日本軍が駐屯したメーホーソン県は首長族の住む地域だった
タイのミャンマー国境地帯。観光客も訪れない辺境に、現地民と戦前の日本軍との交流を展示した博物館がある。日本人兵士の遺留品が多く展示され、終戦記念日の8月15日の午後2時(日本時間の正午)に、犠牲者への黙とうと慰霊祭が10数年前から行なわれている現地を、ノンフィクションライターの善理(せり)俊哉氏が訪れた。
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クンユアムにはかつて、第15師団「祭」の部隊や、第21師団工兵隊などが兵站基地として駐屯した。日本軍はここからミャンマー(ビルマ)へ進攻。多数の戦死、戦病死者を出した「インパール作戦」(*注1)で瀕死に追い詰められた際も、大勢の日本人兵士がここへ引き返し、村人たちの介護に助けられている。
(*注1:日本軍がビルマからインドの拠点、インパールに乗り込んだ作戦。敵の攻撃だけではなく飢えや伝染病にも襲われ、参加した約10万人のうち、まともに帰還できたのは1万人程度といわれている。)
村では結局、7000人の日本兵が息を引き取ったが、彼らの遺留品を村人たちは大切に保管し続けた。同地に赴任したチョムタワット氏がそれに感銘を受け、1996年に私費を投じて記念館を開設する。
博物館の外には、『戦友よ安らかに眠れ』と刻まれた慰霊碑があり、いすゞやトヨタが製造した戦時の軍用車の残骸が並んでいる。ここまで来る外国人旅行者はほとんどいないが、入り口の名簿には多くの日本人が来訪を書き記し、英霊の安らかな眠りや、タイへの感謝をつづってある。
館内に入ると、まずはミニシアターへ誘導され、この地に住む山岳民族に、70数年前の日本人兵士たちがいかにして溶け込み、団結心や愛を育んだかが、映像で紹介される。
近所に住むチョリア・オウパラさんも、証言者として登場していた。実際に会って話を聞いた。
「日本軍が来ると、防空壕を掘らされて、偵察機が来るたびにそこへ飛び込まなければいけなかった。最初は怖かったが、駐屯していた日本人兵士たちは規律正しく、子供の面倒を見て、稲刈りを手伝ってくれた。軍服を脱いで上裸になって、村人と協力し合っていくなかで、我々は確かな友情を感じたんです。
そうでなければ、ビルマから帰ってきた彼らの命をこちらも必死で救おうとはしなかった。我々も彼らのために、自分たちの食糧を犠牲にしていたんです」
食糧不足だった日本人兵士たちと交換した携行品は500点以上。そこに日本の従軍獣医(*注2)として同地に滞在していた井上朝義氏の撮影した貴重な写真の数々も寄贈されて記念館は充実度の高いものとなった。
【*注2:輸送や騎兵用の軍馬などを管理するために、派遣された動物医】
※SAPIO2015年12月号