長嶋茂雄(ながしましげお)

長嶋茂雄のプロフィール

長嶋茂雄
年齢:86歳
生年月日:1936年02月20日
趣味・特技:映画鑑賞・将棋
身長:178cm
出身地:千葉県

読売ジャイアンツ終身名誉監督。数々の”魅せる”野球と天性の明るいキャラクターで国民に愛され「ミスター・プロ野球」とも称された昭和を代表する名選手。6大学野球を経て1958年に巨人に入団。その年に本塁打王、打点王、最多安打、新人王のタイトルを獲得。王貞治とともに「ON砲」として巨人の黄金時代を牽引し、1974年に「我が巨人軍は永久に不滅です」の言葉を残して引退した。通算本塁打444本。打率.305。数々の輝かしい記録だけでなく、敬遠する投手に対してバットを持たずに打席に入ったり、ホームランを打つも本塁ベースの踏み忘れで取り消しになるなど、“伝説”も数多く残した。また「失敗は成功のマザー」「ミートグッバイ(肉離れ)」など、独特のワードセンスとユーモアあふれる語り口で野球ファン以外の人々も魅了し続けている。

最終更新日:2022年06月10日
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長嶋茂雄の最新ニュース

V9の真実 ONの意識変革を呼び込んだ金田正一氏の「食事」と「散歩」
V9の真実 ONの意識変革を呼び込んだ金田正一氏の「食事」と「散歩」
 1965年から1973年にかけての巨人の9年連続日本一 ──野手は王貞治、長嶋茂雄の「ON」を中心に柴田勲、黒江透修らが脇を固め、投手陣には400勝投手の金田正一や城之内邦雄、堀内恒夫らタレントが揃っていた。そんな「不滅の記録」を打ち立てた常勝軍団を束ねたのが、名将・川上哲治だ。(文中敬称略)【全4回の第1回】 * * * 川上哲治が、水原茂から巨人の監督を引き継いだのは1961年だった。すでにON(王貞治、長嶋茂雄)を擁すなど、充実した戦力があったが、1961~1964年は1位→4位→1位→3位とシーズンごとに浮き沈みがあった。 不滅の記録である「9年連続日本一」が始まる1965年シーズンに先立ち、川上は“大補強”に出る。目玉はB級10年選手制度(※現在のFA制度の前身とも言える制度で、10シーズン以上現役選手として球団に在籍した選手に、移籍権利などが認められた)を行使した国鉄の大エース・金田正一の獲得だった。対巨人戦で通算65勝(歴代1位)の金田の獲得は、川上の肝煎りだったという。2019年に他界した金田は生前、『週刊ポスト』の取材にこう明かしている。「ワシが巨人へ移籍したかった以上に、川上さんがワシを欲しがった。川上さんは、ワシがライバル球団の中日に移籍することを恐れていた。直前のシーズン、国鉄で27勝を挙げていたワシが中日に行くか、巨人に来るのかでは大違いじゃ。9連覇の始まりは金田なくしてなかった。ワシが言うんだから間違いはない」 巨人に移籍後、金田は通算400勝の金字塔を打ち立てるが、その加入は単に“星勘定”のプラスをもたらしただけではなかった。チームの意識改革が進んだのだ。金田はこう振り返っている。「巨人に移籍して一番驚いたのは食事だった。宮崎キャンプで、宿舎の『江南荘』で出された料理を見て呆れたね。冷めたトンカツが食卓に並んでいるのよ。すぐに川上さんに“私は自由にさせてもらう”と伝えたら、一発でOKとなった。川上さんも意識改革したかったんじゃないかな。 ワシは部屋でメシを炊き、鍋をして、温かい食事を食べた。いわゆる『金田鍋』じゃ。すぐに末次(利光)、土井(正三)といった選手が集まってきて、もちろん王や長嶋も来た。ワシは“食べないヤツは負ける”“健康でないと野球はできない”という信念を持っていたからね。キャンプでは、早起きして散歩で体を動かす習慣も導入させた」 川上の金田獲得によってチームの意識が大きく変わった。そのことはONも口を揃えて認める。 長嶋は「チームの雰囲気を作る大きなきっかけは、やはりカネさんの加入でしたね。ワンちゃん(王)とボクに練習はこうやるんだと教えてくれて、ONで率先してカネさんの真似を始めた。それを他の選手も真似して、相乗効果が生まれました」(『週刊ポスト』2015年1月16・23日号)と語り、王は「カネさんから学んだのは自分への投資でした。“野球選手は体が資本”というのがカネさんの哲学。有名な『金田鍋』もよくご相伴にあずかりました」(2014年9月19・26日号)と述懐している。 意識の変革はチーム全体へと波及し、V9の礎が築かれたのだ。(第2回へ続く)※週刊ポスト2022年4月22日号
