まだ二か月も経たないというのに、再審請求に関する「進行協議」が早くも始まったのだ。そして、さらに二回目の進行協議が、七月三日に開かれた。伊達によれば、「検察官は、九五年三月一日の井上君の携帯電話の記録の存在を認めました。そして二週間程度でこれを開示できる、と約束しました。高裁はこれで次回の進行協議を八月六日に指定しました。いよいよ真相解明に動き出したんです」 だが、その真相究明への道は、法務省によって突然、断ち切られた。進行協議の三日後、七月六日に嘉浩を含む麻原ら七人のオウム死刑囚に絞首刑が執行されたのである。(そんな、バカな) 真実究明が緒についたばかりの執行に茫然としたのは、伊達弁護士である。法治国家として、あり得ないことだった。日本の刑事裁判は、刑事訴訟法に基づいておこなわれており、その総則第一条には「事案の真相究明」が目的として謳われている。そして再審請求は、真実究明を求める受刑者の基本的権利として認められている。「公開される井上君の通信記録とは、假谷事件における中川証言を覆す重要な証拠でした。しかし、それを法務省が葬り去った。再審請求中の死刑確定者に対する死刑執行は、刑の確定者に対する再審請求権を奪うものであり、また本来、死刑にされなくともよい者までも、国家が死に至らせることにもなる。とても許せるものではありません」 執行の前夜、上川陽子法相は、安倍晋三首相も参加する「赤坂自民亭」なる議員仲間の酒席に参加し、大いに楽しんでいたことが、のちに明らかになった。厳粛であるはずの死刑制度であったとしても、実際にそれを執行する側の意識がその程度であったなら、これは、「日本の不幸」と言うべきだろう。 二〇一八年十一月二十日、両親が引き継いだ再審請求によって、ついに検察が井上の携帯の通信記録を開示した。そこには井上証言が正しかった証拠が残されていた。通信は八時台から九時台に集中し、十時九分を最後に通話記録はなかったのだ。逮捕監禁致死という假谷事件の認定事実は根底から「崩れた」のである。◆死後届いた消印なき手紙 嘉浩の真実究明の闘いには、多くの支援者がいた。真宗大谷派の僧侶たちが中心となって『「生きて罪を償う」井上嘉浩さんを死刑から守る会』が結成され、嘉浩の償いを支えた。なかでも真宗大谷派の女性僧侶であり、同時にシンガーソングライターでもある鈴木君代の存在は大きかった。「嘉浩さんは私と同じ京都の太秦で育った人で、出遇う人が違っていれば、私の方が死刑囚だったかもしれません。それで支援する会の会報に投書をしたのがきっかけで嘉浩さんと面会するようになったのです」 十年前に始まった交流は、やがて一週間に二通も三通も、君代のもとに嘉浩からの手紙が届くような関係になっていく。「嘉浩さんからの手紙は、十年で千通ほどになります。面会でお別れする時は、アクリル板越しに手と手、そして額と額を合わせて心を合わせる儀式をやるようにもなりました」 死刑確定後は、死刑囚には外部交通権が制限されるので、それへの対策として嘉浩から君代への獄中結婚の申し込みもあった。幸いに宗教者であり、それまでの面会実績も認められ、君代には外部交通者としての許可が下りた。交流は死刑確定後もつづいたのである。 それだけに、突然の死刑執行は信じられなかった。嘉浩の母と共に大阪拘置所に遺体を引き取りにいったのも鈴木君代である。嘉浩の父親はこう語る。「息子が心を寄せていた君代さんに妻と一緒に行ってもらったのです。通夜と葬儀は、京都の真宗大谷派の岡崎別院でおこなわれ、通夜の導師は君代さんにやってもらえました。心から感謝しております」 その君代のもとに、「君代さんへの手紙が見つかりました」 両親からそんな連絡が入ったのは、嘉浩の三七日(みなのか)に当たる七月末のことだ。両親は嘉浩の死後、拘置所から送られてきた荷物の整理をつづけていた。二十三年間の拘置所生活の荷物は、実に段ボール二十五箱にも達していた。両親はその最後に、ある物を発見した。「鈴木君代様」という宛名を書いた封書が、切手を貼ったまま、投函されずに出てきたのである。死刑当日に嘉浩が出そうとしたものである。まさに絶筆だ。 手紙に封はされていなかった。拘置所の検閲を経なければ、嘉浩たちには手紙類を出すことは許されていない。そのため封筒の口は開いていた。 三七日でお経を上げに来た君代に差し出された手紙。消印の捺されていない自分宛ての封書である。見慣れた「嘉浩さん」の字だった。震える手で、君代は、便箋を取り出した。〈君代さんへ 前略 先週は面会と差し入れ、ありがとうございました。とても元気を与えていただきました〉 そんな言葉で、手紙は始まっていた。