半世紀を超える芸能生活は波瀾万丈を地で行く七転八倒ぶり。ポーカー賭博による3度の逮捕では世間からの批判も浴びた。しかし周囲には変わらず、厳しくもあたたかく彼を見守るたくさんの仲間たちがいた。このたび、めでたく喜寿を迎えた名優・左とん平(78才)が、今は亡き森繁久弥さん(享年96)との交遊録を初めて明かした。
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大物俳優といえば、芸能界に憧れるきっかけとなった森繁久彌との思い出も忘れられない。
「2回目に捕まったとき、ちょうど森繁さんの舞台に出ていたんだよね。2か月公演なのに1か月も穴をあけることになってしまって。事情を説明しても何も責めない。ただ、“しょうがないな。ちょっとの間、ゆっくり休めよ”って言ってくれてね」
このとき、森繁は1つだけアドバイスをくれた。「いいか、この時期こそカネ使えよ」という言葉だった。
「こういう時期だからこそ、相手に気持ちが負けていないことを伝えなきゃいけない。“左さんは今は大変な時期だから”と言われて、“じゃあ、ごちそうになります”じゃいけない。こんなときこそ、相手に“そんなに気前よく使って大丈夫なの?”って思わせなきゃ。このアドバイスを聞いたときは、“やっぱり、森繁さんは大物だ”と思ったな」
とん平にとって、森繁は「ザ・座長」というべき風格を備えていた。
「森繁さんほど、“座長”という名にふさわしい人はいなかったな。いつも出演者を連れて大人数で食事をしてね。でも、“あの映画のあの場面はよかったですね”とか、昔の話をしてもすぐに話題を切り替えるんだ。過去のことよりも、現在の話をするのが好きだった。面倒見の良さは天下一品で、ぼくが今みんなで食事をしていろいろな話をするようにしているのは完全に森繁さんの影響だね」
今でも、とん平は多くの仲間を引き連れて、その食事代をすべて彼が支払っている。「ギャンブルよりもずっと安上がりだよ」ととん平は笑う。それは、森繁の姿から学んだ「生きた金」の使い方だった。
謹慎が明けた後、森繁は再び舞台に立つチャンスをくれた。それが、とん平の代表作となる『佐渡島他吉の生涯』だった。この芝居で、10分以上も延々とひとりでしゃべり続けるシーンがある。その演技に観客は大いに笑わされ、同時にジーンと胸を打たれる。「ようやく演技のコツをつかんだ」、とん平が実感した瞬間だった。この場面を見て森繁は言った。
「お前が、あんなに上手な役者だとは思わなかったよ」
2007年、とん平の「芸能生活なんとか50周年を祝う会」の案内状に森繁はこんな言葉を寄せている。
「あたふたと、あっと驚く50年。お前さんの当たり役の『佐渡島他吉の生涯』の橘玉堂は、本当にうまかったなぁ…。玉堂のセリフじゃないが“人生の浮き沈み”があったが…。お前さんはかわいい洒落たやつだ。とにかくおめでとう。なによりおめでとう。バンザイ、バンザイ」
森繁は、とん平の持つ「人としての愛敬」が好きだった。しかし、それ以上にその「芸」を高く評価していたのだ。
取材・文■ノンフィクションライター・長谷川晶一
※女性セブン2015年6月11日