でもそれは真実を告白しようとする態度のように見えて、むしろ真実を隠そうとしているんですよね。どうやって殺したかではなく、なぜ殺したのかという思考過程や心理構成を、彼自身がもっと深く、哲学的思考にまで踏み込んで、私は書いてほしかった。それが被害者遺族も含めて最も知りたいことだろうし、どんなにつらくても堪えて向き合うことが、彼にできる唯一の反省であり、懺悔になるからです。
よくこの本には反省がないと批判する人がいますが、私は彼に反省の弁など求めていない。あれだけの犯罪を起こしておいて反省なんか簡単にはできないでしょうし、本来は反省ではなく内省こそが、彼自身が『絶歌』、つまり最初で最後の歌と名付けた本書には書かれるべきでした。
〈公判や精神鑑定で「性的サディズム」(※人に苦痛を与えることをもって性的に充足を覚えること)の可能性を指摘されたAは、例えば淳君の頭部を持ち帰り、自宅の風呂場で洗った時のことを〈ある儀式〉と書き、性的衝動と暴力的衝動が混在したことを明かしている〉
高山:彼は最愛の祖母の死後、彼女の部屋で遺品のマッサージ器をいじっていた時に初めて精通を経験している。そこで死と性的な快感がつながった。以来、小動物を殺すことと射精はセットになり、タンク山で淳君を殺した後も彼は射精しているんですね。
その時の心理も彼は書いてないし、裏を返せばここに書いていないことが最も隠したい彼の“秘密”で、両親のことや私が最も読みたかった更生プログラムを通じた心理的変化についても、彼は書いていません。
■聞き手/橋本紀子(ライター)
※SAPIO2015年8月号