「相米も実相寺と同じで、一緒に仕事したという意識はないね。面白く遊んでた感じ。彼の演出は、まず何の説明もなくて役者のやりたいようにやらせる。それで『はい、バツ』それしか言わない。挙句の果てには『ゴミ』『タコ』『カス』。そうやって、自分の満足いく芝居が出てくるまで延々と待つんだ。
相米の場合はそういう演出だから、多くの女優が撮影現場で泣いていた。薬師丸ひろ子は『死ね、相米!』って絶叫してたよ。
でも、上がった作品を見ると、みんな『また相米さんとやりたい』って言うんだ。役者自身が自分で考えて、自分で発見した芝居だから躍動している。監督に言われたままやったんじゃなくて、自分で考えた演技をして輝いている。それは役者として何より嬉しいことだから。
時として、芝居の現場が止まってしまうと相米が俺に何とかしろと言う。俺は相米の狙いが分かるけど、それをいうと教えることになるから難しい。それで最初は感情に関係なく泣きながらやらせて、次に笑いながら、次は混ぜてやらせて、最後に普通にやらせる。すると相米が『あそこで笑ったのが面白かったのに、なんで笑わねえんだよ』とか言ってくる。そうやって時間をかけて芝居を作っていった。
そういう演出ができたのは、時代も大きかった。相米が活躍していた1980年代も映画に余裕のある時代ではなかったが、やっぱり相米を愛した傑出したプロデューサーがいたんだよね」
※週刊ポスト2016年2月19日号