何度島を訪れても圧倒されるのが、島の北に位置する65号棟だ。コの字型の10階建て集合住宅は、島内最大の建築物である。最盛期には300世帯以上が生活していたが、その中に入ると、階が上がるごとに室内の荒れようはひどくなり、絶海の孤島を襲う風雨の強さを物語る。
島の西側にある16~20号棟は櫛型の高層住宅で、海岸線に近い櫛の柄の部分が廊下で、歯の部分が住宅棟になっている。このような設計にしたのは、廊下部を防潮壁として利用するため。大型台風がやってくると波しぶきは9階にまで達したという。確かに、雨の日にこの建物の屋上に立つと、横殴りに雨が打ちつけ目を開けていられなかった。
この16~20号棟の東側、1号棟の屋上には端島神社がある。ここからの眺めは絶景で、朽ちて残された鳥居の向こうには、軍艦島同様に炭坑として栄えた高島を遠く望むことができる。
かつて軍艦島は24時間操業で石炭を採掘し、昭和の高度成長を支える礎となった。東京以上の人口密度を誇った島は74年に閉鎖。世界遺産への登録を機に軍艦島が単なる廃墟ではなく、その歴史について多くの人が知るきっかけになればと思う。
文・撮影◆酒井透(さかい・とおる):1960年、東京都生まれ。写真家、秘境探検家。大学卒業後、フリーカメラマンとして国内外を取材。著書に『未来世紀 軍艦島』(ミリオン出版刊)、『軍艦島に行く』(笠倉出版社刊)
(見学ルート以外への立ち入りには長崎市の許可が必要)
※週刊ポスト2015年6月26日号