「まだ女性が運転して外に出かける社会ではなかった頃かしら。夫の都合が悪く、私1人で運転してアムステルダムに行くと言った時、『勝手に行ってこい』と答えたんですよ、あの人。当時では、考えられないことだわ。2人が好きだったフランク・シナトラのコンサートに、私1人で行ってきたのよ」
2人の出会いは、トースがまだ16歳の時だった。当時は、米歌手のシナトラや英歌手のベラ・リンが全盛期を迎えていた。2人が出会ったきっかけは、シープの誘いだった。大流行していたクイックステップを踊りながら、2人は恋に落ちた。
「夫婦生活は円満で、私たちは、何をやるにもいつも一緒でした」
ピーテルスマ家は、家族の集まりが多く、ハンスを除き、子供たち全員が、ここの同じ村に住んでいるという。
こうした家族同士の結び付きがある中で、安楽死が決行された事実に、私は正直、不意をつかれた。だが、2人の話を聞いているうちに、何が家族の本当の絆なのか、考えさせられた。不幸と感じる人間を医療行為で生かし続けることが、果たして正しいのか。
特に、余命が短い場合や、肉体的・精神的に苦しんでいる場合は、ただ単に生かすことだけを優先するのではなく、その人間にとって、幸せとされる道時には死ぬことさえも、真剣に話し合ってみることが必要なのではないだろうか。そんな考えを、いつしか私は持つようになっていた。この取材を始める前には、口が裂けても言えなかったはずなのに……。
ピーテルスマ夫妻は2013年9月にNVVE(オランダ安楽死協会)を通して、安楽死クリニックに属する医師を紹介してもらい、安楽死までのプロセスは着々と進んでいった。決行日はNVVEへの申請から2か月後に決まる。
シープは、安楽死の中でも、彼らしい死に方を選択した。それは、医師に注射をされて死ぬのではなく、自ら毒薬を飲んで死ぬことだった(*注)。
【*注/オランダでは医師が直接、患者に毒薬を投入し、“安楽死”を幇助する行為(積極的安楽死)も認められている。スイスでは自殺幇助のみで、積極的安楽死は認められていない】
ハンスは、「死ぬときも人の手を借りて死にたくなかったんです。とても父らしいと思います」と、話した。
ちなみにオランダ審査委員会の報告書によると、同国で2014年に申告された安楽死の件数は5306件。そのうちの5033件が医師の注射による積極的安楽死で、自殺幇助はわずか242件(その他31件)にすぎない。
●写真/Mona van den Berg
※SAPIO2016年6月号