2022.04.12 12:06
佐々木朗希をロッテの大投手はどう見るか?(時事通信フォト)
佐々木朗希は「大投手・金田正一」を抜けるか? 村田兆治が語る「凄さと課題」
 4月10日のオリックス戦で史上16人目の完全試合を達成したロッテの佐々木朗希(20)。13連続三振の世界記録、19奪三振の日本タイ記録、20歳5か月という最年少記録……数々の勲章を同時に手にした佐々木に、かつてロッテの監督も務めた400勝投手の“カネやん”こと、故・金田正一さんを抜く可能性がある選手が出てきたと感嘆するOBは多い。 過去、完全試合を達成した15人の投手のひとりがカネやんだ。若いうちから活躍し、18歳で22勝を挙げて、その後は14年連続で20勝以上をマークした。ノーヒットノーラン(5四球)は18歳1か月で達成し、完全試合は24歳0か月。“打席に立てば三振、守ればエラー連発”と揶揄されていた国鉄での完全試合は評価が高い。一方、DH制で投手が打席に立たないパ・リーグで完全試合を達成した佐々木の快挙も遜色ない(DH制での完全試合達成は佐々木が2人目)。 果たして佐々木はカネやんを抜けるのか──。ロッテOBで愛弟子のひとりである村田兆治氏に、佐々木の凄さについて聞いた。佐々木は村田氏が持っていたロッテの球団記録である16奪三振も塗り替えている。「凄いピッチャーが出て来たね。これで彼の素質が改めてわかったよね」(村田氏・以下同) これだけの快挙を遂げても、まだ“素質”の段階ということか?「そりゃそうだよ。これで記録に残る選手になったのは間違いないが、今度は本当のエースになるために1年間ローテーションを守って最低15勝はしないといけない。チームを引っ張って、ゲームの流れを変えられるようなピッチャーにならないといけない。これからは記憶に残る選手になることも意識しなければね。 過去に完全試合を達成したピッチャーは15人いるが、通算で200勝以上したのは藤本英雄さんとカネさんだけ。カネさんが凄いのは14年連続で20勝以上を続けていること。佐々木は下半身の課題を克服した。腕の可動域も大きく、安定した素晴らしいフォームだと思う。ただ、それをどうやって維持していくか。そのためにはしっかり睡眠をとって、体をケアしなければいけない。稲尾(和久)さんは14年間に304試合で先発している。時代が違うという単純な話ではなく、稲尾さんは体調を維持するために苦労したそうです。1年投げたら、次の1年と先を見据えた野球をしてもらいたい。それぐらい素質があるピッチャーだと思う」 佐々木が素晴らしいのは足を高く上げるフォームだと村田氏は言う。「上半身の力を抜くことができれば足を上げた時に壁ができる。その壁を同じ位置に作るのが難しいのよ。スライダーを投げようとしたら腕が下がるし、下半身が弱ければ左足が開いて腕だけで投げてしまう。勝ち星を挙げているピッチャーはシーズンを通して同じフォームで投げている。200勝するような投手は長く同じフォームで投げている。それでもだんだん足が上がらなくなり、肘が下がる。それで体が早く開くようになり、勝てなくなって引退するわけですよ」「サンデー兆治」の後継者としての「サンデー朗希」についてはこう語る。「オレは肘のケガをしてから1週間に1度の登板になっただけで、その時は36歳だったんだよ。若い頃は中3日で完投して、翌日にリリーフだからね。これは過去のこととしても、佐々木はローテーションを1年間守り、結果を残すために体のケアをすること。ファンのため、チームのためではなく、今は自分のためにやる。そうすればおのずとエースとして頼られる存在になると思う。結果的にファンが喜ぶわけですよ。完全試合はすごい記録だと思うが、勝負はこれから。