死刑執行の前の週、君代は六月二十七、二十八、二十九日と三日連続で嘉浩に面会に行っていた。二十八日には、コンサートでもらった花束を嘉浩に見てもらおうと、色とりどりの豪華な薔薇の花束を抱えていった。拘置所では花を見ることもできないだろう、という思いやりからだった。嘉浩はその花束を見て本当に喜んでくれた。 よほど嬉しかったに違いない。面会の間、嘉浩は「元気をもらった」と何度も言っていた。手紙にもそう書いている。だが、君代の目から涙があふれ出たのは、その次のくだりである。〈かなり雨が降っています。大丈夫ですか? くれぐれも身心を大切にして下さい。 7月7日、七夕ですね。いのちの大空に、七夕の星々が輝いています。いのちの大空の下、いつも一緒です。 ありがとう ありがとう 大丈夫 大丈夫 いつも待っています。 2018・7・5 嘉浩〉 手紙には、そう書かれていたのだ。〈7月7日、七夕〉とは、自分が導師を務めて、嘉浩の通夜を営んだその夜のことだ。それにつづいて、嘉浩は、〈いのちの大空に、七夕の星々が 輝いています〉と記し、〈いのちの大空の下、いつも一緒です〉と君代に語りかけていた。 しかも〈いのちの大空〉という言葉を二回使っている。そして〈ありがとう ありがとう〉、さらには〈大丈夫 大丈夫〉と語っている。 今生のお礼としか思えない〈ありがとう〉を記し、その後の打ちひしがれている自分を見越したかのように〈大丈夫 大丈夫〉と励ましてくれているのである。 君代は、嘉浩がすべてをお見通しであったことを感じた。その上で「どうして、あなたは、そこまで人のことを思いやれるの?」と思った。やり尽くした償いと、それで培ったに違いない類いまれな人としての優しさ。死ぬまで罪と向き合い、犠牲者のことを考えつづけた二十三年の嘉浩の凄まじい獄中生活に、君代は涙の中で思いを馳せていた。 真実は、法務省の手で闇に葬られ、オウム事件はこうして「歴史」となったのである。※週刊ポスト2019年1月1・4日号
2018.12.20 11:00
週刊ポスト
追悼2018 西城秀樹さん、佐々淳行さん、野中広務さん
追悼2018 西城秀樹さん、佐々淳行さん、野中広務さん
 2018年も多くの人が旅立った。平成の終わりとともに別れを告げた人々の思い出を胸に語り合おう。●西城秀樹(歌手、享年63) 1972年に『恋する季節』でデビュー。郷ひろみ、野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれ、トップアイドルとして活躍した。代表曲のひとつ『YOUNG MAN』(1979年)は、音楽番組『ザ・ベストテン』で最高点9999点を2週連続で記録するという大ヒットとなった。 2度の脳梗塞に倒れながらもリハビリを続け、還暦記念アルバムを発表するなど生涯歌手にこだわった。5月16日、急性心不全のため亡くなった。妻・木本美紀さんの手記『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』(小学館)が過酷な闘病生活を伝えている。●佐々淳行(元初代内閣安全保障室長、享年87) 東京大学法学部を卒業後、1954年に国家地方警察本部(現警察庁)に入庁。1969年の東大安田講堂事件や、1972年の連合赤軍のあさま山荘事件などを担当。1986年に初代内閣安全保障室長に就任。1989年の退官後は、数多くの警備事案を担当した経験をもとに、著書などを通じて「危機管理」という概念を日本社会に定着させた。10月10日に都内の病院で死去。●野中広務(元内閣官房長官、享年92) 京都府議、同府副知事などを経て、1983年に衆院旧京都2区補選で初当選。以後、連続7期を務め、自社さ連立政権下の村山富市内閣で自治相として初入閣、阪神大震災やオウム真理教の一連の事件に対応した。2001年の小泉純一郎政権では首相の政治手法を批判して「抵抗勢力」として激しく対立、小泉氏の総理再選を受けて政界を引退。 戦中の体験から「ハト派」の姿勢を貫き通し、引退後も論客として精力的に発言を続けた。1月26日に京都市内の病院で死去。※週刊ポスト2018年12月21日号
2018.12.14 07:00
週刊ポスト
阪神大震災、地下鉄サリン、Win95、野茂…平成7年の出来事
阪神大震災、地下鉄サリン、Win95、野茂…平成7年の出来事
