浅香光代さんの稽古場に異変が…
「あたしゃ許さないよ!」──東京の下町・浅草にある5階建てのビル。かつてこのビルの2階にあった稽古場には、“芸能界のご意見番”を取材しようと多くの芸能レポーターが詰めかけ、ワイドショーを彩った。2020年12月に亡くなった剣劇女優・浅香光代さん(享年92)だ。彼女が30年近く住んだ自宅ビルには、現在も「演劇舞踊 浅香流 家元稽古場」の表札が掲げられている。しかし、NEWSポストセブンが取材を進めると、現地に異変が起きていたことがわかった。【前後編の前編】
スポーツ紙記者が語る。
「このビルが建ったのは1991年のこと。浅草の一等地にビルを建て、1階は事務所と資料館。2階には稽古場と舞台があり、3階と4階は5LDKの自宅として使用し、5階は浅香さんの衣裳部屋でした。女優以外にもバラエティー番組では“ミッチー”の愛称で親しまれ、芸能界のご意見番として活躍しました」
プライベートでは音楽プロデューサーで「フィンガー5」を世に送り出した、元コメディアン・世志凡太氏(91)と同居生活を送った。世志氏は、内縁の夫として浅香さんが亡くなるまで「浅香光代事務所」の取締役も務めた。夫とネコとの静かな日々を送っていた浅香さんを一変させたのは、1999年に勃発した「ミッチー・サッチー騒動」だった。
「当時、野村克也さんの妻・沙知代さんと浅香さんが舞台共演したのですが、その際に生じた確執が騒動の発端となりました。双方がメディアに出演して舌戦を繰り広げる泥仕合は連日、ワイドショーで取り上げられました。ついには裁判にまで発展する大騒動となりました」(同前)
騒動後、浅香さんは何者かからの脅迫電話を受け、それまで1台だった自宅の防犯カメラを4台に増設。防犯カメラのモニター映像は浅香さんの寝室で確認できるようにするほどの警戒ぶりだったという。