カネさんのように、マウンドに立つだけで相手に勝てないと思わせるようなピッチャーになってもらいたいね」 カネやんは1試合16奪三振、7者連続三振が最高だが、「3者連続3球三振」という驚異的な記録も持つ。佐々木は400勝、4490奪三振の大記録を追いかけていくことになる。 生前のカネやんは『週刊ポスト』のインタビューで、体づくりを優先して高校時代にあまり登板していなかった佐々木について、「ケガを恐れてはいけない」「ケガをして学ぶことも多い」と苦言を呈していたが、一方で「懐の深い投球フォーム」をベタ褒めしていた(2019年8月16・23日号)。カネやんは今後の課題として「割りばしの(ように細い)体の改善」を挙げていたが、佐々木は完全試合という結果を示してそれも乗り越えた。新たな大投手の伝説がいよいよ幕を開けた。■金田正一さんの秘蔵写真が満載。ジャイアント馬場にキックを見舞うシーンも ■写真/山崎力夫、太田真三 写真提供/金田正一
2022.04.13 17:56
矢野燿大監督(中央左)は最終年で有終の美を飾れるか(時事通信フォト)
阪神17年ぶりVに黄信号データ?「僅差でV逸の翌年」に低迷する背景
 昨年、前半戦に首位を独走しながら、ヤクルトに逆転優勝を許してしまった阪神タイガース。2リーグ制に移行して以来、阪神が2ゲーム差以内で優勝を逃したケースは8年ある(全て2位)。■阪神が2ゲーム差以内で優勝を逃した年の成績1957年(藤村富美男監督)130試合73勝54敗3分 勝率.573 ゲーム差1.01970年(村山実監督)130試合77勝49敗4分 勝率.611 ゲーム差2.01973年(金田正泰監督)130試合64勝59敗7分 勝率.520 ゲーム差0.51976年(吉田義男監督)130試合72勝45敗13分 勝率.615 ゲーム差2.01992年(中村勝広監督)132試合67勝63敗2分 勝率.515 ゲーム差2.02008年(岡田彰布監督)144試合82勝59敗3分 勝率.582 ゲーム差2.02010年(真弓明信監督)144試合78勝63敗3分 勝率.553 ゲーム差1.02021年(矢野燿大監督)143試合77勝56敗10分 勝率.579 ゲーム差0.0 悔しさをバネに翌年優勝を勝ち取ったのかと思いきや、昨年を除いた7年のうち6年がBクラスに転落している。■阪神、上記の翌年の成績1958年(田中義雄監督)2位 130試合72勝58敗0分 勝率.554 ゲーム差5.51971年(村山実監督)5位 130試合57勝64敗9分 勝率.471 ゲーム差12.51974年(金田正泰監督)4位 130試合57勝64敗9分 勝率.471 ゲーム差14.01977年(吉田義男監督)4位 130試合55勝63敗12分 勝率.466 ゲーム差21.01993年(中村勝広監督)4位 132試合63勝67敗2 分 勝率.485 ゲーム差17.02009年(真弓明信監督)4位 144試合67勝73敗4分 勝率.479 ゲーム差24.52011年(真弓明信監督)4位 144試合68勝70敗6分 勝率.493 ゲーム差9.0 このうち金田、吉田、真弓の3監督がオフに退任。あと一歩で優勝まで近付いた翌年は優勝争いにすら絡めない年ばかりなのだ。一方、ライバルの巨人は2リーグ制以降、2ゲーム差以内で優勝を逃したケースは6年ある(2010年は3位。それ以外は2位)。■巨人が2ゲーム差以内で優勝を逃した年の成績1974年(川上哲治監督)130試合71勝50敗9分 勝率.587 ゲーム差0.01982年(藤田元司監督)130試合66勝50敗14分 勝率.569 ゲーム差0.51986年(王貞治監督)130試合75勝48敗7分 勝率.610 ゲーム差0.01992年(藤田元司監督)130試合67勝63敗0分 勝率.515 ゲーム差2.02010年(原辰徳監督)144試合79勝64敗1分 勝率.552 ゲーム差1.02015年(原辰徳監督)143試合75勝67敗1分 勝率.528 ゲーム差1.5 その翌年の成績はこのようになる。