 残り少しとなった平成を振り返るにあたり、重要な1年となったのが平成七年(1995年)だ──。 平成7年1月17日午前5時46分、兵庫・淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の直下型地震が発生。神戸では震度7の激震を記録。建物の倒壊や火災が相次ぎ、死者約6400人、重軽傷者約4万人、被害家屋約64万棟にも達した。震災後も避難所暮らしを強いられた被災者の数は31万人以上。仮設住宅では高齢者の孤独死も深刻な問題に。また、多くの震災遺児らも心に深い傷を負った。 3月20日、東京の地下鉄で通勤ラッシュの時間帯を狙い、猛毒ガス・サリンが撒かれる事件が発生。死者13人、負傷者6000人超という大惨事に。警視庁はオウム真理教の教団施設を強制捜査。5月、山梨・上九一色村(当時)の教団施設「サティアン」の隠し部屋に潜んでいた教祖・麻原彰晃こと松本智津夫を逮捕。幹部・信者ら14人も逮捕され、これによって前年の長野・松本サリン事件、1989年の坂本堤弁護士一家殺害など一連のオウム真理教による犯罪が徐々に真相解明されていった。 スポーツでは近鉄からドジャースに移籍した野茂英雄投手が大リーグ初勝利。新人王、奪三振王を獲得するなど投法のごとくトルネード旋風を巻き起こした。相撲では、横綱・貴乃花が元フジテレビアナウンサーの河野景子さんと結婚。同年、9月に長男誕生。芸能界では『時の流れに身をまかせ』や『つぐない』など数々のヒット曲で知られる“アジアの歌姫”テレサ・テンが旅先のタイ・チェンマイで急死。42才の若さだった。 また、この年はパソコン用OS『Windows95』の日本初上陸で大賑わい。安さと軽さがウリの“ピッチ”(PHS)も登場した。女子高生の間では「プリクラ」が大人気。中高年の間では恋愛映画『マディソン郡の橋』が話題に。海藻入りの“やせる石鹸”などもヒットした。【平成七年の主な出来事】1月17日 阪神・淡路大震災発生2月6日 ダイアナ妃が最後の日本訪問3月20日 地下鉄サリン事件発生4月9日 統一地方選挙で東京都知事に青島幸男、大阪府知事に横山ノックが当選5月8日 歌手のテレサ・テンが死去(享年42)5月16日 山梨・上九一色村にてオウム真理教教祖の麻原彰晃を逮捕5月29日 貴乃花と河野景子さんが結婚6月2日 野茂英雄投手が大リーグ初勝利9月4日 沖縄で3人の米兵による女子小学生暴行事件発生11月23日 『Windows95』 日本発売12月8日 高速増殖炉『もんじゅ』ナトリウム漏れ事故※女性セブン2018年10月11日号
2018.10.01 07:00
女性セブン
プレイバック平成6年 松本サリン、同情するならカネをくれ
プレイバック平成6年 松本サリン、同情するならカネをくれ
 平成とはいったいどんな時代だったのか──。平成最後の年に、「平成6年」に起きた出来事や流行を振り返る。 記録的猛暑が続いたこの年、東京では39.1℃と41年ぶりの最高気温を記録。西日本では深刻な水不足が続いた。自然災害ではほかにも北海道東方沖地震、三陸はるか沖地震等が相次いで発生。 4月、名古屋空港において中華航空機が着陸に失敗。墜落炎上事故による被害は死者264人、負傷者7人。1985年に起きた日航ジャンボ機墜落事故に次ぐ大惨事となった。 6月27日深夜、長野・松本市の住宅街で住民がガス中毒症状を訴えるなどし、8人が死亡。約600人が重軽症。現場からは猛毒の神経ガス「サリン」が検出された。翌年3月の地下鉄サリン事件によって、松本サリン事件もオウム真理教の犯行だと明らかになる。 7月、日本人女性初の宇宙飛行士・向井千秋さんがスペースシャトル『コロンビア』で宇宙へ出発。飛行14日と18時間、地球を236周して帰還した。 国外では4月、ルワンダで集団虐殺事件が発生。約80万人が犠牲となった。そのほか7月には、北朝鮮の金日成主席が82才で死去。長男・金正日書記が権力を継承。 芸能界ではビートたけしが東京・新宿区内で原付バイクを運転中にガードレールに衝突。重傷を負った。退院時には顔面に麻痺が残る姿で記者会見に出席し、お茶の間に衝撃を与えた。 高視聴率ドラマ『家なき子』で一躍売れっ子となったのが当時12才だった安達祐実。「同情するならカネをくれ!」の名せりふも流行語に。また、田村正和演じる主人公の警部補・古畑任三郎がユーモア溢れる会話と卓越した推理力で犯行を暴いていく人気推理サスペンスドラマ『警部補・古畑任三郎』(フジテレビ系)もこの年スタート。 ゲーム機『プレイステーション』(ソニー)、『セガサターン』(セガ)が発売され大ヒットした。【平成6年の主な出来事】4月7日  ルワンダで虐殺が発生。約100日間で80人程が殺される4月16日  ドラマ『家なき子』(日本テレビ系)放送スタート4月26日  名古屋空港で中華航空機の着陸事故発生5月1日  F1ドライバーアイルトン・セナがレース中に事故死(享年34)6月27日  長野・松本サリン事件発生7月8日   向井千秋さんがスペースシャトル『コロンビア』で宇宙へ出発8月2日   ビートたけしが原付バイクで事故。9月末に退院10月13日  作家・大江健三郎がノーベル文学賞を受賞※女性セブン2018年10月4日号
