俳優の仲代達矢さん
「もうそろそろだなとは思っていますが、これが引退の芝居だと思ってもいないし、思いたくもないんです」──本誌・週刊ポスト誌上でそう語っていたのは、11月8日に肺炎のため入院先の病院で亡くなった俳優の仲代達矢さん(享年92)。
今年4月、本誌は能登演劇堂で5月末から上演され、仲代さんの最後の舞台となった『肝っ玉おっ母と子供たち』の稽古を密着取材した。
『用心棒』『切腹』など日本を代表する数々の名作映画に出演した仲代さんは取材当日、稽古場「仲代劇堂」で若い劇団員とともに3時間以上も稽古を続けた。その後、生い立ちから92歳に至るまでの半生を本誌に語った。
少年時代は人見知りで学芸会に一度も出たことがないが、マーロン・ブランドの大ファンで洋画ばかり観ていた仲代さん。しかし、1952年に俳優座養成所に入所してから「人の10倍努力した」と話し、続けてこう語った。
「役者に向いてないのに役者をしなきゃならないから、人が遊んでいる時に稽古を重ねました。今でも夜中3時に目が覚め、台本を出して一生懸命覚えています。70年以上も役者を続けられたのは演劇の神様に運よく救われているからですよ」(当時の仲代さんの談話、以下同)
努力が実を結ぶ契機は20代前半に訪れた。当時主流の映画会社との専属契約「五社協定」を結ばず、フリーランスを選んだことが奏功したという。
「ギャランティは安かったけど、フリーになったおかげで黒澤明さんや三船敏郎さんなど素晴らしい監督や役者と出会えました。スタートから幸運な役者でした」
酒好きで晩年も晩酌を欠かさなかった一方、自ら開いた「無名塾」で人生の最後まで後進の育成に励むため、毎日ストレッチと発声練習を続けた。
そんな仲代さんは残りの人生をこう語っていた。
「精神的にも肉体的にもかつての力強さがないから、酒を飲んで急にぽっくりいくかもしれません(苦笑)。それでも無名塾の若者が自分よりもうまくなるのが悔しいから、負けてなるものかと思って私も一生懸命頑張る。今でも一番のライバルは無名塾の若者たちです」
最後まで芝居とともに生きた努力の名優だった。
※週刊ポスト2025年11月28日・12月5日号