■巨人、上記の翌年の成績1975年(長嶋茂雄監督)6位 130試合47勝76敗7分 勝率.382 ゲーム差27.01983年(藤田元司監督)優勝 130試合72勝50敗8分 勝率.590 ──1987年(王貞治監督)優勝 130試合76勝43敗11分 勝率.639 ──1993年(長嶋茂雄監督)3位 131試合64勝66敗1分 勝率.492 ゲーム差16.02011年(原辰徳監督)3位144試合71勝62敗11分 勝率.534 ゲーム差3.52016年(高橋由伸監督)2位 143試合71勝69敗3分 勝率.507 ゲーム差17.5昨季同様、若い戦力が活躍できるか 阪神は競り負けた翌年にほとんどBクラスに転落しているが、巨人は1年を除いてAクラスを保ち、2年は優勝している。一体、この差は何か。プロ野球担当記者が話す。「巨人は優勝を至上命題とされ、ペナントを制しなければ叩かれる。しかし、阪神の場合、優勝回数も少なく、2位で終わると『健闘した』と称えられがち。例えば、1992年は大方の評論家が最下位予想する中で、亀山努や新庄剛志の台頭、仲田幸司や湯舟敏郎など若手投手陣の開花で大躍進をした。 阪神は負けが込めば叩かれるが、少しでも活躍すればすぐにヒーロー扱いされる。マスコミやファンの扱いが他球団と違って特異です。そうした面も影響しているのではないでしょうか。1986年の巨人は勝利数で上回りながらも広島に勝率で劣って2位だった。すると、3年連続V逸の責任を感じた王監督が進退伺を提出しています。それほど優勝に対する思いが球団もファンも異なる印象です」(以下同) 阪神は1987年から2002年までの16年で、Bクラスが15年もあった。唯一、1992年だけは光明が差した。活躍した選手が若く、暗黒期を脱するかと思われたが、翌年から再びBクラスに転落した。「打線強化のため、24歳の本格派右腕・野田浩司を放出して、オリックスから32歳で実績のあるスイッチヒッターの松永浩美を獲得したトレードが失敗と言われています。松永が故障で3度も戦列を離れ、期待外れだったのもあるでしょうけど、前年14勝の仲田幸司が3勝に終わり、期待された嶋尾康史が故障するなど野田の穴を埋めきれなかったことも大きかった。オフに松永がFA(フリーエージェント)でダイエーに去ったことで、失敗トレードのイメージが増幅したのもあるでしょうね」 昨年の阪神の躍進はルーキーの伊藤将司、中野拓夢、佐藤輝明による若い力も大きかった。その点では、1992年と似ている面もある。今年は矢野燿大監督がキャンプイン前日に今季限りの退任を発表。ラストイヤーを優勝で飾りたいところだろう。「2年目になる3人が昨年と同じような成績を残せれば大崩れはしないでしょう。逆に言えば、若手にかかる比重が大きい分、伸び悩んだ時にはチームも低迷する。最近は“2年目のジンクス”もなくなりつつありますし、矢野監督の采配次第では17年ぶりのVも十分目指せると思います」 矢野監督の胴上げで有終の美を飾れるか。
2022.03.09 17:30
羽生結弦の発言は時代の変化の象徴か(北京五輪エキシビションでの演技。時事通信フォト)
羽生結弦「努力って報われない」 王、長嶋、イチローらの「努力」発言との違い
「努力って報われないなあって思いました」。北京五輪のフィギュアスケート男子シングルで、史上初の3大会金メダルを目指した羽生結弦は惜しくも4位に終わった。その試合後に述べた言葉である。 2月10日、フリーの演技終了後のインタビューで羽生は「いや、もう一生懸命、頑張りました。正直、これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないですけど。でも一生懸命、頑張りました」と話した。 その後、テレビ朝日の五輪キャスターを務める松岡修造氏と対面。4回転半ジャンプについて、インタビューアーの松岡氏が「ありがとうって言いたいんですよ。お礼したい。だって、誰もトライしたことがないものにトライし続けましたよ」と感謝を述べた。すると、羽生は「ちょっと待って……ダメだ」と背を向け、「テレビの前で泣くの嫌なんだけどな。修造さんと長いからな……。悔しい」と呟いて涙を拭った。 羽生が前に向き直し、松岡氏に「苦しさの中にこのオリンピックで何を見たんですか?」と聞かれると、「そうですねえ……努力って報われないなあって思いました。