2018.09.25 16:00
女性セブン
【与那原恵氏書評】サリン事件犯がもらした執行直前の思い
【与那原恵氏書評】サリン事件犯がもらした執行直前の思い
【書評】『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』/アンソニー・トゥー・著/角川書店/1400円+税【評者】与那原恵(ノンフィクションライター) オウム真理教の元幹部ら十三人の死刑が執行された。地下鉄サリン事件発生後に私はオウムを数回取材したが、信者たちは事件とオウムの関連を一切認めなかった。教団は幹部と一般信者を分断する組織構造であり、個人としての考えや、問いを持つことを奪われ、もしくは放棄したのだろう。 人は置かれた立場によってその役割を果たしてしまう律儀な恐ろしさを持っていると実感するのが、サリン製造に大きく関与した中川智正の告白である。 彼と対話したのは台湾出身のアンソニー・トゥー(杜祖健)で、毒性学および生物・化学兵器の専門家である。松本と地下鉄両サリン事件で日本の警察に協力し、事件解明に寄与した。さらに二〇一一年末、オウムの兵器プログラム調査のため死刑確定後の中川に面会し、以後六年にわたり計十五回の対話を重ねた。なお、トゥーの父杜聡明は日本統治下での初の台湾人医学博士で、森於菟(鴎外の長男)らとの親交が知られる。 麻原彰晃らの意向を受け、サリン製造に着手したのはオウム随一の化学知識を持つ土屋正実だ。当初は葛藤もあったという土屋だが、やがて大量生産計画が進行する中、警察がオウム施設敷地内からサリンの分解物を発見する。危機感を強めた麻原と幹部らは地下鉄でサリンを撒くことを決定。サリン合成の一歩手前の化合物を利用して急ピッチでサリンを造ることになり、中川は教団ナンバー2に指示され、これに加担する。 トゥーは研究者同士の対話に徹し、中川も誠実に答えるうちに内的変化をもたらしたようだ。彼は、マレーシアでの金正男暗殺事件は神経ガスVXによるものだと、絞首刑の設備のある拘置所から、いち早く指摘している。オウムはVXも製造しており、信者が中毒した際に彼が治療したのだった。 死が迫る中、金正男事件の論文を執筆した中川は、その理由を〈被害者を出したくないのもそうですが、加害者も出て欲しくないと思っています〉と、トゥーに伝えた数日後、死刑が執行された。※週刊ポスト2018年9月7日号
2018.08.30 16:00
週刊ポスト
宮沢りえ写真集『Santa Fe』が提示したタブー破りの快感
宮沢りえ写真集『Santa Fe』が提示したタブー破りの快感
 平成の芸能史を振り返る上で、避けて通ることができないのが1990年代のヘアヌードブームだ。樋口可南子、島田陽子、石田えり、杉本彩、川島なお美ら、当代きっての女優たちがヘアヌード写真集を発表したが、一番話題になった作品は、宮沢りえの『Santa Fe』だ。発売日にはNHKまでもがニュースで取り上げた『Santa Fe』について、宗教学者の島田裕巳氏が語る。 * * *『Santa Fe』が発売された1991年は激動の年として記憶しています。この年は9月に『朝まで生テレビ』でオウム真理教と幸福の科学が直接討論し話題になりました。私自身も宗教学者として急に脚光を浴び、いろんな雑誌に書き、テレビ出演も激増していました。 今では、バブルの崩壊は1990年初めからとも言われますが、当時はまだ景気の良い時代だったと思います。人が浮かれ、欲求も高かった時代でした。当時この写真集について思ったのは「宮沢りえという人気のある女性がヌードになったんだ」という衝撃のみで、それ以外の女性性を感じることはなかったですね。 今あらためて『Santa Fe』を見返すと、やはりとても健全さを感じます。話題をさらったヘア写真も、花咲く草原に座る裸の宮沢りえを遠くから撮ったものくらい。当時宮沢りえは18歳。決してグラマラスでもなく、日本人的な体型の少女のヌード写真です。美しい写真ですが、ヘアとヌードだけの観点ではどうということのない写真です。 この時代はJK(女子高生)という言葉もまだありません。