2009年、台湾社会に衝撃が走った。当時、台湾で新聞社の特派員をしていたので鮮明に記憶に残っている。ホンハイが当時世界第4位の液晶パネル企業、奇美電子に出資した。
発表会見では郭台銘と、奇美の創業者で、これも伝説的経営者で親日企業家としても日本で知られる許文龍ががっちり握手した。「世紀の合併」と騒がれ、ホンハイは奇美電子の50%の株式を取得。役員数も同数で、台湾の二大メーカーががっちりタッグを組む、はずだった。
ところが、両者の間で不協和音がすぐに鳴り始める。主要な理由は液晶パネルの競争激化で生産力が過剰になり、折悪しくEUから独占禁止法違反で巨額の支払いを科せられた。
五分五分の経営がかえって事態をややこしくし、ホンハイとの対立に疲れ果てた許一族は、液晶パネルの全事業をホンハイに売却。もう一つの事業の柱であるABS合成樹脂に専念した。ホンハイの液晶会社「群創」に吸収された奇美の名前は液晶の世界からほぼ消失した。
奇美のように協力関係からホンハイに最後は飲み込まれた企業は少なくない。主な原因は、経営に対するテリー・ゴウ流の「速度と効率」を極限まで徹底したスタンスについていけなくなるからだ。
台湾の業界では、ホンハイの出資を受けた場合、その多寡にかかわらず、いずれ経営権を奪われ、「帝国」の一部に飲み込まれてしまうに等しいと信じられている。
●のじま・つよし/1968年生まれ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。1992年朝日新聞社に入社。シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月よりフリーに。主な著書に『ふたつの故宮博物院』『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』など。
※SAPIO2016年5月号