僕はオリンピックで金メダルを取るために、そして4回転半を決めきるための努力を、正しい努力をしてこれたと思ってます」と答えた。スポーツライターが話す。「何を言っても、羽生選手は話題になる。それだけ注目されるのは本当に凄いこと。一挙手一投足が取り上げられるのはスターの証です。実際、前人未到の4回転半への挑戦は素晴らしかった。ただ一方で、世界を代表する選手の口から『努力って報われない』という発言を聞き、時代の変化を感じた人もいたと思います」(以下同) 羽生は今大会でメダルを逃したが、テレビやスポーツ紙などでもその挑戦を称える論調が目立った。「羽生選手はアイドル的人気がある。熱狂的なファンの中には自分の意に沿わない論調を見たり聞いたりすれば、猛抗議する人もいる。それは愛ゆえの行動だとは思います。しかし、誹謗中傷は別として、個人の意見やまっとうな論評にも過剰な反発が来るのであれば、ファン以外の人はその世界に関わらない方がいいと思ってしまう。それはフィギュア界にとっても、ファンの裾野を広げるうえでマイナスとなるのではないでしょうか」 競技が違うとはいえ、“ミスタープロ野球”の異名を取って絶大な人気を誇った長嶋茂雄や“世界のホームラン王”と呼ばれた通算868本塁打を放った王貞治でさえ、選手時代に絶不調に陥ったり、監督時代に勝てなかったりすると、マスコミに叩かれ、球場ではファンから強烈なヤジを浴びていた。「スポーツ選手は悔しさを肥やしに戦うと言われます。ファンが全てを肯定する世界を作り上げて、良い意見しか耳に入らない状態になってしまうのはマイナスだと思います。長嶋さんや王さんのような昭和の大物だけでなく、イチローさんや松井秀喜さんも公のインタビューで自らケガについて話すことはほとんどなく、打てない時に言い訳などしなかった。そして結果が出なくても、泰然自若と振る舞い、次への活力にしていました」 かつて、長嶋茂雄は「努力してますと練習を売りものにする選手はプロフェッショナルとは言えない」と努力を他人に悟られることを嫌った。王貞治は「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」と自分を律する名言を残している。 王を尊敬したイチローはヤンキース時代、“不惑”の40歳を迎える2013年に「努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。それは自分以外の第三者が思うこと。もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか」と述べていた。 そして今、世界のトップレベルにある羽生から『努力って報われない』という発言が出るようになったのは、時代の変化の象徴かもしれない。
2022.02.22 14:03
自らプロ野球界の盛り上げ役を買って出る新庄剛志ビッグボス(日本ハムのファンフェスティバルで挨拶する様子。時事通信フォト)
「長嶋・新庄型」と「落合・イチロー型」、球界スターのマスコミ対応の違い
 監督就任から毎日のように話題を振りまいている日本ハムの新庄剛志ビッグボス。12月6日には『しゃべくり007』(日本テレビ系)、9日には『アウト×デラックス』、12日には『中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞2021』(ともにフジテレビ系)とバラエティ番組にも積極的に出演して、自らプロ野球界の盛り上げ役を買って出る。プロ野球担当記者が話す。「新庄ビッグボスの発信力は、まさに今のプロ野球界に求められていたことです。就任早々、昼間のワイドショーに取り上げられ、夜の報道番組でも時間を割かれている。近年、地上波のスポーツニュースで野球を報じる時間は年々減少していましたから、プロ野球界全体にとって喜ばしい。 バラエティ番組への出演も続々と決まっていますが、最近はテレビが番組に呼びたくなるようなキャラクターを持つ野球選手が少なかった。テレビの影響力は落ちているとはいえ、バラエティに出れば野球に興味のなかった層を取り込める。