1991年まで女子大生ブームの立役者だった番組『オールナイトフジ』が放送されていましたし、世の男性の性対象は女子大生からでした。 また、深夜テレビでは、女性の裸を放送していましたね。『トゥナイト2』(テレビ朝日系)という番組では、性風俗店なども扱い、雑誌よりテレビの方が過激な性表現をしていました。ただ、陰毛は映せなかった。だからこそ陰毛の価値が高まっていたのでしょう。◆「色」もヒットの要因 日本のお上は、常にわいせつなものを規制しようとします。代表例は1951年から裁判で争われたD.H.ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』。翻訳は人気小説家の伊藤整でした。発禁になった部分を復刻版で読んでみると驚くほど稚拙な訳で、性的なものを感じる人はまずいない。なぜ取り締まったのかがわからないほどです。 国家の強権による過度な性規制は、むしろ憧れと商品価値を生むんです。出版はそんなタブーに挑戦し犯していきます。宗教にまつわるタブーもメディアが暴いていく。ヘア解禁の瞬間もタブー破りの快感が確実にあったのです。 日本では、古来から髪の毛を含め、毛には霊的な力が宿ると考えられています。その神秘性があったからこそ、「ヘアヌード」は人々を熱狂させたのかもしれません。『Santa Fe』は、モノクロもありながら色彩豊かな自然と美しい裸体がある豪華な写真集です。カラー写真というのは、現代を象徴する産物です。たとえば近著(『京都がなぜいちばんなのか』ちくま新書)でも触れていますが、京都は色で観光客を集めました。そこにはカラー写真の普及によるところが大きかった。1991年当時、樋口可南子の『water fruit』のようにモノクロームでなく、コストのかかるカラーで出したこともヒットの大きな一因だと思えます。 当時はあまり意識しませんでしたが、この時の宮沢りえは僕の娘と同年代なんですね。そう思うと、当時にはなかった複雑な気持ちが生まれました(笑い)。【プロフィール】しまだ・ひろみ/1953年、東京都生まれ。宗教学者、作家。東京女子大学非常勤講師。宗教から美術、映画など幅広く論じる。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)は30万部のベストセラー。取材・文■松本祐貴※週刊ポスト2018年8月17・24日号
2018.08.17 16:00
週刊ポスト

トピックス

謝罪をする田中聖(公式YouTubeチャンネル)
田中聖容疑者、覚醒剤所持でまた逮捕 芸能人が“やめられない”根本的な問題点
NEWSポストセブン
『ぴったんこ☆カンカン』スタート時の安住アナ(時事通信フォト)
泉ピン子が語る安住紳一郎アナ「とても負けず嫌い。すごい強さを秘めている」
週刊ポスト
結婚を発表し、お相手を「建築会社」とした滝沢。「一般男性」とは言っていない
滝沢カレン結婚!「テラハ」出演“肉食系”ハーフモデルのどこに惹かれたのか
NEWSポストセブン
盗難被害を告白した木下
TKO木下隆行がベトナムで270万円の盗難被害、防犯カメラにおさめられた悪質手口の一部始終
NEWSポストセブン
TBS・安住紳一郎アナウンサーの魅力の源は?(時事通信フォト)
TBS安住紳一郎アナ、恩師や先輩アナが明かす“天才的なしゃべり”“のスキル
週刊ポスト
眞子さまの箱根旅行のお姿。耳には目立つイヤリングも(2018年)
小室圭さんの妻・眞子さん 華やかだった4年前の「箱根・女子旅ファッション」
NEWSポストセブン
メディアの前に久しぶりに姿を現したブラザートム(撮影/黒石あみ)
ブラザートムが不倫騒動・事務所独立からの今を語る「娘にはよくハガキを書いてあげるんです」
NEWSポストセブン
日本は世界が憧れる国だと思っていたが……(イメージ)
在日経験のある外国人たちが「日本の没落」を口にし始めているという厳しい現実
NEWSポストセブン
小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
NEWSポストセブン
高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
NEWSポストセブン
SDGs(持続可能な開発目標)についてテレビが取り上げる機会が激増していた(イメージ、時事通信フォト)
テレビ局が一斉に発信していた「SDGs」、最近見かけなくなった理由
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン