しかし実は、冒頭で紹介した、フランス人が「死ぬほど退屈だ」と言った【*注】演目は、この熊野である。
【*注/昭和34年6月、フランス文化使節団が来日して能を観覧したとき、そのうちの一人が「能は、死ぬほど退屈だ。これは監獄で囚人に見せた方がいい」と言ったという】
動きが少ない演目はたいてい、詩句と謡の美しさを味わうようにできている。だから外国人にはわかりにくいのだ。しかし詩句、謡の美しさといっても、日本人が聴いても、何を謡っているのかわからないことが多い。
私がそう言うと、父宗和は笑いながらこう喝破した。
「わからなくていいんですよ。だって今の歌手も、何を歌っているのか、わからないときあるでしょう(笑)。それと同じで、男が女役やってる宝塚みたいなものですよ」
ある有名な歌舞伎役者が、能楽師に「なぜあんなに動かないの」と訊ねると、「動けばいいってもんじゃないでしょ」と言い返した逸話も残っている。宗典はこう語る。
「お笑いで例えたら、そこに立っているだけで笑ってしまう人っていますよね。それと同じようなもので、能は、動かないのが基本。つまりカマエですね。しかし、ただカマエているだけで、あらゆる方向から引っ張られているかのような緊張感の中で立っています。
確かに型はあるのですが、決して型にははまらない。だから上演時間も前後する。動きのある歌舞伎の方が、ピタッと時間通りに終わるくらい。ですから舞台に立ったとき、観客が注目してくれれば、こっちのものです」
※SAPIO2015年7月号