今の野球界に最も必要なのは、新規のファンを獲得することですから」(以下同) プロ野球はマスコミとともに発展してきたと言っても過言ではない。親会社に読売新聞を持つ巨人は、試合結果が翌日の新聞で大きく報じられ、日本テレビ系列でナイター中継されることで、人気を拡大していった。その際、選手の振る舞いがファンを惹きつけた。「1958年に長嶋茂雄が巨人に入団し、大学野球よりもプロ野球が注目されるようになった。長嶋は秀でた成績を残すだけでなく、ファンのことを考え、マスコミにも協力的だった。翌年入団してきた王貞治も同様です。ONは球界の見本となり、率先してファンサービスをしたし、メディアへの受け答えもしっかりしていた。 ONがやるのだから、他の選手がやらないわけにはいかない。プロ野球の発展を考える上で、人気、実力とも先頭に立つ2人の振る舞いは非常に重要だったと思います。野球選手は野球を第一に考えるが、野球に取り組むだけでもダメだと背中で教えていました」 1974年に長嶋茂雄が、1980年に王貞治が引退。それでも、プロ野球人気は落ちなかった。巨人には1981年に原辰徳が入団し、世代交代が進んでも“球界の盟主”のスターはメディアに対して紳士的に振る舞った。1993年に長嶋監督がくじで引き当てた松井秀喜も、ミスター同様、模範的な対応を見せた。“天然ボケ型”と“ツッコミ型” 一方で、1980年代以降は不勉強な記者に辛辣に当たる“求道者”たちもいた。「落合博満やイチローは本来よく喋るし、的確な質問をすれば饒舌に説明してくれる。一方で、ありきたりでつまらない問いに対しては、ちゃんと突っ込む。マスコミにも仕事に対して誠実な態度を求めた。当然のことですし、それも1つの個性でした。ただ、人気を上げていかなければならないプロ野球黎明期であれば、そうはいかなかったかもしれません」 2000年代に入ると、巨人戦の視聴率が低下。毎試合放送されていた地上波のナイター中継は年間数試合しかなくなった。その代わり、BSやCSで全球団の試合が毎日見られるようになり、巨人一辺倒の時代からファンが分散したと言われている。一方で、野球人口は年々減少しており、かつて30%を超えた日本シリーズの視聴率も1ケタに落ち込むようになり、地上波のスポーツニュースが野球に割く時間も減少した。 そんな中、日本ハムの監督に新庄ビッグボスが就任。野球に興味のない人たちにも訴えるアピール力は球界にとって朗報だろう。「もちろん“求道者”タイプも必要ですが、今の球界にはファン以外をも惹きつける“長嶋タイプ”が求められていた。いわば、“全方位型”であり、“ピエロ型”とも言えるかもしれません。1990年代の長嶋監督はまさにそんな感じでした。オフに、ゴールデン帯の2時間特番で『長嶋茂雄超偉人伝説』が放送され、『息子の一茂を後楽園球場に忘れてきた』などの天然エピソードばかり紹介されて20%近い視聴率を取ったこともあった。 新庄ビッグボスも、自分をネタにされることを嫌がらないタイプです。ボケとツッコミで言えば、長嶋・新庄は記者にボケを提供する。もちろんある程度は狙いもあるのでしょうが、それを見せない“天然ボケ型”。落合・イチローは記者に指摘を入れる“ツッコミ型”。そう分けられるかもしれません」 今オフの新庄ビッグボスは積極的にメディアに出ていくが、数年後には自分に代わるスターの出現を望んでいるだろう。「ビッグボスは選手に『そうですね』という受け答えを禁止するなど、野球だけでなく話し方の指導までしている。こんな監督は今までいなかった。野球人気を上げるためには、プレーはもちろん、言葉の力も大事になってくる。ビッグボスの元で、球界を代表する“全国区のスター”が誕生する可能性は十分あると思いますし、ビッグボスはその育成を使命と感じているでしょう」 まずは自身のパーソナリティで興味を惹きつけ、野球を好きになってもらう。バラエティ番組での新庄ビッグボスの言動も楽しみだ。
2021.12.05 02:36
原監督(左)と阿部慎之助氏(時事通信フォト)
全巨人ファンが夢見た「松井秀喜監督」消滅か OBたちが語る内幕
