それはそうなのだが、でもしかし、私は、このスマホ擁護論にあまり同調できない。なぜって、これも経験則で恐縮だが、電車内の光景を思い浮かべればいい。
隣の若者がスマホいじりに集中している。何をしているのかなと覗いたら、彼の手元の画面に映っているものは相当な確率で「ゲーム」だ。あるいは、ラインをはじめとしたソーシャル・ネットワーキング・サービス。若者のスマホ画面では、ゲームとSNSが王様なのだ。電子書籍をスマホで読んでいる若い人なんて、これまで何人かしか見たことがない。
ニュースサイトだって、そうだ。ココで書く話じゃないかもしれないが、スマホユーザーのボリューム層がよく読んでいるのは、芸能、スポーツ、エロ、グルメあたり。それらはかつて隆盛を誇っていたスポーツ新聞の主要コンテンツだ。その希釈版みたいなのがネットの方々に無料で転がっており、人びとはそういうものを暇つぶしでつまみ食いしている。それ以上でも以下でもない。
だから、スマホにも知の世界が云々という擁護論にも首を傾げるのだが、世の中の圧倒的多数はそうしたコンテンツがあれば十分、というのは今に始まった話じゃない。スマホ登場前からそんなものであり、ウェブの世界がどんなに進化しようとも、人間の欲求の種類はそうそう変化しない。
そんな中、毎日、1時間以上、2時間以上、読書をしているという学生の存在は相当輝いて見えるのだ。読書時間ゼロの若者は自分らが若い頃だっていくらでもいた。我々のお客さんは、そちらじゃなくて、もうちょっと少数派のヘビーユーザーのほうなのだ。ならば、彼ら彼女らをより魅了する出版コンテンツの制作に励もうじゃないか、と出版大不況の渦の中、ポジティブシンキングしてみた次第である。