震災前、小高区に家があった70代のBさん夫妻は、避難指示が解除になったら、「小高区の家に帰りたい」と話す。仮設住宅での不自由な暮らしよりも、住み慣れた広い家のほうがいい、というのが理由だ。ただし、気がかりもある。以前同居していた子どもや孫は、一緒に帰るかどうか、まだ決まっていない。
小高区では今年2学期から小中学校が再開する予定(延期の可能性あり)だが、20キロ圏内の小中学校に子どもを通わせていいのか、漠然と心配する人も少なくない。また、人口が少なくなり、治安の面で不安をもつ人もいる。
Bさんは「震災前は、子どもや孫と暮らすのが当たり前だと思ってきました。でも、5年の間に子どもや孫に新しい生活のパターンができたことも理解できます。不安ですが、別々に暮らすことになっても、子どもたちの選択を尊重したいと思います」と、寂しそうに話した。
現在、福島県で県内外に避難している人は約10万人。見えない放射線のために復興を複雑にしている。5年経ち、ようやく復興へと歩み出せたことは喜ばしいことだが、その陰で、ある種の「分断」が生まれているように思えてならない。
長年培ってきたふるさとの人間関係から分断されたり、帰りたい高齢世代と、帰れない若者世代が分断されたりしないようにしたい。
5年前は、みな同じ被災者だったのに、隣の家は賠償金がもらえて、自分の家はもらえないという格差もある。自力で家を再建し、仕事を再開できる人と、そうでない人もいる。こうした格差が深刻な分断を生まないかといったことも心配だ。
町の復興は、人が戻ればいいというものではない。医療や生活、仕事、教育を支えるインフラと同じように、人と人との関係がなければ健康で文化的に暮らすことは難しい。お互いを共感的に認め合いながら、人と人との関係をどう築いていくか。古くて新しい復興の課題である。
●かまた・みのる:1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に『「イスラム国」よ』『死を受け止める練習』。
※週刊ポスト2016年3月18日号