むしろ読者の共感を得にくい〈悪人〉も氏は描き、『悪の教典』の主人公・蓮実は殺人鬼というより、〈どちらかというと世間から優秀と目される人間〉からの引き算で造形。そのヒントとなったのが、サイコパスも描写次第では極上のエンタメになりうると証明した『羊たちの沈黙』のレクター博士だ。
さらに前半では優秀な教師で生徒のウケもいい蓮実の印象が変質し、「イイ人が理解不能な存在に変貌していくゾワッとした感覚を味わえるよう」、二重構造にも挑んだ。
また、トリック及び謎解きが最大の見せ場である本格ミステリでは、例えば『鍵のかかった部屋』としてドラマ化もされた“防犯探偵・榎本シリーズ”の密室が、天才的鍵職人・榎本が暴いた以外の方法でも解けてはお話にならない。そこで必要なのが考えうる限りの方法から唯一の解を絞り込む、〈別解つぶし〉だ。
「余詰めをつぶしたくて不自然な所に歩を置くと、全く美しくない盤面になる詰め将棋作りみたいなものです。誰が見てもわざとらしくなく、なおかつ一つしか破る方法がないトリックや世界観を構築すること自体は楽しいんですが、後から別解をつぶす作業はとんでもなく地道でしんどい(笑い)。
この榎本は自宅のセキュリティを見直した時に防犯会社が連れてきた鍵屋さんがモデルで、〈自分に開けられない鍵はない〉と断言する彼に驚いた体験が、ネタ帳の中の密室トリックと融合して『硝子のハンマー』が生まれた。『黒い家』でも保険業界の内実が恐怖に繋がったり、アイデアは案外身近なところに潜んでいるものです」