スタッフの宿泊施設探し、撮影マニュアル作成、天候不良になったときの対策など準備を重ね、1987 年1月2日、完全生中継が始まりました。翌日3日は、曇り空でヘリコプターが飛ばせないという事態に陥りましたが、対策をとっていたので慌てずに対処ができた。
放送が終わった瞬間、放送センターにいた全員が「やったぞ!」と歓声をあげました。涙を流しているスタッフもいました。
挑戦、努力、協力の末につか み取った感動でした。以来約30年間、高視聴率をキープしています。駅伝の中継は“常にたすきを追う”ことが基本です。そして、そこに生まれるドラマを見せること。
1991年、早稲田の1年生だった櫛部静二くんがエースとして 2区を走りました。1位で走り出し快調に走っていたけれど、中盤過ぎでどんどんスピードが落ちていった。たすきをつなぐときには13人に抜かれ、足下はふらふら。
カメラはその様子を追い続けました。レース展開より、トップの動向より、それが視聴者が最も見たいシーンだと思ったからです。ハラハラ、ドキドキ、そんな映像を視聴者に伝える、それが中継です。後輩に伝え続けていることがあります。
“テレビは箱根駅伝を変えてはいけない。時代が変わっていけばいくほど、変わらない箱根駅伝が評価される。箱根駅伝はその歴史を同時に放送できなければ意味がない。走った選手、関係者、沿道の応援、箱根駅伝にかかわったすべての人の思いを伝えなければ、箱根駅伝を中継したとは言えない。箱根駅伝を中継してあげているのではなく、中継させてもらっているという気持ちで仕事をするように”。
今年は、自然災害も心配されましたが、テレビ局も地元のかたも、警察もきちんとした訓練と対策をとっていた。どこで何が起こっても対処できる準備をしていました。箱根駅伝にかかわれたことを感謝しています。その気持ちを忘れずに、これからもかかわっていきたいんです。
※女性セブン2016年1月23日号