 リーグ3位、CSファイナルも0勝で終わった今シーズンの巨人。不満がくすぶるなか原辰徳・監督の続投が決まり、高卒2年目の秋広優人(19)の背番号が「68番」から「55番」に変更されることが報じられた。「55」といえば、松井秀喜が現役時代につけていた背番号である。これによりファン待望の監督人事、松井秀喜監督がついに完全消滅したと、球界関係者は見ている。 松井監督誕生への期待は過去にも降っては湧いてきた。かつて松井監督の機運が高まったのが、2018年オフに高橋由伸監督の3年契約が切れるタイミングだった。「松井が当時、宮崎キャンプを訪問するため来日した際に、高橋の次ということでGMや球団担当者が打診したと言われています。しかし、その時の松井は2人の幼い子供をニューヨークで育てており、環境を変えるわけにもいかなかったため実現しなかったとされています」(スポーツ紙デスク) そして今年、日本ハム・新庄剛志監督、中日・立浪和義監督に続く松井監督誕生へ期待が高まったのには、伏線もあった。 それが、松井氏が長嶋茂雄氏と王貞治氏(ソフトバンク球団会長)とともに聖火ランナーを務めた、東京五輪開会式での聖火リレーだった。「2020年にテレビ番組に出演した際に、監督就任の可能性を聞かれて、『ジャイアンツはやっぱり気になりますね。その時の状況で自分が許せばだとは思います』と前向きな発言をしました。 これには球界も松井の心情に変化があったのではと関心を向けてきた。そんな状況のなかで、恩師であるミスター(長嶋茂雄)と聖火ランナーを務め『(ミスターとの会話は)やはり野球のことが中心でした』と発言した。期待が高まるのは当然です」(同前) かねて、松井監督誕生にはミスターがカギになると言われてきた。読売関係者が語る。「松井にとってミスターはドラフトで引き当て育ててくれた大恩師です。ミスターが入院していた時に病室を見舞えた人は数少なかったが、そのうちの一人が松井だったという話もありました。ミスターの“最後の仕事”は松井監督を誕生させることと言われているほどです」ドンとの確執 そんな機運が一転、松井監督消滅説が飛び交う背景には、これまでの監督の“系譜”も関係しているという。「巨人軍監督には大きく二つの系統があるとされており、一つはV9を達成した川上哲治監督の流れと、もう一つはそのV9時代に活躍した長嶋茂雄の流れです。二大派閥とも言える系統が次の監督を送り合ってきた歴史があります。 不振にあえぎ1981年に長嶋監督からバトンタッチされたのは川上監督時代の投手コーチだった藤田元司で、川上派が政権を取り戻したとも言われていた。今回新たに3年契約を結んだ原監督も川上派とされており、引退後に一時『NHKプロ野球』の解説者になったのも川上、そして恩師と仰ぐ藤田の流れからだったとの話もあります。 全権監督として再任し、地位を確立させた原監督がいる以上、長嶋派と見られている松井が監督を継ぐことは難しい」(同前) また今回原監督が行なった組閣で“阿部慎之助次期監督”が決定的になったとも言われている。「今シーズンの10月まで二軍監督だった阿部は、『作戦兼ディフェンスチーフコーチ』という球団初のポストになったが、これは原監督の隣で帝王学を学ぶ期間ということでしょう。キャリア的に見ても松井のほうがはるかに上。世代交代した阿部以降に松井が監督になる可能性は考えにくい」(スポーツ紙記者) 今回の人事は、巨人OBから見ても複雑なようだ。巨人でセットアッパーとして活躍した前田幸長氏が語る。「原さんが3年契約で、次期監督が阿部慎之助。これが既定路線でしょうね。僕はもう松井秀喜監督はないと思います。もちろん過去には巨人もオファーを出したと思いますが、松井が受けなかったんじゃないでしょうか。松井は周囲にニューヨークでは自由に生活できるが、日本では騒がれて家族に迷惑をかけると……。プレッシャーではなく、そういった理由で監督就任を断わっていると聞いたことがある」 加えて、巨人監督人事にいまだ大きな影響力を誇る読売新聞グループの“ドン”渡邉恒雄氏との関係も大きな影を投げかけているという。別の読売関係者が語る。「松井が巨人軍の監督候補に名前が挙がり始めたのは、ヤンキースのGM特別アドバイザーに就任した2015年の頃でした。