忽那:たくさんあるんですけど。中でも串本海難事故編は、この作品の一番の山場だと思うんです。船が座礁してけがをしたトルコ人たちが、雨の中、治療のためにたくさん室内運ばれる。体力的にも精神的にも、すごく大変でした。
それがお芝居じゃなくて、実際の状況と重なっていたんです。京都のスタジオで、12月1月の寒い時期で、お芝居とはいえ凍えて震えているエキストラのかたを本気で温めながら。なんとかこのシーンを終わらせられるように、というみんなの思いを感じるシーンでした。私は濡れていなくても充分寒かったので、濡れて血のりがついている方々は、本当に大変だったと思います。
――現場の雰囲気は?
忽那:どうしてもお話が重たいので、緊張感がずっと続くんですよね。気持ちが途切れないように、現場では和やかになることはありませんでした。
――ハルはショックを受けて話せなくなった役でしたが、忽那さんはそれくらいショックを受けたことはありますか?
忽那:私は外国育ちで、初めはひとりで日本に来て、母と弟があとから、向こうの生活を諦めて来てくれた時には、衝撃を受けたというか。弟は当時小学生だったので、自分の意志でその決断をしたことが、嬉しいというよりもショックでしたね。弟は今も仲がいいですよ、みんな日本にいます。
――海難事故から95年ほど経って、ハルとムスタファの子孫のような、そっくりの2人が出会います。そういう運命の出会いは信じますか?
忽那:必然だと思います。あの作品は子孫という設定ではないんですけど、必然だと思うと、運命に繋がることになると思いますし。私はそこまでロマンチストではないんですけど(笑い)。
――役と共通する部分はありますか?