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「聞き書き」で介護の現場が劇的に変わる…介護民俗学とは?

【著者に訊け】六車由実さん/『介護民俗学へようこそ!「すまいるほーむ」の物語』/新潮社/1620円

【本の内容】 
 現在、静岡県沼津市にあるデイサービス施設「すまいるほーむ」の管理者・生活相談員を務める著者・六車さんが、利用者の高齢者を介護するなかで、「介護民俗学」と呼ぶ聞き書きを続けている日々を綴る。見えてくるのは、高齢者が生き生きと自らの体験や暮らし、恋の話などを語る楽しそうな様子だ。やがて誰もが老いていき、介護を必要とする可能性があるなか、「老い」の意味を問いかける。

 静岡県沼津駅から少し離れた旧東海道沿いに、六車由実さんが働くデイサービス「すまいるほーむ」はある。古民家を改築した施設で、その日も中からは利用者とスタッフの和やかな談笑が聞こえてきた。

「すまいるほーむ」の定員は10名。認知症の人も多いが、一目見てスタッフと利用者がお互いを尊重し合っていることが分かる。木の温もりのある古民家という環境も手伝って、友人の家に遊びに来たような、伸び伸びとした雰囲気が印象的だ。

 民俗学者でもある六車さんはこのホームで、施設の利用者の人生の聞き書きを続けてきた。聞き取ったお年寄りたちの人生をまとめ、「介護民俗学」と名付けた世界の奥深さを伝えるのが本書『介護民俗学へようこそ!』。大正生まれの女性の恋愛、戦時中の「挺身隊」での体験、かつて食べた「思い出の味」の再現や、胸に抱く死や別れの物語──。利用者たちの語るいくつもの話を折り重ね、いかにして「すまいるほーむ」の開かれた雰囲気が形作られていったかを描いている。

「ここでの聞き書きは日々の至るところで始まるんです。お風呂のとき、お食事の介助のとき、送迎中。彼女たちがふと口にした話を覚えておけるように、ポーチにいつも小さなノートを入れてあります」

 この日もお彼岸に備えて、地元で食べられていたおはぎの味を再現する準備が進められていた。

「この味ですか?」

 六車さんは利用者とスタッフ全員で餡を試食しながら、女性利用者の一人にしきりと話を聞いていく。

 それはある午後のゆっくりとしたお喋りの時間、「昔は『しおおはぎ』を食べましたねェ」と彼女がぽつりと言ったことが始まりだったという。

「あんこの中にお塩だけを入れて、砂糖を付けて食べるというんです。なにそれ! と興味を持ちました。『久しぶりに食べたいね』とおっしゃるので、それなら今度作ろうよ、と2週間前から話を聞き始めました」

 このように始まっていく「聞き書き」には、介護の現場を変える大きな力があると彼女は言う。なぜなら、土地に根付いた過去の話を聞くことは、その人の人生経験=老いに新たな価値を見出すことだからだ。そこでは「介護される側・する側」という利用者とスタッフとの従来の関係性が逆転し、普段は介護を受けるお年寄りが「先生」となる。

「このホームも聞き書きを始める前は、利用者さんは利用者さん、スタッフはスタッフと関係が固定化されていました。ところが聞き書きを始めて以来、それが変わった。利用者とスタッフの関係がフラットになって、それぞれが言いたいことを言い、心配をし合う寄り合いのような雰囲気が生まれていったんです」

 六車さんが大学の教員を辞め、介護の世界で働き始めたのは今から6年前。『神、人を喰う』でサントリー学芸賞を受賞するなど高い評価を受けていたが、ストレスの多い大学での教員生活に疲れ果て、実家のある沼津に戻った。

「介護民俗学」というテーマにたどり着いたのは、介護資格を取り、現在より規模の大きな前職の施設で働き始めた頃のことだった。

「ある利用者のかたが、ふと関東大震災の話をし始めましてね。『すごい揺れで竹やぶに逃げた』と彼女が話すと、利用者が当時の体験を次々に語ってくれた。『あのときはお婆ちゃんが狩野川の川べりで念仏を唱えていたよ』なんて話を聞きながら、私は新鮮な驚きを感じました。大正12年の関東大震災の生の話を、ここではこんなにもたくさん聞くことができる。民俗学者としての心がくすぐられる思いでした」

 大学教員を辞めた後も、民俗学を続けるつもりでいた。介護の仕事を続けながら、故郷・沼津のフィールドワークでもしようか――そう考えていた矢先、介護福祉施設が「民俗学の宝庫」であるという気付きを得たのである。

(取材・文/稲泉連)

※女性セブン2015年10月15日号

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