人は戦争になると、なぜ、興奮状態に陥り、正常な判断ができなくなるのか。平時では考えられぬが、ごく普通の人々が殺人行為にまで及んでしまう。戦闘時における特殊な心理・生理状態を宗教哲学者の星川啓慈・大正大学教授が解説する。
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戦闘状態におかれた人間がどうなるかについて、「脳」と「訓練」という観点から、考えてみたい。
ディ=ベッカー(※注1)によれば、人間の脳には、生存のための「野生脳」と、理性的・論理的な思索のための「論理脳」とがある。論理脳をありがたがる人は多いが、反応が遅く、危機的な状況に陥ると、これはあまり役に立たない。
善悪の判断にこだわるし、限界や規則を設けてそれに従いたがる。だが、野生脳は何ものにも従わず、何ものも考慮せず、必要とあればどんなことでもする。感情にも礼儀にも縛られない。野生脳の働きは非論理的に見えるかもしれないが、極限状況に適応するという点では、まったく論理的である。
例えば、負傷した時のために、「コルチゾール」という血液の凝固速度をあげる物質の分泌量を増加させる。この野生脳が殺人のための訓練と結びつくと、どうなるだろうか。
クレフェルト(※注2)は「戦争の歴史は訓練法の歴史と言ってよいほどだ」と述べるが、軍隊での訓練は、自分と同種である人間(敵)を殺すことへの本能的な抵抗感を克服するために発達してきた。
グロスマン(※注3)によれば、「死にたくない」という生存本能も訓練によって克服される。だが、恐るべきは、殺人に対する抵抗感、つまり「生命は尊い」という人間的な感情や、いざという瞬間の自責や同情の念も、訓練によって克服し、抑え込むことができるという事実である。
野生脳が最大限に活動し、訓練によって武器の使い方を習得しかつ殺人に対する抵抗がなくなったとき、人間はどのように行動するだろうか。これは、想像に難くない。だが、すべての人間がそうなるとは思えないし、戦闘が長期化すると兵士も変わってくるだろう。