僕がおじいちゃんになった時に、「英語がペラペラだけど日本語がメチャクチャな孫」と、「英語のレベルは今と変わらんけど、日本語は僕ら世代よりもキッチリして敬語もビシッと使える孫」、どっちがうれしいかっていえば、日本語がしゃべれるほうです。
だから僕は高得点を取ると就職に有利とか言われるTOEICよりも、「国語のTOEIC」みたいなもんを作るのがええと思ってます。それで企業は英語ができる人だけじゃなく、日本語をちゃんとしゃべれる奴も積極的に採るべきですね。
最近日本語だけじゃなく、日本が“薄まってる”感じがするんですよ。箸の持ち方もちゃんとできてへんくせに、ナイフとフォークの使い方ばっかり覚えたり、「本場イギリスの紅茶のマナー」とか習いに行ったりするじゃないですか。そうなったらもう、「お前ナニ人やねん」と。
「アメリカがこうやってるから……」なんていっぱいアメリカのマネしても、アメリカもどきの日本ができるだけで、それってもう、アメリカやん!
外国の人が日本を見て「ああ日本ってすごいな」思ってくれてるのは、外国の持っていない所を「すごい」って言うてるわけじゃないですか。アニメとか相撲、新幹線を7分で掃除するのなんかも。でもそれを「全部アメリカでええやん」と外国のマネばかりして“日本らしさ”をなくしていったときに日本に何の強みが残るのかな。結果、自分らの首絞めるだけだと思うんですよね。
このまま「英語至上主義」みたいなことになって、僕がおじいちゃんになって死ぬときに子供や孫から「Oh My God!」とか「Dad!」「Oops!」とか言われるのはかなりイヤです。僕はやっぱり「おじいちゃーん」、と日本語で泣いてくれるような子孫に囲まれて死にたいですね。
それと、ちゃんとした日本語のためには、金田一(秀穂)先生にもっとテレビに出てほしいなとも思っています(笑)。
※SAPIO2015年9月号