それはメジャーで野球の勉強というのが表向きの理由でしたが、メジャー移籍の時のナベツネ(渡邉恒雄)さんとの確執がまだ尾を引いているためとも言われていた。 実際、ナベツネさんはラジオ番組で『松井とイチローだったら、指導者としてどっちが欲しいか』という質問に対して、『イチローだね』と迷わず答えるほどですからね」松井にやってもらいたい 松井監督誕生はやはり夢のままなのか。そこに寂しさを感じる球団OBは少なくない。前出・前田氏は「正直なところ、ぼくは松井監督を見たかったですね。あれだけの人気選手だし、実績も申し分がない。でももうないのかな」と寂しそうに語る。 V9の前半の巨人投手陣を支え、引退後はスカウトなどを歴任した城之内邦雄氏もこう言う。「もう難しいのは分かっているけど、巨人の伝統を知っている松井に監督をやってもらいたいし、そのために日本で野球を見てほしい。2~3年巨人のコーチをやったうえで、監督になってぜひ巨人の野球を変えてほしいと今でも思っています」 川上監督のもとでコーチ兼任選手としてV9の礎を築き、巨人引退後は低迷するヤクルトや西武を日本一に導いた名将・広岡達朗氏がこう嘆息する。「今の巨人に球界の盟主の影はもうないですよ。日本シリーズで負けたら監督はクビというのが、巨人の古き良き伝統なんです。 それがソフトバンクに2年連続、それも1勝もできないで敗北したのにまだ原は生き残っている。今年はリーグ優勝もできず、CSファイナルでヤクルトに1勝もできない。その指揮官と3年契約を結ぶフロントもフロントですよ。 本来なら実力と実績があり確かな理論を持っている人が監督をやるべきだけど、松井が監督になるとしても支えることができるコーチが見当たらない。今の巨人は目指すべき監督像とどんどん違う方向に行っていると思うね」 球団OBやファンが待望する「松井秀喜監督」はこのまま夢と消えてしまうのか。※週刊ポスト2021年12月10日号
2021.12.02 16:24

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逮捕された「RYO&YUU」
公然わいせつ逮捕「RYO&YUU」、性的動画アップは「親公認」だった 22歳の女は愛知・香嵐渓で全裸に
NEWSポストセブン
ゴルフをする女性芸能人が増えている(左は小島、右は鷲見。ともに本人のインスタより)
タイトなウェア姿を投稿しまくりの小島瑠璃子と鷲見玲奈「ゴルフ女子」枠巡る熾烈な戦い
NEWSポストセブン
結婚を発表し、お相手を「建築会社」とした滝沢。「一般男性」とは言っていない
滝沢カレン結婚!「テラハ」出演“肉食系”ハーフモデルのどこに惹かれたのか
NEWSポストセブン
巨人に13.5ゲーム差でヤクルトが首位独走 「CS開催の必要あるのか」の指摘も
巨人に13.5ゲーム差でヤクルトが首位独走 「CS開催の必要あるのか」の指摘も
NEWSポストセブン
左から主演のオースティン・バトラー、妻役のオリヴィア・デヨング、バズ・ラーマン監督、トム・ハンクス(EPA=時事)
『トップガン』『エルヴィス』大ヒットが示すアメリカの“昭和ブーム”
NEWSポストセブン
TBS・安住紳一郎アナウンサーの魅力の源は?(時事通信フォト)
TBS安住紳一郎アナ、恩師や先輩アナが明かす“天才的なしゃべり”“のスキル
週刊ポスト
判決が出る前に謝罪動画をYouTubeに公開していた田中聖(公式YouTubeより)
出身地を隠さないアイドルだった田中聖 罪を償い寛解したなら帰る場所はある
NEWSポストセブン
眞子さまの箱根旅行のお姿。耳には目立つイヤリングも(2018年)
小室圭さんの妻・眞子さん 華やかだった4年前の「箱根・女子旅ファッション」
NEWSポストセブン
メディアの前に久しぶりに姿を現したブラザートム(撮影/黒石あみ)
ブラザートムが不倫騒動・事務所独立からの今を語る「娘にはよくハガキを書いてあげるんです」
NEWSポストセブン
小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン
高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
NEWSポストセブン